光る君へ感想あらすじレビュー

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『光る君へ』感想あらすじレビュー第30回「つながる言の葉」和泉式部は危険な女?

まひろが夫を失って三年目の夏、都を旱魃(かんばつ)が襲っています。

車から飢えた民を見ているのは道長。

平安京の中では

「天の河水、天の河水……」

と、天からの恵みを乞うように祈祷する人々の姿も見えています。

地面がひび割れている割に背景の緑がしっかりしているところには、若干の無理も感じますが、限界なのでしょう。

まひろは乙丸を連れ、渇きを癒せる果物を買い求めるも……何も売られていません。

自分たちが干上がってしまうから帰りましょうと、乙丸も言い出すのでした。

 

雨乞いに頼るしかない公卿たち

内裏では、藤原道綱が「帝の雨乞いが効かない」とぼやいています。

それに対し、帝自らの雨乞いは二百年ぶりだと答える藤原実資。前例をすぐに出せるのが彼の強みですね。

母が嫡妻でないため、父方の遺した記録から縁遠い道綱と、記録マニアでいくらでも参照できる実資。このペアはなかなか対照的です。

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陰陽寮は安倍晴明の引退後、まるで頼りにならないそうですが。

何より公卿たちは無策でした。

藤原斉信は相変わらず力関係を把握しているだけですし、聡明であるはずの藤原公任ですら、それに相槌を打つのみ。

平安貴族は食料確保や水源の把握をできていなかったのか?

そうかもしれません。人類の進歩には、戦争が関わっているとは指摘されるところです。缶詰も、インターネットも、軍事技術の応用だと言われますよね。

古代でも、兵糧の確保と、水源の把握に聡いのは軍を率いる将です。

兵糧が尽き、水源を絶たれては勝てないので当然でしょう。水攻めをするにしたって水流を把握しておかねばなりません。

武士の世が訪れた日本史上のメリットとしては、その辺が影響しているかもしれませんね。

来年の大河ドラマ『べらぼう』の田沼時代は、フランス革命が勃発した時期。

あのころは世界的に火山噴火が活性化しており、日本では【天明の大飢饉】が起きています。

そんな地球規模の災害のなか、自領から餓死者を出さなかった名君・松平定信が重要人物として登場。

今年と来年を比較すれば、人類の進化を感じることができるのではないでしょうか。

 

安倍晴明が龍神をよぶ

まひろが帰宅すると、為時が井戸が枯れたと嘆いていました。

この夏、我らの命も持たぬかもしれぬと嘆く為時は、せめて賢子だけでも生かしたいと悲壮な表情を浮かべている。

堪らず道長が動きます――。

向かった先は安倍晴明でした。雨乞いを頼む道長ですが、さしもの晴明も歳には勝てず、話すだけで喉が渇くため祈祷などできないと渋ります。

だからといって道長も簡単には引けません。

晴明は提案をしました。己のみが身を捧げるのではなく、左大臣様も何か大事なものを差し出すように……。

「私の寿命を十年やろう」

「まことに奪いますぞ」

「よい」

「お引き受けいたしましょう」

かくして取引が成立するわけですが、これが道長の限界点でしょう。祈祷という不確実なことしかできない。

亡き兄の藤原道兼は、疫病対策として「救い小屋政策のビジョン」があったものでした。

今にして思えば、道兼はかなり聡明な政治家であり、道長は見識に限界を感じます。

晴明は剣を抜き、龍神に祈り出します。

時代がくだると、日本は剣よりも刀の存在感が強くなりますので、剣を見る機会は貴重です。

龍神よ

雲を広く厚く作り

甘雨を下したまえ

民の渇きを

潤したまえ

すると……平安京の上空に雲がかかり始めました。

本作の安倍晴明は、地味だとか、妖怪と戦わないとか、実務の人だと思われておりましたが、ここまでこなすとはすごいことです。

それにしても、ユースケ・サンタマリアさんの演技が凄まじいですね。

2021年大河ドラマ『麒麟がくる』のとき、周りを見ながら初時代劇の大河に挑むと話されていたことを記憶しています。

あのときも素晴らしい配役でしたが、その次となる本作で、ここまで神秘的、玄妙な安倍晴明を演じるとは、彼自身が雲を得た龍神のようです。

まひろは執筆中、雷雨の音を聞きます。

降りだす雨に、歓喜の声をあげる平安京の民たち。

晴明は力尽きたように倒れ、道長は安堵するのでした。

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『枕草子』を読み、定子を思い出す帝

このころ清少納言の『枕草子』が大評判となっておりました。

貴族の間ですっかり流行。

帝も定子を懐かしむように「読んでいるとまるでそこにいるようだ」と感嘆しています。

定子と共に過ごした日々がついこの間のようだとうっとり。藤原伊周は、お上の后はこれからも定子一人だと念押ししています。

感極まった帝は生まれ変わって再び定子に出会い、心から定子のために生きたいと言い出します。

伊周はそんな帝を嗜めます。

もしも、ここにいるのが実資だったら、為政者としてそれはいかがなものかと注意しそうなところです。

しかし伊周は、そんな暗い顔を定子は望まない、『枕草子』を読んで華やかで楽しかった日々のことだけを思うようにと言います。

まるで定子を利用して帝を操縦するような兄に対し、弟の藤原隆家が気持ちが悪そうな顔をしているのでした。

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まひろを先生とした「四条宮学びの会」

まひろは六日に一度、四条宮で女房に和歌を教えていました。

主催者は藤原公任の妻である敏子。

聡明な公任らしく、同じく聡明な妻と語り合っているのでしょう。

ここでまひろが「言の葉をつむぐのだ」と理詰めの解釈をして、心があってこその言葉だと言います。

人はいさ
心も知らず
ふるさとは
花ぞ昔の
香(か)ににほひける

あなたの心はわかりかねますが、昔なじんだこの里では、梅の花が変わらぬ香を漂わせていますね。

唐の詩人・劉希夷(りゅうきんい)の「代悲白頭翁」(白頭を悲しむ翁に代わりて)の一説を踏まえているとまひろは解説します。

年年歳歳 花相い似たり

歳歳年年 人同じからず

めんどくさい……確かにそうかもしれない。いちいちそんな出典云々踏まえて説明せんでも。

するとここへ、当時の夏用部屋着である単袴(ひとえはかま)姿で“あかね”という女性がやってきます。

あかねは「そんな難しいことをお考えなのか、私は思ったことをそのまま歌にする」と、あっけらかんと言ってのけます。

声聞けば
暑さぞまさる
蝉の羽の
薄き衣は
身にきたれども

蝉の声を聞くと、暑さもよりまさって感じられちゃう。私は蝉の羽みたいな薄い衣を身につけているだけなのだけれどね。

そう詠み、暑苦しいから皆様も薄着にすればいいじゃないと言い出しました。

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