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背景は喜多川歌麿『ポッピンを吹く娘』/wikipediaより引用

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『べらぼう』感想あらすじレビュー第31回我が名は天~家治と治済そして新之助

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『べらぼう』感想あらすじレビュー第31回我が名は天
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小さな命が消えた

新之助が「今日はついておったな」と満足げに買い出しをしつつ、家に戻ってきます。

すると啜り泣く声が聞こえてきます。

そこには菰を被せられた何かがあり、女が座り泣いています。

菰をめくった下にあったのは、変わり果てた姿のふくでした。

唇が紫色になり、額には血が滲んでいます。その横には布に包まれた赤子が。

「おふく……とよ坊……おい……ふく、坊! ふく! ふく、おい……ふく! 返事してくれよ、ふく! なあ、ふく! 返事してくれよ、おい、ふく、ふく!」

新之助がはらわたが千切れそうな声でそう呼び、さすっても、ふくは目を閉じたまま動きません。

耕書堂にも、ふくの死が告げられました。

請け人である蔦重が駆けつけると、奉行所の役人も来ています。

新之助が、菰を被せたふくの屍の横にいました。

奉行所の同心が事件の説明をします。空腹ゆえに盗みに入り、争った挙句殺されたのだろうという見立て。手にしているのは凶器と思われる丼です。

すると下手人らしき男が長七によって捕えられ、表に連れられてきます。

「お許しくだせえ! お、お許しくだ……」

そう泣きじゃくる男。新之助は目にカッと怒りの炎を燃やし、男に歩み寄ってゆきます。

「お許しくださいませ〜〜! ああ、あ……おら、あ、おら……」

「わ、わ、私が……あの家には米があるんじゃないかって言っちまったもんで……この人、魔が差しちまって!」

そう男の横で謝る女は、ふくが乳を与えていた赤子の母でした。赤子が、火がついたように泣いています。

「とんでもないことをいたしました!」

「申し訳ございません!」

新之助の顔から怒りは消え、代わりに困惑が滲んできます。

「……この者は俺ではないか。俺は……俺はどこの何に向かって怒ればいいのだ!」

蔦重は目を逸らし呆然とするしかありません。

長屋の者たちが皆、赤子の鳴き声の前で何も言えず黙りこくるしかありませんでした。

妻子を埋めた土饅頭――その前にいる新之助に向かって、蔦重がうちに来ないかと声を掛けています。

長屋にいたら気が塞ぐばかり、体もきついだろうと気遣っているのです。

「もうどこまで逃げても、逃げきれぬ気がする。いや……もはや逃げてはならぬ気もする。この場所から……」

そう決意を語る彼の前には、無数の土饅頭が並んでいるのでした。

 


MVP:天意を知る者

今回は複数名を指名できるのではないかと思います。

一人目は徳川家治です。

徳川家治/wikipediaより引用

田沼路線こそ必要だと勧めた家治は、彼なりに天の声を考え聞いていたと思えます。

死の間際にこれから自身が天の一部となると言いましたが、そんな彼の目に映るのはどんな時代なのか。

天意よりも私利私欲を重んじ、取り返しのつかぬところまで幕政を捻じ曲げてしまうのが一橋治済徳川家斉の時代です。

そのことでかえって「余とその忠臣こそ、天意を知っていたのだ」と思うのかもしれませんが……。

二人目は、一橋治済です。

徳川治済(一橋治済)/wikipediaより引用

彼の知ってしまった天意は、幕府は滅びるというものかもしれませんが。

徳川家というのは妙な運命を背負っています。

将軍家の血を絶やさぬために設けた御三家と御三卿から取り返しのつかない“やらかし”をするものが出てきます。

前述の通り、家斉は治済の教えを受け、子作りに励みます。

結果、大名家に男子を送り込むことが増大。

なんと御三家の水戸までそうなりそうになったところ、亡くなった藩主の弟である徳川斉昭と藩士が大反対運動をして、退けることになります。

徳川斉昭/wikipediaより引用

この徳川斉昭は幕末大河の常連であり『青天を衝け』では竹中直人さんが演じました。

これまた治済と似た野心を激らせまして、13代将軍・徳川家定に男子ができぬとなったとき、一橋家を継がせていた我が子の慶喜を西の丸に据えようとします。

黒船来航で大変な時期に、一体何を考えていたのか。

斉昭の野心のせいで幕政は混乱に陥り、井伊直弼が凶刃に斃れた桜田門外の変の一因にもなります。しかもその事件は、幕府崩壊へ拍車をかけたものでした。

明治の世になると幕臣たちは「水戸斉昭と慶喜父子のせいで幕府は滅びた」と苦々しく振り返ったものです。

個人単位で幕政に悪影響を落とした人物ランキングを作るとすれば、一橋治済、徳川斉昭、徳川慶喜は上位ランクインは間違いないかと思えます。

斉昭に与した一派は「一橋派」と称され、島津斉彬らも含まれているためか英明な扱いをされていますが、大変な時に私利私欲をゴリ押ししたとんでもない連中と言えます。

再来年の斉昭や慶喜は、今年の治済級の妖怪感ある描写を期待しております。

そして最後は、新之助です。

新之助は田沼政策に理解を示す蔦重の話を、はじめは好意的に受け止めておりました。

しかし妻であるふくの意見を聞き、迷いが生じます。

そしてその妻と子を失うことで、彼は別の道へ歩み出す天意を聞いてしまったように思えます。

妻子を殺した相手の赤子が泣く声を聞き、彼は誰が悪いわけでもない――その境地に到達した。

ふくととよ坊の死は酷いことこの上ないものの、九郎助稲荷が言うように小さな死に過ぎません。

そんな忘れさられてゆくような小さな死が新之助という男を変え、民衆を導くとは、まさに歴史が変わる瞬間です。

フランス革命と田沼政治末期は重なります。

近世が近代へと変わりゆく天の声を、新之助は聞きました。歴史が変わる天の声が、涙とともに降り注ぐ瞬間を描くとは、まったく大したドラマではないですか。

 


総評

今回のふくととよ坊の死は「よくぞ死なせた」と私はむしろ言いたい。

むろん、辛い、酷いものです。

しかしふくという女性は、新之助と手に手を取り合って吉原から消えていったところで終わらせてはなりません。

吉原の天女が、長屋の菩薩となり、天の声を伝える存在として消えてゆく――それはそれでひとつの人生ではないでしょうか。

吉原にいたときの、人工的な姿のままふっと消えることは、そりゃ美しいかもしれません。

しかし、その先にだって彼女らは生きていた。

ならば、どれだけ悲しくとも、その先を辿ることには意義があると思えるのです。

彼女たちはその時代を生きた、血の通った人間です。その生涯を終わるまで描くことには大きな意義がある。

月岡芳年『風俗三十二相 かわゆらしさう』/wikipediaより引用

今回の展開は、森下佳子さんの意向だと捉える視聴者もいらっしゃると思います。

しかし、彼女だけではないスタッフの意向も当然のことながら反映されているのではないでしょうか。

特に歴史上の人物ではない、現在では「オリキャラ」と言われる存在は、その意向が反映されます。

このドラマは『麒麟がくる』のチームです。あの作品では駒、望月東庵、以呂波太夫といった人物が重要な役割を果たしていました。

オープニングでは名もなき民が座っている映像もあり、歴史を作るのは民衆たちもそうであると描くドラマだと感じさせられたものです。

民衆目線で歴史を語ることは、正史に対する稗史として軽視できないものとされてきました。

それがどういうわけか日本では、司馬遼太郎にせよ大河ドラマにせよ、英雄視点のものばかりが主流になってきた。

かつては「オリキャラ」が主役となる大河があったにも関わらず、それを目の敵にすることこそが歴史通の態度であるかのようにされ始めた。その弊害を『麒麟がくる』のオリキャラに対する反応を見て痛感させられたものです。

もしもウケ狙いだけを考えるのであれば、それこそ市井の庶民目線で描く大河など避けたでしょう。

しかし、本作では逆にそこを深めてきた、それが実に素晴らしいと感じます。

『麒麟がくる』の放映中、SNSで延々と駒に対する罵倒を繰り返し、不要だのなんだの言ってきた方も、さすがに今回のふくととよ坊に対してはそんなことは言えないと思いたい。

民衆も社会を構成する重要な要素であるということがさすがに感じられたはずです。

こういうことを言い出すと、マルクス史観だのなんだの突っ込まれたりもしますが、マルクス史観が歴史を歪めてきたという認識が時代錯誤だと思われ、私はそこに乗る気はございません。

『べらぼう』は、時代としても近世から近代への入り口に立った地点であり、民衆の時代に突入するターニングポイントです。

それを描くうえで、新之助の身に降りかかった悲劇は実に意義のあることだったと思います。

歴史総合の時代に相応しい革新的なドラマとして、紛れもなく記憶されることでしょう。

最後に苦言でも。

森下佳子さんに「人の心があるんか?」とSNSでネタ半分で言われていることに納得ができません。

視聴者の心を傷つけたいがために、このタイミングまで狙っていたように言われるのも腑に落ちません。

天明の打ち壊しという史実へ向けたタイミング選択ではありませんか。

そしてこう苦言を呈したい。

そう書き込んでいるあなたこそ、人の心を見失っておりませんか?

人の心がないと言う描写は、『どうする家康』においてマザーセナを救うためならその辺の女を身代わりにすると言い出したような場面でしょう。

あれは民草の命は使い捨てだと言わんばかりの傲慢極まりない態度でした。

タイミングにしたって、歴史劇はまず整合性やらなにやらあるので、ウケ狙いでそうホイホイ変えてはいけないものです。

小さな小さな命が失われることを、こうも重く意義があるものとして描くことこそ、人としての仁ある態度だと私はむしろ思います。


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文:武者震之助note

【参考】
べらぼう/公式サイト

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