突如、出会ってしまったら最後。
ある意味、闇鍋状態でいつ起きるのかわからないのが戦争・合戦の常ですが、指揮官にとって最も難儀なのが、言うとおりに命令を聞いてくれない兵や武将たちでしょう。
それが頻発したのが【関ヶ原の戦い】。
よりにもよって日本一の大戦で制御不能な事態が起きるのですから戦は面白い――つーことでマンガ「日本史ブギウギ」第180話スタート!
戦の段取り
◆関ヶ原と松尾山と言えば?
そう、東軍についた小早川秀秋さんですね。
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いきなり暗い表情を浮かべておりますが……。
家康のオファー
◆豊臣秀頼の誕生により、関白候補から小早川家へ追い出された秀秋さん。
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最初から「アイツ、東軍だろ……」と石田三成らに警戒されていたという見方もありますよね。
そのときの備えのために松尾山の麓には大谷吉継や平塚為広をはじめとした武将が配置されておりました。
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空弁当
◆井伊直政の「抜け駆け」によって始まった関ヶ原の戦い――。
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豊臣五奉行の一人でもあった長束正家は、東軍の背後に回り込める絶好の位置を陣取っておりました。
ここで長束軍らが徳川の後続部隊(池田輝政・浅野幸長・山内一豊・有馬則頼)に襲いかかっておけばかなり展開は変わっていたでしょう。
しかし、そうはなりません。
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長束の進軍を邪魔するかのように、味方であったはずの吉川広家や毛利秀元が動かなかったのです。
このとき広家は「兵たちがメシ食ってるから動けん!」と断ったことから【宰相殿の空弁当】などと揶揄されることになるのですが、よく見りゃ
・小早川
・吉川
・毛利
という毛利勢が関ヶ原の行方を握っていたとも言えますね。
三成は、毛利輝元を総大将として担ぐだけでなく、もっと他にケアすべきだったのでしょう。
1万を超える吉川・毛利勢が動けば、東軍は挟撃のプレッシャーに遭い、さしもの徳川軍団も動揺したに違いありません。しかし……。
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