べらぼう感想あらすじレビュー

背景は喜多川歌麿『ポッピンを吹く娘』/wikipediaより引用

べらぼう感想あらすじ

『べらぼう』感想あらすじレビュー第41回歌麿筆美人大首絵

2025/10/28

須原屋に何があったのか?

市兵衛の前に立つ蔦重。

なんと須原屋も身上半減の処罰を受けておりました。

 


封じられたロシア情報

いったい須原屋は何をしたのか?

聞けば『三国通覧図説』の出版が違反とされたようです。

著者の林子平は工藤平助の跡を継いだような人物で、すでに『海国兵談』が絶版とされていました。

オロシャが攻めてくる脅威を書いたところ、それが違法とされたのですが、須原屋は皆が知った方がよい情報であると断言します。

「なぁ蔦重、知らねえってことはな、怖えことなんだよ。物事知らねえとな、知ってるやつらにいいようにされちまうんだ。本屋っていうのはな、正しい世の中のためにいいことを知らせてやるっていう、つとめがあるんだよ。平賀源内風に言えばな、“書を以て世を耕す”、これなんだよ」

蔦重の目が光り、目にものを見せてやると言い切ります。身上半減されても無駄だ、へこたれねえ、何度でも蘇る。そう太々しく言い切るのです。

須原屋の台詞は実に素晴らしいものですが、ちっと一歩先に進めて考えてみませんかね。

『べらぼう』で田沼意次と平賀源内が海外からの脅威を語り合った場面の解説や感想として、ペリーの黒船来航を予見しているという意見を見かけました。

今では大抵の方が「ロシアだな」となるはずですが、あの時点ではどうしてそうなっちまったんでしょう?

大河ドラマも見ている、日本史の時間だって寝ていたわけじゃねえ。むしろ歴史には詳しいつもりだ。

それでもロシアが抜けちまったってこたァ、どこかで何か偏りがあったってことじゃねえですか。怖い話っすね。

田沼時代から幕末にかけて幕府の「蝦夷地ロシア対策」は機能していたのか

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須原屋は蔦重の励ましに対し「合点承知」と言いたいところで、二台目に店を譲ると言い出しました。

最近は本を読むのも一苦労なのだそうです。江戸時代の人々は平安時代よりも寿命は伸びております。そのせいか、眼病や慢性疾患に悩まされる人が増えるもんです。

そして死ぬ前にもう一度見たいものとして、浮かれて華やいだ江戸の街をあげるのでした。

蔦重はやる気を出します。

ただし、補足をしておくと、須原屋はこの打撃から立ち直れず、結局は店を畳むことになります。

現在まで残る須原屋は須原屋茂兵衛の系統。ここでの須原屋は、暖簾分けされた須原屋市兵衛です。

それでも、彼の志はちゃんと受け継がれてゆきます。

たくましい江戸の版元は、幕府の統制をものともせず、ナポレオン伝記やら、アヘン戦争ものやら、ギリギリの書物を幕末まで刊行し続けるのです。

我々は、そんな書によって耕された世界の先に生きています。

 


身上半減をぶっ飛ばせ

蔦重は負けじと新作を山ほど発表することにしました。

狂歌本も黄表紙もずらっと並べ、暖簾も直し、畳も入れる。そうして身上半減なんてぶっ飛ばす!と、家族と従業員たちと夕食を食べながら宣言するのです。

堅実なみの吉が、再印本の黄表紙販売を増やすのか?と問うと、蔦重はそれだけでなく、自前の新作も出すと宣言。

すると滝沢が大いに賛同しましたぜ。

そこで蔦重が、書物の案を出すようていに頼むと、キッパリと「無理です、無理です、無理です……」と返すてい。

おていさんは完璧主義者で真面目なので、頼まれた内容をさらに上回るくらい成し遂げなければ気が済まない、自分自身に厳しいタイプですね。

蔦重は「書物」に親しんでいるのはていだけだという。滝沢は自分が力になるという。

ここでいう「書物」とは学術系、特に漢籍を指します。

滝沢は鬱陶しいですが、武士としてそうした書物に親しんできたプライドと自信ゆえでしょう。

ていは書物の企画を三十本考えるように言われ、頭を抱えています。

滝沢には再印本の選定を任せようとすると「手代にやらせろ」と不服そうだ。

お前も手代じゃねえか!

そうイライラしますが、蔦重はいずれとびきりの作者になるから見込んでいるとおだてて乗せています。

そんな中、つよは頭痛が気になるようで……。蔦重が医者を呼ぶかというものの断ります。

こうして蔦重は復活宣言をして走り出しました。今度失敗したら次はないとも思えるのですが……。

 

歌麿の絵に雲母摺(きらずり)はどうでえ?

蔦重は歌麿の絵を見ています。

浮気の相。面白き相。浄き相。

『婦人相学十躰 浮気之相』喜多川歌麿/wikipediaより引用

『婦人相学十躰 面白き相』喜多川歌麿/wikipediaより引用

『ポッピンを吹く娘』喜多川歌麿

『ポッピンを吹く娘』喜多川歌麿/wikipediaより引用

色も綺麗に出ていると満足げな歌麿に対し、地味だと不満げな蔦重。

摺師とすりゃ、淡い色合いを出したら仕方ないと返します。

では色を変えるか?と歌麿が聞くと、蔦重は周りを雲母摺(きらずり)にしたいと言い出しました。雲母を使ったホログラム加工ですね。

金銀ほど高くはないとはいえ、錦絵ではそんなものはないと摺師も困惑しており、だからこそ斬新だと蔦重はかえって確信を強めています。

出たぜ! ここまでやってこそ。浮世絵は版権も切れているし、デジタルでも鑑賞できるし、なによりも小さい。ゆえに美術館で実物を見る気が湧かないなんて方もおられませんか。

私もかつてはそうでした。大きなキャンバスに描かれていて、一点ものの豪華な西洋絵画の方が上だと思っていたものです。

それがそうではない! 雲母摺はじめ、実物を見ることで超絶技法が理解できます。

例を挙げてみます。

こちらの月岡芳年『月百姿』の藤原公任をご覧ください。

藤原公任(月岡芳年『月百姿』)/wikipediaより引用

本やウェブで見ると装束が黒一色に見えます。

しかし実物を見ると、装束の模様が浮き上がるのです。

あるいは月岡芳年『風俗三十二相』「うるささう」。

『風俗三十二相』「うるささう」/wikipediaより引用

実物を見ると猫の体が空摺り(エンボス加工)で浮き上がって見えます。ふわふわした毛並みを再現しているわけですね。

てなわけで、浮世絵は現物を見る機会があれば、ぜひ足を運ぶべきですぜ。

 


世間の物差しよりも、自分の好き嫌いが大事だ

雲母摺が嫌だったのか?

蔦重が歌麿に尋ねると、むしろ感心しています。

江戸がひっくり返るくらいバカ売れを狙うと鼻息も荒い蔦重に、歌麿はちょっと拗ねたようにこう言います。

「畳入れたいから?」

これはそこを否定して、自分を当代一の絵師にしたいからと答えて欲しいのでしょう。

蔦重は畳について認めたあと、こう言います。

「お前を当代一の絵師にして、蔦屋の名も上げてえし、江戸を沸き返らせたい」

田沼時代の賑わいにまで戻したいという、壮大な夢を語る蔦重。

「蔦重は変わんねえな」

ちょっと拗ねたように返す歌麿。

なんでしょう、昨年の『光る君へ』のまひろと道長を連想しました。愛が根底にあるから利用してもよいと言いたげな鈍感道長と、蔦重が被って見えます。

そして歌麿は、まひろほど割り切れていないように思えます。

ここでヤツが接近してきます。滝沢瑣吉でやんす。

滝沢は歌麿の顔をしげしげと眺め、触れ、こう言います。

「やはりそうだと思うのだがな。お主、男色ではないのか? もしくは両刀」

滝沢の失礼な態度を見ちゃいられないつよが柄杓で頭を引っ叩き、無礼だと嗜めます。

「町人の分際でどっちが無礼だ!」とウダウダうるさい滝沢。

蔦重が歌麿に対し、無礼で思い込みが激しい奴だとフォローを入れています。接客に向いてねえな。

「両刀だよ、瑣吉さん。俺は男も女も好きさ」

ややあって歌麿はそう返します。蔦重とていも静かに聞いている。

「やはり、やはりそうか!」

ガハハ笑いをする滝沢に対し、歌麿はさらに付け加えます。

「けど瑣吉さんは違うのかい?」

「俺は筋金入りの女好きだ。女も俺を好きだしな、ハハハハハハ!」

これは貴重な馬琴像といえます。

『八犬伝』執筆時代となると、女好きについてはさすがにおとなしくなっています。馬琴について言及されるのは、この枯れたあとの時代が多いのです。

むしろ女性の描き方がよろしくないとか、色悪(セクシーな悪役)を魅力的に描けないとか、家庭生活でも我が子の恋愛に厳しいとか、そういうどちらかといえばモテない要素が語られることの多い人物。

江戸随一のパリピモテ男・山東京伝とは対照的ですね。

「そうかい。でも蔦重とおつよさんだったらどっちが好きだい?」

「そりゃ、蔦重に決まってる」

これも面白い。曲亭馬琴は人をまず誉めないどころか罵倒することばかりなのに、蔦重については性格面を誉めておりますので。

「筋金入りの女好きなのに、女より好きな男がいるのかい? 俺はそもそも、男か女かで人を分けたりしねえんだよ。俺は“好きな人”と“それ以外”で分けてるもんでさ。その“好きな人”は男のこともありゃ、女の子ともある。まぁ、世間様の物差しに当てりゃ、両刀ってことになる。実は瑣吉さんもそうってことはねえのかい?」

ここで滝沢が困惑するのもまた、面白い。

彼は妻との仲が悪い。一方で葛飾北斎とは短期間ながら同居経験もある。

映画『八犬伝』およびその原作では、馬琴と北斎のほのぼのコンビが夫婦以上にお似合いの二人に見えます。

つよもこの返しに安堵しているようです。

 

歌麿の心を心配するつよ

ここは本作屈指の名場面、かつ、多様性を描く上でここまで到達できたという感があります。

平賀源内の男色描写もありましたが、歌麿はさらに深めてきました。

源内は好みの男性を見ると裾を捲ってしまったり、蔦重にもセクハラをしておりました。

一方の歌麿は、男女いずれが相手であっても自発的に動く性的な描写はなされておりません。

性的に関係を持つか持たないかはさておき、相手に好意を抱くかどうか。そんなものを無理に定義しなくてもよい。そこまで到達しております。

歌麿のセクシュアリティは色々と言われております。

妻のきよから梅毒に感染させられていないのは、性的関係がないからだという推察も。

梅毒は感染状態によって罹患させるかどうか判別が難しいもので、これだけで二人は関係がなかったとは言い切れません。

あっしとしちゃあ、どっちでもいいと思うんですよ。

歌麿本人がどういう形で誰を愛そうがどうでもいい。無理に定義しなくてもいいじゃねえか。そこを世間の物差しに当てるのは野暮で無粋。そういうことだと思いやすぜ。

この歌麿の言葉にできない、世間の物差しで測れない心が、絵となって昇華していったのかと思うと、もう彼の絵をどう見ていいのかわからなくなります。

どうして歌麿の絵を見てここまで心を掻き乱されることになるのか。本当にべらぼうなことですぜ。

つよが、滝沢を追い出すように言い出します。見どころがあると引き留めようとする蔦重に対し、黄表紙だけ頼めばよいという。

この場面は何気ないようで、社会の変化を感じさせます。

平成前半や昭和までであれば「偉大な未来の作家を見抜く蔦重こそ大物、些細なことで追い出そうとするつよは小物」という誘導をされてもおかしくない。

それが令和の今見てみると、蔦重が鈍感に思えなくもない。

ここでつよはさらに苛立ち、歌麿が平気だったのかどうか考えるように促します。蔦重はここでようやくハッとして、何か聞いているのか?と尋ねる。

見てりゃわかると返すつよは、歌麿のことを庇おうとするも、ここでまたあの頭痛が出てきてしまいます。

それでも彼女は歌麿を大事にするように釘を刺し、本当に捨てられると警告するのです。

これも後に響いてきそうに思えますね。二人のやりとりを聞いていたていが部屋に入ってくると、蔦重はていに医者を呼ぶよう頼むのでした。

 

おていさんの書物目利き

ていは書物三十本のリストを持参していました。

「枯れ木も山の賑わい」と言いつつ力強いおていさんは、謙遜しております。それを察した蔦重は居住まいを正して受け取る。

『江戸書物一統之指南記』:江戸の書物リスト

『江戸猫詣曼荼羅』:猫好き向けガイドブック

『艶筆新書』:女性向け書道ガイド

これはなかなかよい品揃えですね。

江戸の書物リストは手堅い。それだけでなく女性向けの品揃えです。

吉原女郎は美しく柔らかい筆跡で心を掴む艶書(ラブレター)を書いておりました。

『艶筆新書』は、地女(一般人女性)向けということです。

『江戸猫詣曼荼羅』もそれらしい。山東京伝の弟である京山は『朧月猫草紙』という、にゃんこの恋物語で大ヒットを飛ばしました。往年の名作少女漫画『綿の国星』のような作品でやんす。

京山は兄と違って遅咲きで、女性向けの本でヒットを飛ばし、曲亭馬琴と犬猿の仲であった文人。

そのお江戸にゃんこブームを先んじたチョイスといえますぜ。

流行猫の戯『かゞ見やま 草履恥の段』山東京山・歌川国芳/wikipediaより引用

これだけ揃えても謙虚なところがおていさんらしさですね。まぁ、面倒くさいっちゃそうか。

おていさんはノリが唐心(からごころ・中国風)ですんで、『三国志演義』の軍師が「愚策ではありますが」と前置きしつつ、自信満々の計略を出してくるようなことをいちいちするんですな。

 

女性向けの書物を売り出す

蔦重は、ていと共に艶二郎の元になった手拭い絵を手がけた加藤千蔭に挨拶しています。

彼女はよく知っています。

賀茂真淵門下筆頭の和学者にして書家。千蔭流の流麗な書は皆の憧れだと語るのです。

九郎助稲荷が、この千蔭先生も田沼派で閉門になったと答える。

ははぁ、吉原人脈で引っかかってもおかしくないタイプってことすね。

なぜ彼をもてなしているのか?というと、蔦屋の書物問屋デビューを千蔭先生で飾りたいそうで。おていさんの発案だときっちり描かれていますね。

このころは女性が書を嗜みたい要求も高まっているし、美しい書を眺めているだけで心が安らぐとのこと。

「本当に学問を為したい女はおるのではないかと思いました」

そう締めくくるおていさん。女性客向けの書物問屋市場を拓きたいという狙いを蔦重が語ります。

ここも大変重要な場面ですぜ。

まず、おていさんから。彼女は前述の通り唐心の持ち主です。漢籍をしょっちゅう引用しておりましたね。

それが和学者の千蔭先生に心を寄せている。国学の隆盛が見て取れます。

そしてジェンダー観からみますと、おていさんの言う通り、女性の識字率や学問の要求が高まります。

工藤平助の娘である只野真葛は文人として出版し、曲亭馬琴と論争を繰り広げました。その前段階が見えてくる。

さらに国学を学ぶ女性文人は江戸後期から幕末に向けてますます増えてゆきます。女性の識字率も高まります。

幕末に出てくる松尾多勢子のような女性勤王志士への流れがあるともいえます。

松尾多勢子/wikipediaより引用

前述した通り、山東京山は女性向け出版物で名を為しております。女性読者という畑を蔦重が耕した結果、江戸後期にそれが実った。

来日外国人は江戸の女中たちが本を読む姿を見て驚いたものです。

使用人女性でも本を読めるなんて、世界的にみても稀だった。それが実現に向かってゆく畑を耕す様が見えてくるわけです。

ただし、こうした高い識字率はあくまで都市部に限定され、男女ともに全国的に高くなかったことは注意しましょう。

蔦重の妻については戒名程度しかわかっておりません。

おていさんのキャラクター像は江戸時代中期以降の女性と教育について考えた上で組み立てられているように思えます。実に隙のない、勉強になる大河ドラマです。

 

蝉のように抜け殻だけ残したい歌麿

つよは歌麿の自宅にくると、滝沢のことを謝っています。

「なかなかうまく返しただろ」

「うまかったよ。旦那様は何一つ気づかないほどにね。このままじゃあの子は一生、あんたの気持ちに気づかないよ。あんたはそれでいいのかい?」

蝉の声を聞きつつ、歌麿は言います。

「気づかれたことで……いいことなんて何もないじゃないか。蔦重が同じ気持ちなわけねえし、仕事もやりにくくなるだけだし」

「耐えられるのかい、それで?」

「俺の今の望みは、綺麗な抜け殻だけが残ることさ。蝉はどんな気持ちだったか分かんないけど、抜け殻だけはずらずら残っていて。それはとびきり綺麗だったり面白かったりして。誰かの心を癒す。二人でいい抜け殻だけ残せんなら、俺は今、それだけでいいんだ。それにさ、この気持ちもいつか消えてなくなんじゃねえかとも思うんだ。おきよがいた時はほんとに忘れてたわけだし」

歌麿の絵を見た側が、惹き込まれてしまうのは、こんな切ない恋心が込められているから? そう切なくなってくるような言葉じゃないですか。

淡々と語る歌麿。謝るつよ。

歌麿はおつよさんが謝ることでないというものの、朴念仁に生んじまったことを詫びています。

「おつよさんが悪いわけでもねえし、蔦重が悪いわけでもねえしよ。ありがてえよ。聞いてもらえるってなぁ、心が軽くなるもんだな」

歌麿がそういうと、つよはもっと来ると励まします。

蔦重の義理の弟である歌麿は息子だ。そうつよは語りかけるのです。

「じゃあ、よろしく頼むよ、おっかさん」

微笑み合う二人。しかし、つよは頭痛がしている。どうして歌麿が手に入れたかけがえのないものは、すぐにその手から離れていっちまうんだい?

ここでみの吉が来て、つよと歌麿に戻るように言ってきます。

つよはていとたかに医者に連れて行かれます。島本須美さんが演じるたかは「怖くない、怖くない」と宥めています。

歌麿は雲母摺が出来上がった錦絵を嬉しそうに見ています。蔦重は歌麿を蝋燭の前に連れて行く。と、まるで浮き上がって見えると歌麿が驚く。

「あとはどう売るかだな」

蔦重の言葉に、歌麿は現実に引き戻されているように見えます。愛の結晶である絵に値段をつけられるたびに、心が削られていくようだ。

 

定信と宗睦の一芝居

そのころ松平定信は、側近の水野為永から本多忠籌の一派結成を聞かされていました。

これまで散々、定信の出版取締や倹約が批判的に描かれてきましたが、そこまで致命的な問題というわけでもない。

しかし『海国兵談』という国防に関するものまで禁ずるとなると危険である。そう吹聴しているのだとか。

苛立つ定信に、水野は本多が一橋に接近していることも付け加えます。

将軍補佐はあくまで徳川家斉が成人するまでのこと。これを取り上げてしまえば権勢を振るえない。そう考えているということです。

ここまで聞かされ定信も事態の深刻さを理解したようです。

定信は徳川宗睦を呼び出すことに成功。まずは宗睦に財政支援策が通ったことを伝えます。定信はいちいち真面目なので、メリットを相手に示すわけです。

そのうえで、自分が正しき世に戻すために尽くしていることをアピール、一橋が財政支援策に妨害をしてきたといい、将軍補佐を続けられるよう支援して欲しいと訴えます。

自分が力を持っていれば相手を助けられると示すわけです。

あからさますぎると言いますか。それどころか、自分を支援すれば財政が潤うと示すなんて、これじゃ大嫌いな田沼と同じですよ。

さて、家斉には嫡男の竹千代が誕生しました。

大名は我先に駆けつけ、祝いの品を贈る。定信も来て、世継ぎ誕生を祝いながら、懐から祝いの品として辞表を取りだしました。

愕然とする家斉。将軍補佐、奧勤め、勝手掛を免じて欲しいというのです。

老中だけを務めたい、疲れていると言い出します。

家斉は認めようとするも、ここで宗睦がやってきて引き止めます。

そのうえで、市中の風紀、武家の心得、さらには異国船接近もあり、定信なくしてこの難局は乗り切れぬと提言。

家斉は定信の疲れを気遣うものの、宗睦は甘えだと断ち切ろうとする。

家斉は、定信の奧勤だけでも辞めさせたい様子です。まあ、大奥のことに突っ込まれたくないんでしょう。

このあと、一芝居打った定信と宗睦は、奥勤について語り合っています。

ただ、老中の奥勤を廃止すれば、将軍補佐だけが大奥に関与できることにはなります。全てうまくいったとみなした定信は、宗睦に丁重に礼を述べます。

ひっかかることはあります。むしろ大奥がらみで足を救われそうな予感がしてきます。

そしてこの政治劇は、再来年の予習にも役立ちます。

自ら辞職を申し出るのは本気で辞めたいだけでなく「いや待ってくれ」と止める狙いも時にはある。

徳川慶喜の大政奉還も、全て手放すのではなく、自分抜きで政治を回せるものではないという狙いがあったとも指摘されることがあります。

不可解な大政奉還をどう描くのか。予習して待ちましょう。

 

歌麿の絵と、ていの案思が耕書堂を盛り立てる

江戸市中では人相見が大流行していました。

蔦重はこれに目をつけ、人相見の大当開運先生がいると宣伝し、歌麿の美人大首絵をセットで売ることにしたそうですぜ。

これには歌麿も、大した宣伝だと微笑み「たま下駄駒下駄東下駄」と返すしかありません。

人相見も喜んでそんなにギャラを払わなくてもきたそうですぜ。さらには歌麿に会いたい客もいると言い出し、サイン入り販売まで行います。

歌麿はそんな蔦重の営業センスを誉めます。

それしかできねえ、文も書けなきゃ絵も描けねえと蔦重。そのうえで蔦重は歌麿にギャラを渡しつつ、次の揃いもののことを言い出します。

それはあの市中の美人ブームを当てこんだものでした。

蔦重は娘を描けば店としても宣伝ができると、ちゃっかりスポンサー料まで見込んで話を進めようとしてきます。

江戸のためだのなんだのいう蔦重に、入銀狙いを指摘する歌麿。そのうえで引き受けています。

ていはそんな二人の様子を見つつ、茶を出せなくなってしまうのでした。

そして雲母が輝く背景を覗き込んでいます。

なぜ背景が気になるのか?

おていさんは、千蔭先生の書を背景が黒い状態で出したいと言い出しました。

石摺(墨一色)みたいなものかと千蔭先生は言い、金がかからないかと心配しています。

彫るのは楽でもインク代がかかりますね。蔦重は金がかかってもその方がいい。近頃見ないと推してきます。

これがなかなか複雑で、ていは蔦重と歌麿に嫉妬するどころか、発想を得ているのです。

『光る君へ』のまひろにそんなところも似ているタイプと言いますか。愛より己の知的好奇心や発想が好きなタイプなんですね。

こうして『源氏物語』の抜粋を千蔭先生が書いた女性向け書の手本『ゆきかひふり』も出来上がり、尾張の書物問屋「永楽堂」へ、交渉に向かうことになりました。

 

「ババア」でなく「おっかさん」と呼ぶ重三郎

蔦重が出かけようとすると、つよが髪を結い直したいと声をかけます。

普段の蔦重は、世間を知るため、髪結床に行くのだそうです。作中では序盤に出たきりですが、おそらく今でも湯屋の常連でしょう。

つよが蔦重の髪を梳かしながら、おとっつぁんと同じ頭の形だと言います。

すると夫婦喧嘩の思い出を語り始める蔦重。なんでも蔦重の両親は、二人で自分たちの子ではないと言い争い、二人して子を置いて出ていってしまったのだとか。

「駿河屋さんからまだ聞かされてないのかい? 口が堅いねぇ、さすがだよ」

さて、何があったのか。

蔦重の父は間が抜けていて博打で莫大な借金をこしらえました。

それで江戸から逃げることになった。とはいえ逃げた先の暮らしがわからない。ならば蔦重は吉原で育てたほうがよいと考え、駿河屋に預けた。

それでも借金取りは蔦重を追いかけてくるかもしれない。だからこそ親として縁を切るため、両親ともに色狂いだとして、出ていくことにしたのだそうです。

蔦重はこれを聞かされ、親に捨てられたという恨みを捨てました。

かつては、そう素直に言えず、自分は公方様の隠し子で、親は隠密だとか、あるいは桃太郎だとか、そう思っていただのと軽口を叩いています。

つよはしょぼくれた話だというものの、蔦重は自分が考えていたよりもよい話だと言います。

「柯理(からまる)、あんたは強い子だよ。でもなんでそんなに強いかって言ったら、そりゃ私が捨てたせいさ」

そう優しく呼びかけるつよ。「ありがた山」と返す蔦重。

「でも裏を返しゃ、あんたは強くなけりゃ生きていけなかったんだよ。下を向くな、前をむけ。泣いてる暇があったら人様を笑わすことを考えろって。それでここまでやってきて、そりゃもうあんたはもう立派だよ。でもね、大抵の人はそんなに強くなれなくて強がるんだ。口では平気だって言っても、実のところ、平気じゃなくてね。そこんとこもうちょっと気付けて、ありがた〜く思うようになったら、もう一段男っぷりもあがるってもんさ!」

そう我が子をポンポンと叩くつよ。

「んだよババア、親らしいことをいうじゃねえか」

「そうかい? じゃあ、あんたも息子らしいことしなよ」

そう言われ、尾張土産を買ってくるという蔦重。

つよはおとっつぁんも尾張生まれだと言います。その上で、うろついていたら土産に頼むと軽く言うのでした。

「合点承知。じゃ、行ってくらぁ。おっかさん」

「頼んだよ、重三郎」

「おう!」

そう親子は言いあいます。今生の別れになる予感がしますが、しかしこれで蔦重が母を礼賛する墓碑銘を頼んだ理由がわかりますぜ。

さて、蔦重が旅立ったころ、江戸には正親町公明が帝のことを伝えにきておりました。

尊号一件です。

朝廷が幕府に無断で処理しようとしたことを問題視している定信。そのうえで「将軍は、定信なら認めるだろうと言っていた」だとか。

定信は目を怒らせ、一橋治済に抗議します。

すると治済は家斉に渡した心得を取り出し、そこにある尊皇の思想を持ち出します。さらには朱子学の「孝」を持ち出し、天皇が父を思う心を否定できないだろうと言い出しました。

定信は心遣いを感謝しつつ、御公儀威信を損ないかねない、己に一任するようにと言います。

定信は尊号の件を拒否する旨を文書にして朝廷に出しました。

それでほっと一息かと思いきゃ、ロシア船がやってきたとの知らせが……幕政がもう大変です。

 

『逆賊の幕臣』予習の時間です

『逆賊の幕臣』では、大沢たかおさんが勝海舟を演じると発表されました。

『花燃ゆ』では良さを活かせなかった、むしろ記憶から焼き消したくなるような役を演じさせられた大沢さん。

小栗大河の招致運動までしていたのに、呼んでもいない大河ドラマがやってきた挙句、インターネットスラング「グンマー」のような描かれ方をした群馬県。

そんな『花燃ゆ』の呪詛が干支が一巡してやっと解かれると思うと、感無量です。

井上真央さんや川井憲次さんの呪縛もそうなればよいのですが……。繰り返しますが、あのドラマは出演者のせいで駄作になったわけではないでしょう。

そんな呪詛の話は横におきまして、2025年と2027年は、実にすんなりつながるところも注目ですぜ。

蔦屋重三郎だけが世を耕したわけでもなく、これからますます締め付けが強化される中、文人版元は幕府の目を掻い潜って出版を続けてゆきます。

ナポレオン伝に、アヘン戦争情報などなど。実はペリー来航も既知であった。

そういう江戸情報論といえば、再来年大河考証の岩下哲典先生が専門です。

岩下先生の本を読めば『べらぼう』の復習ができ、『逆賊の幕臣』の予習ができてまさしく一石二鳥。是非とも手に取ってください。

実は、私としては再来年大河は岩下先生が考証だとよいなぁ、と思っておりました。これが事後諸葛亮じゃないという証拠として、今年の大河レビューをあげておきやす。

ここでも何度か歌川国芳『きたいなめい医 難病療治』について言及していますが、この研究についても岩下先生は実に興味深い論考をされております。

幕府と版元絵師の攻防が実にすさまじく、ともかくおもしろい! これを是非とも『べらぼう』ファンも読まねえかなぁ、と思っていたんですね。

『べらぼう』は仕方ないっちゃそうなんですが、歌川国芳と歌川広重が生まれる歳でドラマは終わりになります。

しかしメディアとして見た浮世絵の進化はまだまだこれから。ここで止まるのは勿体無いんですね。

それを『逆賊の幕臣』の予習だという名目で、特に歌川国芳とその弟子である玄冶店派まで導けるとなれば本当にありがた山でやんす。

そうそう、予習といえばもうひとつ。

今回の最後の場面で一橋治済が、朝廷を使って公儀にヒビを入れる嫌な姿を見せました。

そして再来年の「むかつく一橋」を担当する慶喜は、ヒビを入れるどころか粉砕します。

治済を超える苛立ちが待ち受けている可能性が高いので、これまた期待しましょう……これは期待といってよいのかどうか。

誰が演じるにせよ、生田斗真さんを霞ませるほどに視聴者を心の底から苛立たせる。顔も見たくないほど嫌われてしまう。そんな気合いで挑んでいただきたいものです。

2027年大河ドラマも“一橋”が憎い!慶喜こそ『逆賊の幕臣』ではラスボスか

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小栗と勝がセットになることで、両者の立ち位置も見えてきましたね。

小栗は定信タイプ。まっとうなことを言うし真面目で賢いけれど、人に鬱陶しがられる言動をする隠キャです。

定信は失脚後、幕閣には入れないのですが、小栗は定信以上に面倒臭い性格なのにしつこいほどに再登用されます。

幕末という切迫した事態であるため、性格上の欠点どころではなかったのでしょう。

無茶苦茶感じの悪い演技をする、そんな松坂桃李さんに期待しましょう。

ただし、小栗にはそれでも信頼できる親友の栗本鋤雲はじめ、理解者はおります。

そして勝は、口がうまくて思わず乗せられてしまう。そういう陽キャですね。蔦重タイプです。

再来年はまたしても高い解像度で「正論を言っていようが、その言い方ではダメだ」となる人物が描かれるのかと思うと、楽しみになってきます。

大河でも明智光秀(『麒麟がくる』版)、まひろ、定信、おていさん、滝沢瑣吉、そして小栗と、隠キャに理解を深めるよう描いていただけるのはありがた山です。

こう言う人間性に難がある人物は、往々にして視聴者受けのために性格の棘が抜かれてきたもの。

それがありのままの隠キャが見られるようになったのは、時代の進歩でしょう。

第三弾キャストは栗本鋤雲、一橋慶喜、井伊直弼、道子あたりか。予習して楽しみに待ちたいところです。

◆ペリー来航絵巻「金海奇観」を読み解/東洋大学入試情報サイト

 

MVP:つよ

つよは幼い我が子を吉原に置いていった鬼母のようにすら思えていました。

となると、蔦重はどうしてあんな愛情あふれる碑文を残したのか? その謎解きができましたね。

つよは悪い人でもなく、我が子の朴念仁ぶりにも困惑している。

そう描かれたところが実に興味深い。諌める母ですね。

この「諌める母」というのが実によいと思います。

母はなんでも甘やかし受け止めるのではなく、駄目だと思ったら嗜める。そこまで含めた関係性であるのが実に良いのです。甘えがない関係性ですね。

「諌める母」を尊敬する精神性が日本ではなくなっていたのかもしれません。

これを感じたのが朝の連続テレビ小説の再放送を見ていてのことでした。

『チョッちゃん』のころは、年上の女性への敬意や、諌められたら背筋を伸ばすような価値観がある。

それから時代設定がくだった『どんど晴れ』となると、母も、娘も、妻も、男性のわがままを察して先回りしてメンタルケアすることが当然とされている。

あのドラマを見ていると、平成にあった過剰な甘やかしは社会を悪化させたように思えてくるのです。

大河ドラマでいえば『どうする家康』がこれで、実際には母を敬愛していたはずの家康が、平成に育てられた甘えん坊男子のように母に反発する様があまりに醜悪だったものでした。

やっぱり2023年とは訣別すべきなんだぜ! そういう思いも感じますし、もっとブラッシュアップしていこうという思いを感じさせるドラマですぜ。

 

総評

歌麿が今週も切ないものがある。

セクシュアリティに関する問答もそうです。

そしてこのドラマが怖いのは蔦重が商業主義のせいでクリエイターの魂をへし折る元祖のように思えてくるところにもあるんでさ。

歌麿は蔦重を信じていて、自分のために最高の晴れ舞台を用意してくれるのだと思おうとしている。

それを蔦重が儲ける話に持っていくことで、心をペキッとへし折ってしまう。その音まで聞こえてきそう。

高尚な芸術性と、商品としての価値。どちらが大事か? なまじ浮世絵は市中で売り捌くものだから、発展とともにほどなくしてこの葛藤が出てきたのだとわかる作りになっています。

浮世絵師は芸術家なのか。商品を生み出す存在なのか。この二者択一を突きつけてくる。そう思えてきます。

歌麿は蔦重に愛着があるからより一層残酷ではあるのですが、それ以外の絵師もなかなか大変なことになります。

『逆賊の幕臣』予習枠でもう堂々と言及できる歌川国芳。

彼は商業主義に苦しめられた代表格です。

東洲斎写楽に完勝した歌川豊国に弟子入りしたものの、師匠の作風を真似できずに伸び悩みました。

自分の描きてえモンを市中が理解しねえ。その狭間で悩んだ絵師です。

売れっ子になってからも自信作が打ち切りになり、かなりメンタルをやられたこともあります。

その弟子である月岡芳年は、検索すると関連ワードに「精神病」と出てくる気の毒な絵師です。

ただ、明治維新で西洋から入り込んできた精神医学がもの珍しくて、誇張されたと思われますので要注意です。

心身不調は飲酒、脚気、眼病、金銭トラブル、人間関係もあるのでそこは差し引いて考えるべきかと思います。

ただし、明治維新のあと、ただでさえ精神的に苦労していたのに、自信作が売れないことで精神が限界に達したことは確かなようではあります。

上野戦争を目撃して描き、そのあと寝込んだそうですので、そりゃ精神状態も悪くなるでしょう。

こういう後進浮世絵師の精神崩壊問題を、先んじているのが『べらぼう』なのかと思うと恐ろしいものがある。

月岡芳年は明治以降も活躍し、弟子が多かったためか、言動が多く残されています。

金や名誉のためでなく、絵の研鑽を積むうちにそれがついてきたらよいのだと思えと教えていたとか。

そんな彼の記念碑には、本作の歌麿にも通じる言葉が記されています。

絵画は写生を以て本旨とすれど、写意ならざるべからず。其意を得ざるときは精神乏しく、見るに足らざるなり――絵画とは、姿形を写すものであるものの、それだけではない。その意まで描かれていなければ、精神が感じられず物足りないものだ。

歌麿は時代が先んじているだけにこうした言動は残っていないものの、絵師の精神性はドラマにきっちりと落とし込んであると思えます。

浮世絵師の三つ目は一体何を見て、何を生み出してしまうのか?

彼らの残した絵を見て、私たちは何を見てしまうのか?

そんな探求にまで踏み込んできて、大河ドラマをもう一段上の高みに引き上げてきたと思えます。

この作品が思わぬ効果を残してしまうということは、作り手も日々感じていることかもしれません。

森下佳子先生と藤並英樹氏のトークショーを聞いてきてそう思いました。

江戸中期にする。放送に合わせてメディアに関わる人にする。舞台で見た横浜流星さんを主演にする。史料が少なくても描ける森下先生にする。

そうした積み重ねが、その合計値だけでなく、はるかに上回るものを残していく。そんな手応えがあるのだと思えました。

『べらぼう』は視聴率が低いと言われておりますが、そんな数字以上のものを残してゆくことでしょう。

ますます目が離せない傑作です。

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【参考】
べらぼう公式サイト

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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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