光る君へ感想あらすじレビュー

光る君へ感想あらすじ

『光る君へ』感想あらすじレビュー第30回「つながる言の葉」和泉式部は危険な女?

2024/08/05

まひろが夫を失って三年目の夏、都を旱魃(かんばつ)が襲っています。

車から飢えた民を見ているのは道長。

平安京の中では

「天の河水、天の河水……」

と、天からの恵みを乞うように祈祷する人々の姿も見えています。

地面がひび割れている割に背景の緑がしっかりしているところには、若干の無理も感じますが、限界なのでしょう。

まひろは乙丸を連れ、渇きを癒せる果物を買い求めるも……何も売られていません。

自分たちが干上がってしまうから帰りましょうと、乙丸も言い出すのでした。

 


雨乞いに頼るしかない公卿たち

内裏では、藤原道綱が「帝の雨乞いが効かない」とぼやいています。

それに対し、帝自らの雨乞いは二百年ぶりだと答える藤原実資。前例をすぐに出せるのが彼の強みですね。

母が嫡妻でないため、父方の遺した記録から縁遠い道綱と、記録マニアでいくらでも参照できる実資。このペアはなかなか対照的です。

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陰陽寮は安倍晴明の引退後、まるで頼りにならないそうですが。

何より公卿たちは無策でした。

藤原斉信は相変わらず力関係を把握しているだけですし、聡明であるはずの藤原公任ですら、それに相槌を打つのみ。

平安貴族は食料確保や水源の把握をできていなかったのか?

そうかもしれません。人類の進歩には、戦争が関わっているとは指摘されるところです。缶詰も、インターネットも、軍事技術の応用だと言われますよね。

古代でも、兵糧の確保と、水源の把握に聡いのは軍を率いる将です。

兵糧が尽き、水源を絶たれては勝てないので当然でしょう。水攻めをするにしたって水流を把握しておかねばなりません。

武士の世が訪れた日本史上のメリットとしては、その辺が影響しているかもしれませんね。

来年の大河ドラマ『べらぼう』の田沼時代は、フランス革命が勃発した時期。

あのころは世界的に火山噴火が活性化しており、日本では【天明の大飢饉】が起きています。

そんな地球規模の災害のなか、自領から餓死者を出さなかった名君・松平定信が重要人物として登場。

今年と来年を比較すれば、人類の進化を感じることができるのではないでしょうか。

 


安倍晴明が龍神をよぶ

まひろが帰宅すると、為時が井戸が枯れたと嘆いていました。

この夏、我らの命も持たぬかもしれぬと嘆く為時は、せめて賢子だけでも生かしたいと悲壮な表情を浮かべている。

堪らず道長が動きます――。

向かった先は安倍晴明でした。雨乞いを頼む道長ですが、さしもの晴明も歳には勝てず、話すだけで喉が渇くため祈祷などできないと渋ります。

だからといって道長も簡単には引けません。

晴明は提案をしました。己のみが身を捧げるのではなく、左大臣様も何か大事なものを差し出すように……。

「私の寿命を十年やろう」

「まことに奪いますぞ」

「よい」

「お引き受けいたしましょう」

かくして取引が成立するわけですが、これが道長の限界点でしょう。祈祷という不確実なことしかできない。

亡き兄の藤原道兼は、疫病対策として「救い小屋政策のビジョン」があったものでした。

今にして思えば、道兼はかなり聡明な政治家であり、道長は見識に限界を感じます。

晴明は剣を抜き、龍神に祈り出します。

時代がくだると、日本は剣よりも刀の存在感が強くなりますので、剣を見る機会は貴重です。

龍神よ

雲を広く厚く作り

甘雨を下したまえ

民の渇きを

潤したまえ

すると……平安京の上空に雲がかかり始めました。

本作の安倍晴明は、地味だとか、妖怪と戦わないとか、実務の人だと思われておりましたが、ここまでこなすとはすごいことです。

それにしても、ユースケ・サンタマリアさんの演技が凄まじいですね。

2021年大河ドラマ『麒麟がくる』のとき、周りを見ながら初時代劇の大河に挑むと話されていたことを記憶しています。

あのときも素晴らしい配役でしたが、その次となる本作で、ここまで神秘的、玄妙な安倍晴明を演じるとは、彼自身が雲を得た龍神のようです。

まひろは執筆中、雷雨の音を聞きます。

降りだす雨に、歓喜の声をあげる平安京の民たち。

晴明は力尽きたように倒れ、道長は安堵するのでした。

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『枕草子』を読み、定子を思い出す帝

このころ清少納言の『枕草子』が大評判となっておりました。

貴族の間ですっかり流行。

帝も定子を懐かしむように「読んでいるとまるでそこにいるようだ」と感嘆しています。

定子と共に過ごした日々がついこの間のようだとうっとり。藤原伊周は、お上の后はこれからも定子一人だと念押ししています。

感極まった帝は生まれ変わって再び定子に出会い、心から定子のために生きたいと言い出します。

伊周はそんな帝を嗜めます。

もしも、ここにいるのが実資だったら、為政者としてそれはいかがなものかと注意しそうなところです。

しかし伊周は、そんな暗い顔を定子は望まない、『枕草子』を読んで華やかで楽しかった日々のことだけを思うようにと言います。

まるで定子を利用して帝を操縦するような兄に対し、弟の藤原隆家が気持ちが悪そうな顔をしているのでした。

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まひろを先生とした「四条宮学びの会」

まひろは六日に一度、四条宮で女房に和歌を教えていました。

主催者は藤原公任の妻である敏子。

聡明な公任らしく、同じく聡明な妻と語り合っているのでしょう。

ここでまひろが「言の葉をつむぐのだ」と理詰めの解釈をして、心があってこその言葉だと言います。

人はいさ
心も知らず
ふるさとは
花ぞ昔の
香(か)ににほひける

あなたの心はわかりかねますが、昔なじんだこの里では、梅の花が変わらぬ香を漂わせていますね。

唐の詩人・劉希夷(りゅうきんい)の「代悲白頭翁」(白頭を悲しむ翁に代わりて)の一説を踏まえているとまひろは解説します。

年年歳歳 花相い似たり

歳歳年年 人同じからず

めんどくさい……確かにそうかもしれない。いちいちそんな出典云々踏まえて説明せんでも。

するとここへ、当時の夏用部屋着である単袴(ひとえはかま)姿で“あかね”という女性がやってきます。

あかねは「そんな難しいことをお考えなのか、私は思ったことをそのまま歌にする」と、あっけらかんと言ってのけます。

声聞けば
暑さぞまさる
蝉の羽の
薄き衣は
身にきたれども

蝉の声を聞くと、暑さもよりまさって感じられちゃう。私は蝉の羽みたいな薄い衣を身につけているだけなのだけれどね。

そう詠み、暑苦しいから皆様も薄着にすればいいじゃないと言い出しました。

 

妖艶なあかねに翻弄される

敏子が苛立ち呆れたように「今日も朝寝だ」と注意すると、「親王様と話していたの」と返すあかね。

すると女房の一人が、あかね様がお放しにならなかったのではないかとからかうように指摘します。

うまいことを言うと艶やかに笑うあかね。

真面目な敏子は、そのような話し方はいかがなものかと怒りが治まらない。

まぁ、全身からセクシーさが滲んでいますからね。それどころか、あかねは「いっそのこと何もかも脱ぎたい」とまで言い出します。

みんなで脱げば恥ずかしくないでしょ。

相手が「おやめください」と諭すのも気にせず、先生であるまひろまで脱がせようとするあかね。まひろは困惑しています。

そして動き回っておきながら、動くと暑いと言い出す。つっこみどころが多い女性ですが、とびきり可愛らしいので何だかどうでもよくなります。そりゃ親王も愛するでしょう。

そしてあかねは、親王様がくださったという『枕草子』を取り出す。

なんでも内裏で大はやりとかで、先生はご存知か?と問われて「ええ」と返すまひろ。

ただ、あかねはさほど面白くなかったとか。

まひろが「軽みのある文章で良い」とフォローすると、今度は敏子が「先生の“カササギ語り”のほうがおもしろかった」と言い出す。

カササギとは、中国での七夕伝説にかかせません。織姫と彦星が出会う際、カササギが橋を作るという鵲橋の伝説があるのです。

ちなみにカササギは日本には存在しない鳥です。

では、そのお話とは?

昔々、あるところに男と女がいた。

男は体が小さく病がちだ。女はふくよかで力もちだ。

私の見立てでは、いつの世も男というものは、女より上でいたいものだ。もしこの男と女が一緒になったら、一体どうなるのだろうか? ぜひ見てみたいと思った……。

と、ここでひとまず終わり。導入部でしょう。

 

漢籍教養を持ち出すめんどくさい文人たち

この場面では理詰めで漢籍教養を持ち出すまひろと、フィーリングで詠む和泉式部の違いが見てとれました。名前だけですが、清少納言も出てきています。

三者を比較すると個性が見えてくる。

まひろこと紫式部は理詰めでお堅い。

清少納言も漢籍教養はありますが、紫式部からすれば「軽い」となりかねない。たとえばドラマにも出てきた「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」の場面です。

あれもお堅い紫式部からすれば、元となった白居易は、政治闘争の左遷の末に読んだものです。

そういう背景を抜かしてファッション感覚で使うってどうなの?――そうイライラしてもおかしくはないと思います。

清少納言からすれば「なにそれ、めんどくさ過ぎ!」となるのでしょうけれど。

日本の文人は自作に漢籍教養を織り込むことで、格の違いを見せたがるもの。

来年の『べらぼう』では、曲亭馬琴に注目です。

紫式部と似た、ガチガチで漢籍教養マウンティングが激しい人物であり、ドラマでどこまで描くか不明ですが、山東京伝の教養は大したことがないと毒を吐くかもしれません。

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平安時代の女性文人と、江戸時代の堅物作家。性格的には似たところがあると思えます。

おしゃれでインフルエンサー気質の山東京伝は、清少納言に近いともいえましょうか。

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隆家のぼやき、行成の懸念

藤原隆家は、藤原道長に対して「兄には困った、帝につけこんでいる」とこぼしています。

懐かしむのはいいことだとのんびり構える道長。

隆家は過ぎたことは忘れると返答します。花山院に矢を射かけたことも、そのせいでとんでもないことになった経緯も、忘れていますもんね。

出雲にいた無念。姉の死。そうしたことより先のことが大事だと割り切っている。帝も前を向いて欲しいとのことです。

それはそうであると道長も同意。

すると、藤原行成がくることを察知した隆家が、その場を立ち去ってゆきました。それを確認した行成は「あの男は信じないほうがいい」と釘をさします。

しかし道長は「隆家は兄とは違う」とキッパリ言い切ります。

疑う行成。確信する道長。行成は計略かもしれないと訝しんでいます。

伊周が帝、隆家が道長に取り入り、失脚されるつもりではないか、と。

道長は、隆家を嫌っているのか?と行成に尋ねます。そうではなく、道長が優しいので心配しているのだと答える行成。

しかし道長はまたも自信ありげに答えます。

「疑心暗鬼は人の目を曇らせる」

大物らしさがありますね。

ただ、道長は藤原斉信に騙されたこともありますし、なんだかおかしなことを時折言い出します。心配といえばそうでしょう。

 

まひろの厳しい育児方針

藤原為時が賢子とおはじき遊びをしています。

まひろは賢子に読み書きを教えたいのに、遊び飽きたらやらせると為時。

読み書きができないとつらいのは賢子、甘やかさぬようにと父親に釘を刺し、四条宮へ向かってゆくのでした。

父は無官。夫はない。そうなればまひろが働くしかありません。

人の親の
心は闇に
あらねども
子を思ふ道に
まどひぬるかな

子を持つ親の心は、闇というわけではない。けれども、我が子のこととなると、道に迷ったようにうろたえてしまう。

紫式部の曽祖父である藤原兼輔の歌で、『源氏物語』に何度も引かれる歌です。

 

倫子は中宮彰子を案じる

帝は定子の忘形見である敦康親王と戯れております。

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だんだんと定子に似てきたと喜ぶ帝。

彰子はじっと見守るばかりです。

これを目にした倫子は、なぜ帝は中宮を見ないのかと赤染衛門に聞きます。

疲れた様子の赤染衛門……。

倫子が気を揉んで詳しく聞き出すと、中宮様は返事なさるだけで話しかけることもないと赤染衛門が返す。

倫子は焦ります。

皇后の死から既に四年も経つのに、このままでは中宮様があまりに惨めであると。

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あかねは恋に溺れるけれど、まひろはそれができない

まひろが四条宮で酔い潰れそうなあかねとすれ違い、倒れそうになったところを抱きかかえます。

親王様と喧嘩でもしたのか?と尋ねると、こうきました。

「そうなの。なんでわかるの?」

思ったことがそのまんま顔に出ていますからね……。

座り込もうとするあかねを止めると、喧嘩の原因を語り出します。

あかねは人に代わって歌を詠んだ。それを親王が誤解し、別の男に懸想しているのか、贈ろうとしているのかと嫉妬したそうです。

扇も取り替えっこして、私の心は親王様にしかないと行っているのに……と嘆くあかね。

親王様はよほどあかね様にご執心なのだとまひろは受け止めています。そして、誰の目も憚ることなく、恋に身を捧げるのは素晴らしいことだと言います。

「まひろ様は、そういう人はいないの?」

「私は、あかね様のように思いのままに生きてみたかった……」

思わずしみじみと語ってしまうまひろ。道長とは身分違いの恋だもの……となりそうで、それを妨げているのは、まひろ自身の性格だと指摘したいところです。

今はこういうことを言っておりますが、あかねが薄着ではしゃいでいると顔がひきつっていました。まひろはあそこで「私も脱いじゃおうかな」とはまずなりませんよね。

心に分厚い衣を着ていて、脱げないのがまひろの個性だと思います。

それこそあかねタイプの女性だったら、道長の妾になっていたでしょう。最低限「賢子は道長の子だ」と暴露して、堂々と愛し合っていると思うんですよね。

しかし、何もかも忘れて愛欲に溺れるなんて彼女には無理でしょう。

『源氏物語』の女君だって、愛し愛されても我に返って「愛だけでいいの?」「もっと生きていたかった」「これでいいの?」としばしば自問自答しているようにうも思えてきます。

『源氏物語』は女君が多数出てきて、世界でも古い恋愛小説とされます。

他の古典文学恋愛ものと比較すると、女君に一本筋のようなものが通っていると思えます。恋に溺れてそのまま散っていくのではなく、一筋譲れぬ何かがある。

それが作者の個性であり、性格なのでしょう。

このドラマのまひろにも、常に芯が通っています。めんどくさいといえばそうですが、それが個性であり魅力であると言えばそうです。

 

倫子、母としての直訴

「敢えて問う、兵は率然の如くならしむべきか」

為時がそう問いかけると、道長の嫡男である藤原頼通が読みます。

「曰く、可なり。夫れ呉人と越人とは相い悪(にく)むや、其舟を同じくして済(わた)るに当りて風に遇(あ)はば、其相救うや左右の手の如しと」

『孫子』より、「呉越同舟」の故事として有名な言葉です。たとえ不仲であろうと、危難にあえば結束するという意味ですね。

兵法書を読んでいるところが興味深い。これがお約束の「兵は詭道なり」あたりだったらつまらないところです。

武士の漢籍教養がまだ低かったころは、こういうことを知らないから雑然と戦っていて、脅威になりにくかったことでしょう。

このドラマの時系列のややあと、源義家は、後三年の役の際、雁の列が乱れ飛ぶ様を見て伏兵に気づき、『孫子』のおかげだと語ったとされます。

そのころはまだ、義家ほどの武士でないと、兵法を知らなかったということでしょう。

そこへ道長がやってくると、為時が「頼通は聡明で驚くばかりだ」と告げます。

すかさず「私の子とは思えぬ」と答える道長。母親に似たのか?と思いそうになると、その母である倫子が思い詰めた顔で出てきます。

倫子は帝に、行成の書を捧げていました。

帝もこれには喜んでいます。根本先生が時間をかけて書くかな書道の逸品です。

倫子はお気に召してよかったと言い、帝は中宮への気遣いをありがたく思っていると返します。

倫子はもったいないお言葉と言いつつも「そのようなお言葉をどうか中宮様にかけて欲しい」と訴えます。幼き娘を手放し、お上に捧げた母の願いとも付け加えます。

しかし帝は、呆れていました。朕を受け入れないのは皇后の方だ……内裏にすぐ来たばかりのころ、龍笛を吹いても横を向いて朕の顔をまともに見なかったと。

それでも倫子は、出過ぎたことと前置きしつつ「お上から中宮様の目の向く先にお入りください」と訴えるのでした。

母の命を懸けた願いであるとも付け加えます。

妻のあまりの厚かましさに呆然とする道長。

そのようなことに命を懸けずともよいと言い残し、帝は出て行きました。道長は妻をじっと見つめるばかり。

道長は、夫婦だけになると、お前はどうかしている、もしこれで帝が彰子を避けるならどうしようもないと訴えます。それでも黙っているよりはよいと返す倫子。

道長は「わからぬ」と理解しません。

「殿はいつも私の気持ちはおわかりになりませぬゆえ」

そう冷たく言い放つ倫子です。

確かにそうかもしれない。行成相手にしても、行成がどうして疑うのか、不安なのか、寄り添って聞き出そうとはしていません。

 

道長は光を求める

道長も限界です。

藤原伊周はまだ呪詛を続けているし、心労がたたっている。

晴明に相談すると、道長は闇の中にいると言われてしまう。

「まさに闇の中だ」と認める道長。

しかし晴明は、待てばいつか光がさすとも説明します。

いつかわからなねば持たぬと弱音を吐く道長に対しては、「持たねばそれまで」と突き放しつつ、そこを乗り切れば光が煌々と照らすとも言い切りました。

全てがうまく回れば、私なぞどうでもいいと道長。

無私で淡白な性質なのでしょう。

「今、貴方様のお心の中に浮かんでいる人に会いにいきなされ……それこそが貴方様を照らす光にございます」

晴明が、最後になんだか曖昧なことを言い出しました。

見る側としては「そうなるのか」と納得できるでしょう。

 

学問を勧めておきながら「女を幸せにしない」とは?

まひろは賢子を厳しく指導しています。

為時がやってきて自らを「じい」と呼ぶと、まひろは「おじじ様」とすかさず訂正させる。

為時はまひろの気持ちに理解を示しつつ「学問は女を幸せにしない」と言います。

「それは私のことか?」とムッとしてしまうまひろ。確かに今さらそれを言われても辛いところですよね。

否定しようとしながら、それは少しあると思わず本音を返してしまう為時に対し、まひろはこう言い切ります。

「父上が授けた学問が私を不幸にしたことはございませぬ」

為時は、それはよかったと言いながらも、亡き宣孝のように「聡明さを愛でる男はなかなかいない」と言葉を濁します。

すると、あの弟がやってきました。藤原惟規です。

「またやられているのか」と軽薄に話しながらやってきた。思えばこいつは、藤原為時一家の苦難の際、全く頼りにならないどころか出てこなかったっけ。それでおいてここで来るのか。

なんでも今は内記の務めを淡々とこなしているそうで、為時は一生懸命学問を授けてもこれだと呆れています。

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姉上みたいに難しいことを言わぬ女のほうが幸せだと、さらに続けてしまう惟規。

何しにきたのか?と為時が問うと、油小路の女のところで寝過ごして、嫌になったから父の顔を見にきたそうです。なんでも最近は左大臣から位記作成を命じられているとか。

この場面は現在放映中の朝の連続テレビ小説『虎に翼』を連想させます。

ヒロインである寅子は、穂高という男性から法律を学ぶように導かれます。

それが寅子が結婚すると、良妻賢母が本来の女の道だと穂高は諭して、弁護士をやめるよう促す。

寅子は後年、はじめに法律の道を勧めておいて、後になってから女本来の道だのなんだの言い出して許せないと怒ります。

この穂高と為時の主張は似ています。

女に学ぶ楽しさ喜びを教えておきながら、女の幸せは男に愛されることだなどとぬかす。

はじめに示した自己実現という幸せを否定するのか――そんなわだかまりが残っても仕方ないところでしょう。このあたりは、意図的にボールを投げているように思えます。

それというのも、新五千円札の顔である津田梅子、その盟友である大山捨松たち以来、日本という近代国家が直面した宿痾でもあるのですね、

梅子と捨松たちは、日本初の女子留学生として学んでこいとアメリカに送り出されました。

それが帰国すると……

「結婚しなさい、それが女の道だ」

と、学んだことを活かす道を全て塞がれます。

捨松は大山巌との結婚を選ぶしかなかったものの、梅子は自己実現のための女子教育へ邁進したのです。捨松もそんな梅子を援助し続けました。

『虎に翼』の寅子は、そんな世代のあと。寅子の苦難は百年経ってもさして変わらない。だからこそ響くのだと評されます。

日本女性の識字率や義務教育の就学率は、男性と差がありません。

それが大学から先の進学率となると男女差が開く。学歴と給与となると、さらに差が開いてゆきます。政治家や社長の比率も低いものです。

日本女性は「これからも女性は学ぶ時代だ」と周りから言われる。それを信じて突き進むと……

「でも頭のいい女は可愛らしくないよ」

「まあ良妻賢母が女の幸せだから」

こう言われるわけです。

そういう現状への憤りが背景にあればこそ、朝ドラと大河というNHK二枚看板ヒロインが火力高めに怒っているのだと思います。

脚本家だけの意思とも思えませんし、意図してこうしてきていると思えます。

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その後、四条宮でまひろは「カササギ語り」の続きを語っています。

女のふりをしていた男は、心から女になりたいと思っていた。

男のふりをしていた女も、心から男になりたいと思っていた。

カササギは、嘘をついた二人に試練を与えようと思っていたけれど、やめた。

この二人がどうなったのか、カササギの知るところではない。

前述したように、カササギは七夕伝説の鳥です。

つまり、この男と女は結ばれなかったであろうことは想像がつきます。

「なんだか難しいわ」

困惑する姫たち。男になりたいと思ったことはないと一人が言うと、まひろは熱心に「男だったら政治に携われる」と説明しますが……姫からすれば「えらくならないとできない、面倒なことは男に任せたい」と乗り気ではありません。

 

藤原為時の娘は物語を書くのがうまいとか

公卿たちが宴をしております。

この場面で出てくる料理は今の和食とは異なり興味深いものがありますね。

背景にある五色幕もよい。五行説由来ですね。

すると話題は『枕草子』へ。

中関白家の隆盛につながりかねないためか、行成が懸念していると、斉信はききょうにあれほどの才があるならば、手放さねばよかったと惜しんでいます。

斉信が、才知を見抜けなかった迂闊な者のようであり、先程の為時の言葉も打ち消している。

女の才知を買う者もいる、ということです。

藤壺を華やかにして対抗するのはどうかと公任が告げると、帝の倹約思考のもとでは厳しいと行成が首を横に振る。

そのうえで「帝は書物がお好きだから『枕草子』を超える読み物があればよい」とぼやきます。行成が筆写すれば一石二鳥ですね。

しかし、そのような面白い書物を書くものがいるのか――道長がそうぼやくと、公任が、そういえば、と気付いたように話し始めました。

四条宮の学びの会に、評判の物語を書く女がいる。どんな女なのか?というと、藤原為時の娘である。

斉信が「あぁ、あの地味な女か」と相変わらずな扱いをしていますが、プライドの高い公任としては、所詮女子どもの読むものと断りながら「妻も楽しみにしている」と認めているような発言をします。

「ふーん……」

そう言いつつ、全てが噛み合った顔になる道長。

晴明の言っていた女がまひろだったのか!

そう全てがカチリと嵌ったような展開――諸葛亮という臥竜を知った劉備のようですね。

 

まひろは書きたい 道長は書かせたい

まひろが熱心に何かを書いています。

賢子はおはじきをしたいというものの、「今、忙しい」とつっぱねる。

まひろは夜まで執筆中。一時退席すると、賢子がまひろの原稿に火をつけ、箱に入った書いたものに投げ入れました。

仕方ないとはいえ、こんないい紙に書いた、根本先生の作品が燃えてしまうとはとんでもないことです。

まひろが戻ってくると、慌てて火を消し止めます。

そして賢子を本気で叱りました。

木造建築の日本で火の不始末は洒落になりませんので、やりすぎとは思えない。

とはいえ、まひろは理詰めすぎて逃げ場を与えないので、賢子がかわいそうにもなってくる。

為時がなだめ、泣き出す賢子。

翌朝、為時が賢子を連れて賀茂神社に行くから、好きなだけ書けと告げています。

このあたりの展開も『虎に翼』と重なっていて、母が直面する仕事と育児の両立はどうするのかという課題に思えます。

NHKドラマチームは、時代を超えて直面する困難を取り上げたいように思えます。

ただ、時代の違いはあります。

さきほど、紫式部と、曲亭馬琴が似たタイプと書きました。

育児にしてもそうです。昔の日本では、男子の育児は父、女児の育児は母の領分でした。馬琴は嫡男をあまりに厳しく教育しすぎて、なかなか大変なことになっています。

『べらぼう』の主要人物も、育児に失敗する男親が多いものです。

そこは本来、必ずしも女性だけが直面することでもありません。

さて、残されたまひろのもとに藤原道長がやってくるのでした。

 

MVP:あかね

なんなんでしょう、この、ヒロインが持っていないものを全部載せしたような女は!

実際の和泉式部を踏まえつつ、敢えてまひろがいろいろ突き刺さる造型にしていると思えます。

あかねははっきり言いまして、セクシー全開で相当危険な女性です。

何もかも委ねて、心開いて、愛嬌たっぷり。こんな美女と過ごせるなら人生全部賭けてもいい。捨ててもいい。

そうメロメロにさせてくるものがあります。

これまで出てきたどの女性よりも、ともかく愛くるしい。愛されヒロインとして最上級です。

相当身勝手で空気も読んでいないけれども「あかね様だから仕方ない」と本気で怒る気がでない性格をしているんですね。

一方、まひろは真逆。面倒臭い女です。

理詰めで、納得できなければ乗ってこないし、どこか心を閉ざしていて、ガードが硬い。

なんのかんので道長から「妾にならないか?」と言われたら、えげつない断り方をした。無言ですれ違う塩対応もした。

道長が鷹揚なので途切れていませんが、「あんな女は絶対許さん!」と怒ってしまう人がいても全く不思議ではないでしょう。

まひろは性格ひねくれてますね。しかし、そこが魅力でもあります。そのかわいげのない面倒臭さがいい。

演じる吉高由里子さんははっきりと「ああ、鬱陶しい」「舐め腐りおって」と顔に出すところがまだ素敵ですね。

今回、まひろは本当にめんどくさい――そのことを対照的なあかねが敢えて見せつけてきました。

名前だけが出てきている清少納言も、まひろほどはややこしくない。

そうして各人の個性を出しつつ、そりゃこれだけ皆性格が違うならば、アウトプットの結果も違うだろうと突きつけてきているのが、本作に思えます。

『源氏物語』は、日本では長らく数少ないの長編物語で、他の選択肢が限られておりました。

時代がくだると不動の名作となります。

でも冷静に考えてみると、何かこちらに突きつけてくるような、ややこしさがあります。

他国の古典と比べると、なぜ、日本代表はこんなに面倒なのだろうかと思えることもあります。

それも作者がめんどくせー女だったからだよ!

そうまとめられると、そうかもしれないと腑に落ちるのでした。

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【参考】
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武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

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