べらぼう感想あらすじレビュー

背景は喜多川歌麿『ポッピンを吹く娘』/wikipediaより引用

べらぼう感想あらすじ べらぼう

『べらぼう』感想あらすじレビュー第41回歌麿筆美人大首絵

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
『べらぼう』感想あらすじレビュー第41回歌麿筆美人大首絵
をクリックお願いします。

 


世間の物差しよりも、自分の好き嫌いが大事だ

雲母摺が嫌だったのか?

蔦重が歌麿に尋ねると、むしろ感心しています。

江戸がひっくり返るくらいバカ売れを狙うと鼻息も荒い蔦重に、歌麿はちょっと拗ねたようにこう言います。

「畳入れたいから?」

これはそこを否定して、自分を当代一の絵師にしたいからと答えて欲しいのでしょう。

蔦重は畳について認めたあと、こう言います。

「お前を当代一の絵師にして、蔦屋の名も上げてえし、江戸を沸き返らせたい」

田沼時代の賑わいにまで戻したいという、壮大な夢を語る蔦重。

「蔦重は変わんねえな」

ちょっと拗ねたように返す歌麿。

なんでしょう、昨年の『光る君へ』のまひろと道長を連想しました。愛が根底にあるから利用してもよいと言いたげな鈍感道長と、蔦重が被って見えます。

そして歌麿は、まひろほど割り切れていないように思えます。

ここでヤツが接近してきます。滝沢瑣吉でやんす。

滝沢は歌麿の顔をしげしげと眺め、触れ、こう言います。

「やはりそうだと思うのだがな。お主、男色ではないのか? もしくは両刀」

滝沢の失礼な態度を見ちゃいられないつよが柄杓で頭を引っ叩き、無礼だと嗜めます。

「町人の分際でどっちが無礼だ!」とウダウダうるさい滝沢。

蔦重が歌麿に対し、無礼で思い込みが激しい奴だとフォローを入れています。接客に向いてねえな。

「両刀だよ、瑣吉さん。俺は男も女も好きさ」

ややあって歌麿はそう返します。蔦重とていも静かに聞いている。

「やはり、やはりそうか!」

ガハハ笑いをする滝沢に対し、歌麿はさらに付け加えます。

「けど瑣吉さんは違うのかい?」

「俺は筋金入りの女好きだ。女も俺を好きだしな、ハハハハハハ!」

これは貴重な馬琴像といえます。

『八犬伝』執筆となると、女好きについてはさすがにおとなしくなります。馬琴について言及されるのは、この枯れたあとの時代が多いのです。

むしろ女性の描き方がよろしくないとか、色悪(セクシーな悪役)を魅力的に描けないとか、家庭生活でも我が子の恋愛に厳しいとか、そういうどちらかといえばモテない要素が語られることの多い人物。

江戸随一のパリピモテ男・山東京伝とは対照的ですね。

「そうかい。でも蔦重とおつよさんだったらどっちが好きだい?」

「そりゃ、蔦重に決まってる」

これも面白い。曲亭馬琴は人をまず誉めないどころか罵倒することばかりなのに、蔦重については性格面を誉めておりますので。

「筋金入りの女好きなのに、女より好きな男がいるのかい? 俺はそもそも、男か女かで人を分けたりしねえんだよ。俺は“好きな人”と“それ以外”で分けてるもんでさ。その“好きな人”は男のこともありゃ、女の子ともある。まぁ、世間様の物差しに当てりゃ、両刀ってことになる。実は瑣吉さんもそうってことはねえのかい?」

ここで滝沢が困惑するのもまた、面白い。

彼は妻との仲が悪い。一方で葛飾北斎とは短期間ながら同居経験もある。

映画『八犬伝』およびその原作では、馬琴と北斎のほのぼのコンビが夫婦以上にお似合いの二人に見えます。

つよもこの返しに安堵しているようです。

 


歌麿の心を心配するつよ

ここは本作屈指の名場面、かつ、多様性を描く上でここまで到達できたという感があります。

平賀源内の男色描写もありましたが、歌麿はさらに深めてきました。

源内は好みの男性を見ると裾を捲ってしまったり、蔦重にもセクハラをしておりました。

一方の歌麿は、男女いずれが相手であっても性的な描写はなされておりません。

性的に関係を持つか持たないかはさておき、相手に好意を抱くかどうか。そんなものを無理に定義しなくてもよい。そこまで到達しております。

歌麿のセクシュアリティは色々と言われております。

妻のきよから梅毒に感染させられていないのは、性的関係がないからだという推察も。

梅毒は感染状態によって罹患させるかどうか判別が難しいもので、これだけで二人は関係がなかったとは言い切れません。

あっしとしちゃあ、どっちでもいいと思うんですよ。

歌麿本人がどういう形で誰を愛そうがどうでもいい。無理に定義しなくてもいいじゃねえか。そこを世間の物差しに当てるのは野暮で無粋。そういうことだと思いやすぜ。

この歌麿の言葉にできない、世間の物差しで測れない心が、絵となって昇華していったのかと思うと、もう彼の絵をどう見ていいのかわからなくなります。

どうして歌麿の絵を見てここまで心を掻き乱されることになるのか。本当にべらぼうなことですぜ。

つよが、滝沢を追い出すように言い出します。見どころがあると引き留めようとする蔦重に対し、黄表紙だけ頼めばよいという。

この場面は何気ないようで、社会の変化を感じさせます。

平成前半や昭和までであれば「偉大な未来の作家を見抜く蔦重こそ大物、些細なことで追い出そうとするつよは小物」という誘導をされてもおかしくない。

それが令和の今見てみると、蔦重が鈍感に思えなくもない。

ここでつよはさらに苛立ち、歌麿が平気だったのかどうか考えるように促します。蔦重はここでようやくハッとして、何か聞いているのか?と尋ねる。

見てりゃわかると返すつよは、歌麿のことを庇おうとするも、ここでまたあの頭痛が出てきてしまいます。

それでも彼女は歌麿を大事にするように釘を刺し、本当に捨てられると警告するのです。

これも後に響いてきそうに思えますね。二人のやりとりを聞いていたていが部屋に入ってくると、蔦重はていに医者を呼ぶよう頼むのでした。

 


おていさんの書物目利き

ていは書物三十本のリストを持参していました。

「枯れ木も山の賑わい」と言いつつ力強いおていさんは、謙遜しております。それを察した蔦重は居住まいを正して受け取る。

『江戸書物一統之指南記』:江戸の書物リスト

『江戸猫詣曼荼羅』:猫好き向けガイドブック

『艶筆新書』:女性向け書道ガイド

これはなかなかよい品揃えですね。

江戸の書物リストは手堅い。それだけでなく女性向けの品揃えです。

吉原女郎は美しく柔らかい筆跡で心を掴む艶書(ラブレター)を書いておりました。

『艶筆新書』は、地女(一般人女性)向けということです。

『江戸猫詣曼荼羅』もそれらしい。山東京伝の弟である京山は『朧月猫草紙』という、にゃんこの恋物語で大ヒットを飛ばしました。往年の名作少女漫画『綿の国星』のような作品でやんす。

京山は兄と違って遅咲きで、女性向けの本でヒットを飛ばし、曲亭馬琴と犬猿の仲であった文人。

そのお江戸にゃんこブームを先んじたチョイスといえますぜ。

流行猫の戯『かゞ見やま 草履恥の段』山東京山・歌川国芳/wikipediaより引用

これだけ揃えても謙虚なところがおていさんらしさですね。まぁ、面倒くさいっちゃそうか。

おていさんはノリが唐心(からごころ・中国風)ですんで、『三国志演義』の軍師が「愚策ではありますが」と前置きしつつ、自信満々の計略を出してくるようなことをいちいちするんですな。

※続きは【次のページへ】をclick!


次のページへ >

リンクフリー 本サイトはリンク報告不要で大歓迎です。
記事やイラストの無断転載は固くお断りいたします。
引用・転載をご希望の際は お問い合わせ よりご一報ください。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

武者震之助

大河ドラマレビュー担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

-べらぼう感想あらすじ, べらぼう
-