足利初代

左から二代足利義兼・三代足利義氏・七代足利貞氏/wikipediaより引用

源平・鎌倉・室町

足利氏の始まりは尊氏ではなく義康!初代~七代の歴史を振り返ろう

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◆四代 足利泰氏

35歳のとき、突如出家し、トーチャンを困らせたのが四代・足利泰氏です。

御家人が出家するには鎌倉幕府の許可が必要だったので、当然、大騒ぎになりました。

領地を一部没収。

泰氏をそのまま当主にすることはできないので、まだ11歳の息子・足利頼氏に家督が引き継がれるんですが……。

 

◆五代 足利頼氏

突然出家したトーチャンの跡を継ぎ当主になった足利頼氏。

生まれつき体が弱く、23歳前後で亡くなってしまったとされています。

源氏の名門であるはずの足利家で、当主の没年がわからないというのがもう……。

 

◆六代 足利家時

足利家のご先祖が予言した「我が七代目の子孫が天下を取る」という当事者にあたるのが足利家時ですね。

当時は鎌倉幕府(というか北条家)の全盛期だったので、どうひっくり返してもそれは望めませんでした。

そこで家時は「私の命を縮める代わりに、三代のうちに天下を取らせてください」と願掛けをして切腹した、とされています。もうワケわかめ。

なぜ「子や孫のために下準備をしておいてやろう」と思わなかったのか。

話自体が、尊氏の幕府創設を正当化するために後世作られたとも考えられますね。

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