北条義時の死因は脚気

伊豆の国市にある北条義時館跡

源平・鎌倉・室町

史実の北条義時は一体どんな最期を迎えたのか? 死因は意外なアノ病気だった

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
北条義時の死因
をクリックお願いします。

 

江戸患い

実は脚気は、欧米でほとんど起きない病気です。

主食となる小麦や大麦、あるいは豚肉などにもビタミンB1が多く含まれており、洋食だと十分に補充できるからです。

では日本ではどうか?

『日本書紀』にも脚気と思われる病気が出てきます。

しかしそれは皇族や貴族に限られました。

平安時代、現在のようなコメを吹き蒸らす調理法が確立され、糖質が高く栄養価の低い白米が食べられるようになるのですが、精米作業や栽培にコストがかかるため、一部のお金持ちに限られた話。

庶民は、精米されていない米と一緒にアワやヒエなどの雑穀、ときには山菜などの葉っぱ類も煮る調理法だったため、かえって栄養に恵まれ、ビタミンB1不足で発症する脚気は縁遠い病気でした。

鎌倉政権が発足してからの義時さんは、贅沢な暮らしができたでしょうから、白米が増えてビタミンB1が不足した可能性は否めませんね。

なお、時が進み、江戸時代になると庶民の間でも脚気が大流行します。

室町時代以降、コメが広く普及するようになり、江戸時代には精米された白米を食べる風習が武士から庶民へ伝播したのです。

白米は味が良いだけでなく、玄米よりも早く炊けて、薪が節約できたので選ばない手はありません。

特に脚気は、地方より食料事情の良い江戸で広まったため『江戸患い』と呼ばれました。

13代将軍・徳川家定の死因も脚気に伴う心不全と言われ、14代将軍・徳川家茂の妻である和宮も同じく脚気で亡くなっております。

 

明治末から大正にかけ毎年1〜3万人が

脚気は明治維新以降も猛威をふるい軍隊でも多数の犠牲者を出しました。

しかし明治43年に鈴木梅太郎が米糠の中に脚気に効く成分(後にオリザニンと命名)があることを発見。

栄養素(ビタミンB1)の不足が脚気の原因だと解明されますが、それでも死亡患者数は減らず、明治末から大正にかけてが最多となり毎年1〜3万人が亡くなっていました。

ここまで読んで「白米しか食べてない!玄米なのか!」とガタプルした皆さんも安心して下さい。

現代日本においては、ある程度バランスが取れた食事をしている限りビタミンB1不足にはなりません。

ただし、アルコールをめちゃめちゃ飲んでる人は要注意ですよ。自戒も込めて……。

あわせて読みたい関連記事

承久の乱
承久の乱~なぜ後鳥羽上皇は義時へ戦を仕掛けたのか 鎌倉幕府を舐めていた?

続きを見る

和田合戦
和田合戦(義盛vs義時)の結果は紙一重だった?鎌倉を戦場にした哀しき権力争い

続きを見る

鳥取の渇え殺し三木の干し殺し
鳥取の渇え殺しと三木の干し殺しで人肉の恐怖~人は飢えると獣になる

続きを見る

コメントはFacebookへ

三成腹
三成が関ヶ原で負けたのは三成腹のせい?重圧で腹痛や下痢を発症

続きを見る

「私は医者だ!」と名乗れば医者になれた?江戸~明治時代の医療事情とは

続きを見る

尻はす死
戦国一の謀殺王が迎えた最期は「尻はす死」それは一体どんな死に様だったのか

続きを見る

文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
本人のamebloはコチラ♪

◆拙著の新刊『戦後国診察室2』が発売中! 皆様、何卒よろしくお願いします!

※著者のテンション上がりますので、できましたら感想はamazonレビューへお願いします! →amazon

戦国診察室表紙

【参考】
脚気の発生/農林水産省(→link
早川智『戦国武将を診る 源平から幕末まで、歴史を彩った主役たちの病』(→amazon
本郷和人『北条氏の時代』(→amazon
岩田慎平『北条義時-鎌倉殿を補佐した二代目執権』(→amazon
宮崎正勝『知っておきたい「食」の日本史』(→amazon
脚気/wikipedia(→link

TOPページへ

 



-源平・鎌倉・室町
-,

×