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【足利氏の初代~七代】
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◆六代 足利家時
足利家のご先祖が予言した「我が七代目の子孫が天下を取る」という当事者にあたるのが足利家時ですね。
当時は鎌倉幕府(というか北条家)の全盛期だったので、どうひっくり返してもそれは望めませんでした。
そこで家時は「私の命を縮める代わりに、三代のうちに天下を取らせてください」と願掛けをして切腹した、とされています。もうワケがわかりません。
なぜ「子や孫のために下準備をしておいてやろう」と思わなかったのか。
家時の切腹と義兼や泰氏の出家騒動が相まって、
「足利氏は精神異常があった一族なのでは?」
という説が出てくるのですが、
「異常な一族と思われていれば、幕府にとって脅威ではなくなる。少なくとも家は守れるだろう」
という戦略があったのかもしれません。
にしたって切腹はやりすぎですし、近年では
「足利氏のアレコレは、尊氏の不可解な行動や幕府創設を正当化するために後世作られた」
という説も支持されるようになってきました。
真偽を確かめるのはかなり難しそうですけれども、今後裏付ける史料が発見されるのを期待したいですね。
七代 足利貞氏
とまあ、足利氏はこんな感じで「いきなり何かをやらかす一族」ということになっています。
さらに七代目足利貞氏の場合は、もっとひどい書かれ方です。
「貞氏に最近奇妙な振る舞いが多いので、何かが取り憑いて狂ってしまっているのだと考えられ、祈祷をお願いしました。するといくらか症状がおさまりました」(意訳)
なんてことが当時の史料に記されているのです。
「藩主が発狂したので改易されました」という話は江戸時代にちょくちょく出てきますが、この時代ではかなり珍しいこと。
しかも、家督を継いでしばらくの間は普通に仕事をしていたのですから、いきなりおかしな言動が増えれば、そりゃあ妖怪変化のしわざかと思われますよね。
ここで頭に入れておきたいのは、貞氏の生きていた時代は、足利氏の舵取りが非常に難しい状況だったということ。
足利氏は源氏の名門、かつ前述の通り、ほとんどの当主が北条家から正室を迎えていました。
それによって領地や身分を得ていたわけですが、家格が高くなれば一族が増え、彼らを世話する者も増え……平たくいえば、モノやお金がたくさん必要になります。
平和な時代に武士が収入を増やす手立てなど、そう多くはありません。
鎌倉に顔を出さないわけにもいきませんし、鎌倉でお金を使えば地元・足利の整備にお金をかけられなくなってしまいます。
しかも当時は元寇に対する恩賞の件で、御家人たちがざわめいていた頃。
少しでも蓄財に励む素振りを見せれば、他の御家人からは
「何でアイツだけ余裕があるんだよ!」
とやっかまれますし、北条家からも
「おやおや、幕府が困ってるっていうのに足利クンのトコだけ余裕があるの? 一体何を考えているのかな?^^」
と怪しまれるのは目に見えています。
その上、貞氏は嫡子・足利高義の早世により、後継者問題で頭を悩ませていました。
後世からすると「尊氏も直義もいるじゃん?」と言いたくなってしまいますが、高義は正室の北条氏、尊氏・直義は側室の上杉氏を母としていたことがネックになったのです。
家格を保つため、他の家からナメられないため、「母親が正室かどうか」はとても重要でした。
貞氏は鎌倉幕府滅亡のわずか2年前に死す
そんなわけで、貞氏の「発狂」はストレスが溜まりすぎた末の
【精神病・心身症の何か】
というのが正しいのではないでしょうか。
「尊氏のアップダウンの激しさをフォローするために、”ご先祖様からの伝統だから仕方ないよね! 尊氏悪くない!”という方向性の記録を後から作った」
そんな説もありますが、どちらもありえそうなところがなんとも。
「父親が発狂したことがある」ということにしておけば、尊氏のメンタルが吹けば飛びそうなレベルのかよわさであったとしても、何となく納得できてしまいますしね。
上記の通り、貞氏が亡くなったのは鎌倉幕府滅亡のわずか2年前。
鎌倉幕府が尊氏に対して
「お前のトーチャン死んだらしいけど、生前からいろいろ怪しかったから葬儀はナシな」
という態度を取ったことも、尊氏が倒幕側になった一因といわれていますね。
もし貞氏の心身がもう少し良い状態で保てていたら、尊氏が倒幕軍に加わることはなく、その後、征夷大将軍になることもなかったのかもしれません。
まさに「事実は小説より奇なり」といいましょうか。
どんなところで歴史が動くかわからないものです。
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長月 七紀・記
【参考】
清水克行『足利尊氏と関東 (人をあるく)』(→amazon)
『尊氏と足利氏を見つめなおす――古文書・古典籍から知るその時代、信仰、そして文化(22世紀アート)』(→amazon)
国史大辞典