元弘元年=元徳三年(1331年)9月5日は、足利貞氏が亡くなった日です。
名字からイメージが湧くかもしれませんが、室町幕府の初代将軍・足利尊氏、そのトーチャンです。
尊氏といえば
といった不安定エピソードの持ち主として知られ、
「よくそれで武家の棟梁になれたな!」
とツッコみたくなるような行動も多く伝えられていますよね。
※以下は足利尊氏の生涯まとめ記事となります
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足利尊氏は情緒不安定なカリスマ将軍?生誕から室町幕府までの生涯
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実はこれ、尊氏だけの特徴ではありません。
トーチャンもジーちゃんも、その前のご先祖様も、なんだか似たような印象があります。
というわけで今回は、足利家の華麗な血脈(初代~七代)
・義康
・義兼
・義氏
・泰氏
・頼氏
・家時
・貞氏
を振り返ってみましょう。
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◆初代 足利義康
足利義康は、源氏の代表的武士として知られる「源義家」の孫です。
義家の息子である義国から義康へ続いて足利となり、義親からは頼朝へ、義家の弟である義光からは武田氏へ繋がってます。
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それが以下の図ですね。
足利義康は、歴代当主の中でも一番普通っぽいというか、一番安定していた人というか。
31歳の若さで亡くなっているため、特筆すべきことがありません。
鳥羽上皇に厚く信頼されていたことが最大の特徴でしょうか。
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◆二代 足利義兼
二代目の足利義兼は、北条政子の妹・時子が正室。
現在の栃木県足利に基盤を築いた英雄……のはずなのですが、42歳で7歳の息子を残して突如出家しています。
源氏の宗家と親戚かつ縁戚という濃い繋がりを持っていたため、源頼朝に疑われて粛清されるのを防ごうとした――。
そんな見方もあるようですが、にしてもダイナミックすぎませんか。
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◆三代 足利義氏
父の義兼がかなりガタイのいい人だったせいか。
足利義氏も特にその辺が似ていて、武勇に優れていたとされています。
性格の方も強いというか頑固というか……60歳のときに81歳の御家人と大ゲンカをしたこともあります。
歳の波に揉まれても丸くならない人っているんですね(´・ω・`)
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