諸葛亮孔明

絵・小久ヒロ

「待てあわてるな」日本人は天才軍師・諸葛亮孔明をどう見てきた?

2023年秋、向井理さんが諸葛孔明を演じます。

パリピ孔明』です。

◆「パリピ孔明」ドラマ化決定!諸葛孔明役は向井理「帽子の高さも含めると210cm近い」(→link

こんなことをして中国ではどう思われるのか?

おそらく「いいんじゃない? 昔から日本では好き放題やってるじゃない。出来が良ければ楽しむよ!」という具合に受け止められると思いますが、いったい「昔から」とはいつ頃のことなのか。

具体的にいえば、江戸時代以降です。

書籍が次々に輸入されるようになり、識字率が上がった日本人は中国の本を読み漁り、独自の解釈で楽しむようになりました。

川柳のネタにしたり、浮世絵の題材にしたり。

例えば幕末から明治に活躍した浮世絵師・月岡芳年のシリーズ作品『月百姿』には曹操を描いたものがあります。

孫権・劉備連合軍との決戦【赤壁の戦い】前夜、南屏山から昇る満月を船の上から眺めている後ろ姿が描かれました。手には矛――このポーズだけで、どんな場面かわかる秀逸な作品です。

北宋・蘇軾(そしょく)の「赤壁賦」にある「槊(ほこ)を横たえて詩を賦(ふ)す」(矛を手にして詩を詠む。文武両道)を表した高度な絵であり、これは本場から見ても「センスがいいなぁ……」となる典型例でしょう。

中国語版Wikipediaには、中国の故事や歴史上の人物を表す絵画として、浮世絵もしばしば引用されます。昔から中国の英雄を日本人が楽しむことを許容してきた歴史があるわけですね。

近年ですと映画『新解釈三国志』は、中国では酷評の嵐でした。

『パリピ孔明』は、中国でその設定そのものは受け入れられるにせよ、作品の出来が重要視されることでしょう。

それを踏まえまして。

『三国志』関連の人物伝を執筆するならば、別格扱いで最初に取り組むべき人物として、以下二名が頭に浮かびました。

曹操

諸葛亮孔明

この二人だけは、長くなる。

今にして思えば、曹操はもっとテーマ別に分割すべきでした(以下の記事は8万字以上あります、スミマセン)。

規格外の英雄その名は曹操!乱世の奸雄は66年の生涯で何を夢見ていたか?

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その反省をふまえて、諸葛亮は分割して考えたいと思います。

通常の人物であれば、武将、政治家、思想家、文学者……そういった像でだいたいが分析できます。

しかし、曹操と諸葛亮はその姿が多く複雑です。

この二人を別格とみなす考え方は私独自でもありません。

吉川英治氏の『三国志』においても前半部の主役が曹操、後半部の主役が諸葛亮とされておりました。

前置きはこれぐらいにして、諸葛亮の日本での受容について、振り返ってゆきたいと思います。

※文中敬称略

 

「諸葛亮の何がそんなにすごいの?」

呉の人物を記すのは、誤解を恐れずに言えば割と楽。

魏の大半の人物もそうです。

「過小評価されているから『演義』のことは考えずにいきましょう」

以下、周瑜の記事もそうでした。

周瑜
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これが魏での曹操、晋を建国する司馬懿となると、複雑ではあります。

「『演義』で悪辣さを割り増ししてあるけれども、史実の時点でそういう要素はあります」

司馬懿
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一番ややこしいのが、蜀の人物。

正史について振り返りつつ、『演義』はじめフィクションの味付けを分析する必要があります。

中でも関羽は、神格化されただけに受容を別テーマにする必要があります。

関羽
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他ならぬ諸葛亮も同じ。人気が別格であるがゆえに、いろいろとややこしいのです。

そういうアンタはどうなんだ、諸葛亮が好きなのか、そういう疑問はあるかもしれません。

正直に言います。

ひねくれていると前置きしまして、あまり好きでもなかった。

なんだかアイツだけ、忙しいところで楽をしているような。気取ってマウントしているような。性格もよろしくないと思える。

義だなんだというけれども、それはあくまで味方に対してだけ。

さんざん周瑜や王朗を煽り死に追いやり、藤甲兵でバーベキューをする姿は、根性が悪いとすら思えてしまいました。

 

三国志ファンに恐る恐る尋ねてみたところ、実は、そう考えているのが自分一人でもなかったとわかって、驚いた記憶があります。

 

武士「やはり関羽でござる」

戦国時代まで、武士は禅僧から教養としての漢籍を学びました。

そんな乱世が終わると、徳川家康は儒学者・林羅山を登用し、儒教を教養として取り入れます。

時代が降るにつれ、武士にとって儒教はますます重要視され、学校と孔子廟のセットは定番化しました。

こうした儒教を学ぶ場やテキストには、中国歴代名臣がロールモデルとして並びます。

諸葛亮も、そうした儒教を守った名臣扱いであり、唐の魏徴や房玄齢と並ぶ存在です。

こういう真面目でお堅いテキストで接しても「ああ、あの偉い人か」になりがちでして。

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一方、アツいコンテンツが日本に上陸します。

印刷技術と商業が発達し、『三国志演義』が漢籍として輸入できるようになると、日本人はむさぼり読みました。

『三国志演義』は、「章回小説」と呼ばれる口語体のジャンルに入ります。読みやすく、挿絵も入る。今でいうところのライトノベルですね。しかし日本では漢籍ならば教養として扱われます。

そのため武士階級では、あるべき義士の心得を学ぶ教養として楽しまれ、全国各地の藩校でテキストに採用されたほどです。

薩摩藩士たちは『三国志演義』等のテキストを輪読して、英気を養う行事もありました。

そこでふと疑問に思います。

日本の武士にとって諸葛亮のような軍師はどう受容されたのか?

ここが難しいところではあり、

そもそも軍師とは何ぞや?

という問題から考えねばなりません。

日本で代表的な軍師的存在は黒田官兵衛竹中半兵衛あたりでしょう。

他にも

本多正信
直江兼続
片倉小十郎景綱
山本勘助
小早川隆景
真田昌幸

こういうメンツを見ると「戦国時代の軍師だなぁ」となるわけですが、当時、軍師という概念が実在したかどうか、ここは考えどころです。

軍師イメージの源流ともされる「軍配者」は、気象予報、占術、儀式の担当者であり、参謀役である軍師像とは異なります。

軍師像は『三国志演義』や『水滸伝』といった大陸由来のフィクションから膨らませた――そんなイメージ借用の形跡があります。

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日本の武士は、中国大陸や朝鮮半島の将とは求められる資質が違います。

ここで挙げた「軍師」たちは「賢い、あるいは補佐役を務めた武将」であり、例えば太原雪斎のような僧侶ならば軍師に近いとはいえます。

しかし、武士は「弓馬の道」が「武士の道」と同意であるとされるほど、個人的な武勇が重視されました。

諸葛亮のように、車に乗って移動する姿は、何か違うわけです。

大谷吉継のように、病気によって歩行困難となれば仕方ないにせよ、はじめから馬に乗れないほど脆弱では、とても武士とは言えない。

というのも、日本以外の東アジアでは、科挙合格者が武科挙(実技のある軍人登用制度)より上の階級につくこともしばしばありました。

名将に求められる条件も異なります。

個人的武勇はそこまで大きくは問われず、むしろ知略を駆使して、勝てる戦術と戦略を巧みに組み立てる。そのことが重視されるのです。

日本における武士の理想像と、それ以外の東アジアの将に求められるものは異なるんですね。

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そうなりますと、武士の理想も「武勇があって義を尽くす・関羽」となるのも無理もない。

江戸時代まで、武士の間でも諸葛亮は関羽ほど人気ではありませんでした。

『三国志』のファンだった少年時代の近藤勇は「関羽はまだ生きているの?」と語っていたそうです。

これも、関羽人気の一例でしょう。

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