市兵衛の前に立つ蔦重。
なんと須原屋も身上半減の処罰を受けておりました。
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封じられたロシア情報
いったい須原屋は何をしたのか?
聞けば『三国通覧図説』の出版が違反とされたようです。
著者の林子平は工藤平助の跡を継いだような人物で、すでに『海国兵談』が絶版とされていました。
オロシャが攻めてくる脅威を書いたところ、それが違法とされたのですが、須原屋は皆が知った方がよい情報であると断言します。
「なぁ蔦重、知らねえってことはな、怖えことなんだよ。物事知らねえとな、知ってるやつらにいいようにされちまうんだ。本屋っていうのはな、正しい世の中のためにいいことを知らせてやるっていう、つとめがあるんだよ。平賀源内風に言えばな、“書を以て世を耕す”、これなんだよ」
蔦重の目が光り、目にものを見せてやると言い切ります。身上半減されても無駄だ、へこたれねえ、何度でも蘇る。そう太々しく言い切るのです。
須原屋の台詞は実に素晴らしいものですが、ちっと一歩先に進めて考えてみませんかね。
『べらぼう』で田沼意次と平賀源内が海外からの脅威を語り合った場面の解説や感想として、ペリーの黒船来航を予見しているという意見を見かけました。
今では大抵の方が「ロシアだな」となるはずですが、あの時点ではどうしてそうなっちまったんでしょう?
大河ドラマも見ている、日本史の時間だって寝ていたわけじゃねえ。むしろ歴史には詳しいつもりだ。
それでもロシアが抜けちまったってこたァ、どこかで何か偏りがあったってことじゃねえですか。怖い話っすね。
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『べらぼう』田沼時代から幕末にかけて幕府の「蝦夷地ロシア対策」はどうなっていた?
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須原屋は蔦重の励ましに対し「合点承知」と言いたいところで、二台目に店を譲ると言い出しました。
最近は本を読むのも一苦労なのだそうです。江戸時代の人々は平安時代よりも寿命は伸びております。そのせいか、眼病や慢性疾患に悩まされる人が増えるもんです。
そして死ぬ前にもう一度見たいものとして、浮かれて華やいだ江戸の街をあげるのでした。
蔦重はやる気を出します。
ただし、補足をしておくと、須原屋はこの打撃から立ち直れず、結局は店を畳むことになります。
現在まで残る須原屋は須原屋茂兵衛の系統。ここでの須原屋は、暖簾分けされた須原屋市兵衛です。
それでも、彼の志はちゃんと受け継がれてゆきます。
たくましい江戸の版元は、幕府の統制をものともせず、ナポレオン伝記やら、アヘン戦争ものやら、ギリギリの書物を幕末まで刊行し続けるのです。
我々は、そんな書によって耕された世界の先に生きています。
身上半減をぶっ飛ばせ
蔦重は負けじと新作を山ほど発表することにしました。
狂歌本も黄表紙もずらっと並べ、暖簾も直し、畳も入れる。そうして身上半減なんてぶっ飛ばす!と、家族と従業員たちと夕食を食べながら宣言するのです。
堅実なみの吉が、再印本の黄表紙販売を増やすのか?と問うと、蔦重はそれだけでなく、自前の新作も出すと宣言。
すると滝沢が大いに賛同しましたぜ。
そこで蔦重が、書物の案を出すようていに頼むと、キッパリと「無理です、無理です、無理です……」と返すてい。
おていさんは完璧主義者で真面目なので、頼まれた内容をさらに上回るくらい成し遂げなければ気が済まない、自分自身に厳しいタイプですね。
蔦重は「書物」に親しんでいるのはていだけだという。滝沢は自分が力になるという。
ここでいう「書物」とは学術系、特に漢籍を指します。
滝沢は鬱陶しいですが、武士としてそうした書物に親しんできたプライドと自信ゆえでしょう。
ていは書物の企画を三十本考えるように言われ、頭を抱えています。
滝沢には再印本の選定を任せようとすると「手代にやらせろ」と不服そうだ。
お前も手代じゃねえか!
そうイライラしますが、蔦重はいずれとびきりの作者になるから見込んでいるとおだてて乗せています。
そんな中、つよは頭痛が気になるようで……。蔦重が医者を呼ぶかというものの断ります。
こうして蔦重は復活宣言をして走り出しました。今度失敗したら次はないとも思えるのですが……。
歌麿の絵に雲母摺(きらずり)はどうでえ?
蔦重は歌麿の絵を見ています。
浮気の相。面白き相。浄き相。

『婦人相学十躰 浮気之相』喜多川歌麿/wikipediaより引用

『婦人相学十躰 面白き相』喜多川歌麿/wikipediaより引用

『ポッピンを吹く娘』喜多川歌麿/wikipediaより引用
色も綺麗に出ていると満足げな歌麿に対し、地味だと不満げな蔦重。
摺師とすりゃ、淡い色合いを出したら仕方ないと返します。
では色を変えるか?と歌麿が聞くと、蔦重は周りを雲母摺(きらずり)にしたいと言い出しました。雲母を使ったホログラム加工ですね。
金銀ほど高くはないとはいえ、錦絵ではそんなものはないと摺師も困惑しており、だからこそ斬新だと蔦重はかえって確信を強めています。
出たぜ! ここまでやってこそ。浮世絵は版権も切れているし、デジタルでも鑑賞できるし、なによりも小さい。ゆえに美術館で実物を見る気が湧かないなんて方もおられませんか。
私もかつてはそうでした。大きなキャンバスに描かれていて、一点ものの豪華な西洋絵画の方が上だと思っていたものです。
それがそうではない! 雲母摺はじめ、実物を見ることで超絶技法が理解できます。
例を挙げてみます。
こちらの月岡芳年『月百姿』の藤原公任をご覧ください。

藤原公任(月岡芳年『月百姿』)/wikipediaより引用
本やウェブで見ると装束が黒一色に見えます。
しかし実物を見ると、装束の模様が浮き上がるのです。
あるいは月岡芳年『風俗三十二相』「うるささう」。

『風俗三十二相』「うるささう」/wikipediaより引用
実物を見ると猫の体が空摺り(エンボス加工)で浮き上がって見えます。ふわふわした毛並みを再現しているわけですね。
てなわけで、浮世絵は現物を見る機会があれば、ぜひ足を運ぶべきですぜ。
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