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【丹後局】
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西の丹後局 東の政子と対峙す
平家の次に台頭するのは、ご存知、源頼朝です。
荒々しい坂東武者を引き連れ、あれよあれよと平家を滅亡に追い込んだ新しい武士のリーダー。
確かに憎き一族を西日本から排除してはくれましたが、幼い天皇を溺死させ、挙句の果てに三種の神器まで海に落とす連中の味方でよいのか?
丹後局が、そんな風に警戒を強めても不思議はありません。
かつては平家滅亡のために動いていた彼女も、今度は朝廷を守るべく政治力を駆使する。
そして、東の源頼朝や大江広元、北条政子らと交渉にあたることとなります。
彼女は源頼朝と親しい九条兼実(くじょう かねざね)に対抗すべく、土御門通親(つちみかどみちちか)と手を組み、頼朝が娘の大姫を後鳥羽天皇に入内させようとすると、これを阻むべく動きました。
京都で政子とも会見しています。
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しかし限界もありました。
建仁2年(1202年)、丹後局の協力相手であった土御門通親が亡くなり、後鳥羽上皇が本格的に院政に乗り出すと、権威が低下してしまうのです。
丹後局は朝廷から去り、亡夫・業房の所領にある浄土寺に移りました。
そして建保4年(1216年)に逝去。
生年が1151年前後とすると、没年は60代半ばと考えられます。
日本史上の女性リーダー対決を描く
『鎌倉殿の13人』で丹後局はどう描かれたか?
彼女は、後白河法皇と共に義経を罠にかけ破滅させる存在でした。
2005年大河ドラマ『義経』では、これを夏木マリさんが怪演。
ボサボサ頭でメイクも薄く、美貌で知られる女性がこれでよいのかと疑念を感じてしまう程の容貌でした。
一方、『鎌倉殿の13人』における鈴木京香さん――楊貴妃にたとえられたのも納得できる豊かな美貌が光ります。
中国ではグラマラス美女を楊貴妃、スレンダー美女を趙飛燕にたとえますが、彼女の場合は体型云々ではなく、包容力というか器の大きさが感じられます。そこが楊貴妃タイプだと思えます。
鈴木京香さんは三谷幸喜さんの大河常連でもあり、『真田丸』では北政所を演じました。
女優として既に頂点に立ったようで、それでもまだ新たな高みを目指す。そんな信頼があればこその起用ではないでしょうか。
鈴木京香さんの番組公式コメントには
「当時珍しく積極的に政治に関わった女性で、年齢を重ねるほどに熱意も募らせているようで、大ファンになりました」
とありました。
政治家としての丹後局が強調されていて、危機に立ち向かう、聡明で頼りになる女性像を期待してしまうではありませんか。
最大の見所は、北条政子との会見でした。
女性同士が政局を左右し会見する――そんな史実が日本にもあったことを示したのです。
※例えば欧州では【3枚のペチコート作戦】や、あるいはフィクションでは『ゲーム・オブ・スローンズ』でも女性リーダー同士の活躍があります
政子にとっては、義母であるりく(牧の方)よりも、乗り越えるべき壁だったのが丹後局。
強敵との対峙によって彼女の成長が視聴者にも伝わり、夫の頼朝、弟の義時に負けない、北条政子の物語も充実したでしょう。
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数百年来の女権
丹後局には、似た名前と立場の女性が大勢いて、紛らわしいと指摘しました。
言い換えれば、日本の朝廷に、発言権のある女性が多数いたとの証左でもあります。
実際、女官が朝廷で発言権を持つ伝統は明治維新まで残っていて、明治政府が、明治天皇を東京へ移すついでに彼女たちの権利を剥奪したのです。
明治4年(1871年)、薩摩閥の吉井友実は日記にこう記しました。
「数百年来の女権唯一日ニ打消シ愉快極まりなしや」
天皇の命令が女官を通じて出される。数百年あった伝統的な女の権利が、たった一日で消えてしまった。なんとも愉快なことではないか。
そもそも天皇自身も女性的です。
白粉やお歯黒をつけた貴族はドラマでもおなじみ。
彼らの頂点に立つ天皇も例外ではなく、孝明天皇までは化粧をして女性的な姿をしていました。
そういった伝統的な天皇の様子を欧米列強の外交官に見られてしまうことが「いかん!」と考えた明治政府が皇室の伝統を変えたのです。
軍服姿で馬に乗る皇族は、あくまで明治以降の産物。
女性は女性として権利を行使できた――そんな日本の伝統が明治政府に壊されてしまったんですね。
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中世に寄り添うことを目指した『鎌倉殿の13人』は、明治以降に閉ざされたジェンダーの扉を開き、政治を切り回す魅力もありました。
それが丹後局と北条政子の会見――。
二人のやりとりをもう一度ご覧になりたい方は、NHKオンデマンド(→link)やBlu-ray(→amazon)などでお楽しみください。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
上横手雅敬『鎌倉時代―その光と影』(→amazon)
野村育世『北条政子―尼将軍の時代』(→amazon)
『新書版 性差(ジェンダー)の日本史』(→amazon)
若桑みどり『皇后の肖像――昭憲皇太后の表象と女性の国民化』(→amazon)
他