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ヴィクトリア女王/Wikipediaより引用

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イギリス 週刊武春

ヴィクトリア女王の身に潜む「悲劇の血」 ヨーロッパ王室を血友病の恐怖が襲った

更新日:

大英帝国全盛期の象徴として名高いヴィクトリア女王

愛する夫・アルバートとの間に4男5女を授かり、王女たちは他国の王室に嫁ぎ、多くの孫にも恵まれたため、彼女はいつしか「ヨーロッパの祖母」と呼ばれるようになりました。

しかし、このことがヨーロッパ王室に暗い影を落とす悲劇にもなったのです。
ヴィクトリアは、血友病の遺伝子を持っていたのです。

血友病とは先天性の血液凝固異常です。出血が自然に止まるということがないため、ちょっとした切り傷や青あざでも致命的な状況をもたらす恐怖の症状。一体この遺伝子はどこから来たのか。
現在では、ヴィクトリアの父・ケント公エドワードのX染色体に異常が発生したのではないかと見られています。この異常は父親が高齢であるほど発生しやすいのです。

ヴィクトリアが生まれた時、エドワードは51歳でした。

 

王子たちを襲う悲劇 四男レオポルドは30歳で死亡

ヴィクトリアの子に中で、血友病が発症したのは四男のレオポルドでした。
他のきょうだいたちが回復するような病でも、彼の場合は重症化。血友病の危険性を知ったヴィクトリアは、息子に無理をしないように何度も言いつけます。

しかし聡明で勤勉なレオポルドは従いません。
公務や学業をこなし、結婚して子供をも持ちました。彼は三十歳という若さで、大量出血のために亡くなる時まで、普通の生活を送ろうと懸命に努力していたのです。

発症したのはレオポルドだけでしたが、他国に嫁いだ彼の姉妹ヴィッキー(長女ドイツ皇帝フリードリヒ3世妃)とアリス(二女、ヘッセン大公ルートヴィヒ4世妃)も、血友病因子を持っていました。
その不幸な結果がわかるのは、時代がくだってからです。

彼女らは幼い息子たちを亡くしましたが、感染症とみられていました。当時、幼児の死は決して珍しいことではなく、それは王室でも例外ではありません。幼い王子たちの死は悲劇ではあるけれども、ある程度仕方のないことと受け止められました。

血友病が死を早めたのか、そうではないのか?
まだ判断はできませんでした。

ヴィクトリア女王の四男・レオポルド/wikipediaより引用

 

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スペイン王・アルフォンソ13世のもとに嫁いだエナの子も

本当の恐ろしさがわかるのは、ヴィクトリアの孫世代以降です。スペイン王・アルフォンソ13世は、周囲からの警告に耳を貸さず、ヴィクトリアの孫・エナ(ヴィクトリアとも、ヴィクトリアの五女・ベアトリスの長女)を結婚相手に選びました。

アルフォンソ13世/wikipediaより引用

「まあ、たくさん子作りすれば、きちんと育つ子も生まれよう」

アルフォンソはそんな楽観的な考えでおりました。
血友病のリスクはあるといえ、エナはグラマラスな美女。アルフォンソはその誘惑に勝てなかったのです。

しかし、生まれた王子が生後まもなくして血友病だと発覚すると、理不尽にも王妃となったエナを責め立てるアルフォンソ。夫婦の仲は険悪なものとなってしまいます。
夫妻の七人の子のうち、血友病の王子は二人。彼らは成人こそしたものの、レオポルド王子のように短い生涯を送ることとなったのでした。

スペイン王室は血友病の悲劇に襲われたものの、まだしも被害が少ない方であったと言えるのではないでしょうか。
1931年には追放されたものの、子孫は1975年に返り咲き、王政復古が実現しています。

アルフォンソ13世の子どもたち/wikipediaより引用

 

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悩めるアレクサンドラの前に現れた怪僧ラスプーチン

アリスの四女・アレクサンドラ王女は、ロシアのロマノフ家・ニコライ2世に嫁ぎました。結婚してから十年目に、待望の皇太子アレクセイが誕生します。

しかし生後六週目にして、臍のあたりから出血し三日間も止まりませんでした。皇帝夫妻は我が子を襲った病魔を嘆き悲しみました。
アレクセイは些細な怪我でも出血し、痛みに苦しめられるのです。

アレクサンドラは我が子の病魔は、自分の血のせいだと悟っていました。彼女にとって甥にあたる姉妹の子たちも、血友病に苦しめられていたからです。
そして一心不乱に祈り続け、次第に彼女は、現代ならば鬱病と診断されるような心身の苦しみを抱えるようになります。

ロマノフ一家を襲った悲劇は、単なる家庭の悲劇ではおさまりません。
当時は民衆の不満が高まり、皇帝による支配が揺らぎだしていた時代なのです。ここでロシアの皇太子が病に倒れたら、ただでさえ脆弱な王家はもう持たないことでしょう。

我が子のために祈り続けるアレクサンドラの前に、現れたのが怪僧として知られる僧侶。

そう、ラスプーチンです。

怪僧ラスプーチン/wikipediaより引用

日本のフィクションにもしばしば登場するこの男、元は貧農出身でした。
彼はただの僧侶というよりも、スピリチュアルな治療を得意とするという、要するに怪しい男でした。
しかし抜群のカリスマ性を持つラスプーチンは、ロマノフ家の人々すら信頼させます。

なんとラスプーチンは、他の医者がさじを投げたアレクセイの痛みを止めてみせたのです。しかも一度だけではなく、何度も「奇跡」を行いました。
ラスプーチンが一体何を行っていたかは、よくわからないのですが。

 

毒でも死なず、銃でも棍棒でも死なず、ついには極寒の川で溺死

かくしてアレクサンドラの心をつかんだラスプーチンは、しまいには国政にまで口を出すようになります。なにせアレクサンドラにとってラスプーチンは救世主です。

とはいえ、怪しい僧侶が国政を牛耳ることを、他の貴族が指をくわえて見ているわけもありません。

1916年、ラスプーチンは敵対する貴族がはなった刺客に襲われます。が、毒を飲まされても死なず、銃で撃たれ、棍棒で殴られでも息がありました。
刺客はついに標的を酷寒の川に放り込み、ようやく溺死させます。

ここまで丈夫だと、本当にラスプーチンは何か「奇跡」でもあやつっていたのではないか、と思わされてしまいます。

一方、ラスプーチンの死に、皇帝夫妻はパニックに陥りました。もはやロマノフ家はこれまで、命運は尽きたと嘆いたのです。
実際、この予感は当たってしまいます。

ニコライ二世/wikipediaより引用

ラスプーチンの死から三ヶ月後の1917年3月15日、ニコライは退位に追い込まれるのです。
退位の翌年1918年7月17日、皇帝一家はシベリアの建物内で銃殺されたのでした。

ヴィクトリア女王の血に混じっていた血友病の遺伝子。その影響は彼女のあと三世代に及び、子孫のうち16人に発症しました。

偉大なる女王の血が歴史に落とした、悲劇的な影でした。

文:小檜山青

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