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【『光る君へ』感想あらすじレビュー第30回「つながる言の葉」】
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倫子、母としての直訴
「敢えて問う、兵は率然の如くならしむべきか」
為時がそう問いかけると、道長の嫡男である藤原頼通が読みます。
「曰く、可なり。夫れ呉人と越人とは相い悪(にく)むや、其舟を同じくして済(わた)るに当りて風に遇(あ)はば、其相救うや左右の手の如しと」
『孫子』より、「呉越同舟」の故事として有名な言葉です。たとえ不仲であろうと、危難にあえば結束するという意味ですね。
兵法書を読んでいるところが興味深い。これがお約束の「兵は詭道なり」あたりだったらつまらないところです。
武士の漢籍教養がまだ低かったころは、こういうことを知らないから雑然と戦っていて、脅威になりにくかったことでしょう。
このドラマの時系列のややあと、源義家は、後三年の役の際、雁の列が乱れ飛ぶ様を見て伏兵に気づき、『孫子』のおかげだと語ったとされます。
そのころはまだ、義家ほどの武士でないと、兵法を知らなかったということでしょう。
そこへ道長がやってくると、為時が「頼通は聡明で驚くばかりだ」と告げます。
すかさず「私の子とは思えぬ」と答える道長。母親に似たのか?と思いそうになると、その母である倫子が思い詰めた顔で出てきます。
倫子は帝に、行成の書を捧げていました。
帝もこれには喜んでいます。根本先生が時間をかけて書くかな書道の逸品です。
倫子はお気に召してよかったと言い、帝は中宮への気遣いをありがたく思っていると返します。
倫子はもったいないお言葉と言いつつも「そのようなお言葉をどうか中宮様にかけて欲しい」と訴えます。幼き娘を手放し、お上に捧げた母の願いとも付け加えます。
しかし帝は、呆れていました。朕を受け入れないのは皇后の方だ……内裏にすぐ来たばかりのころ、龍笛を吹いても横を向いて朕の顔をまともに見なかったと。
それでも倫子は、出過ぎたことと前置きしつつ「お上から中宮様の目の向く先にお入りください」と訴えるのでした。
母の命を懸けた願いであるとも付け加えます。
妻のあまりの厚かましさに呆然とする道長。
そのようなことに命を懸けずともよいと言い残し、帝は出て行きました。道長は妻をじっと見つめるばかり。
道長は、夫婦だけになると、お前はどうかしている、もしこれで帝が彰子を避けるならどうしようもないと訴えます。それでも黙っているよりはよいと返す倫子。
道長は「わからぬ」と理解しません。
「殿はいつも私の気持ちはおわかりになりませぬゆえ」
そう冷たく言い放つ倫子です。
確かにそうかもしれない。行成相手にしても、行成がどうして疑うのか、不安なのか、寄り添って聞き出そうとはしていません。
道長は光を求める
道長も限界です。
藤原伊周はまだ呪詛を続けているし、心労がたたっている。
晴明に相談すると、道長は闇の中にいると言われてしまう。
「まさに闇の中だ」と認める道長。
しかし晴明は、待てばいつか光がさすとも説明します。
いつかわからなねば持たぬと弱音を吐く道長に対しては、「持たねばそれまで」と突き放しつつ、そこを乗り切れば光が煌々と照らすとも言い切りました。
全てがうまく回れば、私なぞどうでもいいと道長。
無私で淡白な性質なのでしょう。
「今、貴方様のお心の中に浮かんでいる人に会いにいきなされ……それこそが貴方様を照らす光にございます」
晴明が、最後になんだか曖昧なことを言い出しました。
見る側としては「そうなるのか」と納得できるでしょう。
学問を勧めておきながら「女を幸せにしない」とは?
まひろは賢子を厳しく指導しています。
為時がやってきて自らを「じい」と呼ぶと、まひろは「おじじ様」とすかさず訂正させる。
為時はまひろの気持ちに理解を示しつつ「学問は女を幸せにしない」と言います。
「それは私のことか?」とムッとしてしまうまひろ。確かに今さらそれを言われても辛いところですよね。
否定しようとしながら、それは少しあると思わず本音を返してしまう為時に対し、まひろはこう言い切ります。
「父上が授けた学問が私を不幸にしたことはございませぬ」
為時は、それはよかったと言いながらも、亡き宣孝のように「聡明さを愛でる男はなかなかいない」と言葉を濁します。
すると、あの弟がやってきました。藤原惟規です。
「またやられているのか」と軽薄に話しながらやってきた。思えばこいつは、藤原為時一家の苦難の際、全く頼りにならないどころか出てこなかったっけ。それでおいてここで来るのか。
なんでも今は内記の務めを淡々とこなしているそうで、為時は一生懸命学問を授けてもこれだと呆れています。
紫式部の弟・藤原惟規は実際どれほど出世できたのか モテる男だったのか?
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姉上みたいに難しいことを言わぬ女のほうが幸せだと、さらに続けてしまう惟規。
何しにきたのか?と為時が問うと、油小路の女のところで寝過ごして、嫌になったから父の顔を見にきたそうです。なんでも最近は左大臣から位記作成を命じられているとか。
この場面は現在放映中の朝の連続テレビ小説『虎に翼』を連想させます。
ヒロインである寅子は、穂高という男性から法律を学ぶように導かれます。
それが寅子が結婚すると、良妻賢母が本来の女の道だと穂高は諭して、弁護士をやめるよう促す。
寅子は後年、はじめに法律の道を勧めておいて、後になってから女本来の道だのなんだの言い出して許せないと怒ります。
この穂高と為時の主張は似ています。
女に学ぶ楽しさ喜びを教えておきながら、女の幸せは男に愛されることだなどとぬかす。
はじめに示した自己実現という幸せを否定するのか――そんなわだかまりが残っても仕方ないところでしょう。このあたりは、意図的にボールを投げているように思えます。
それというのも、新五千円札の顔である津田梅子、その盟友である大山捨松たち以来、日本という近代国家が直面した宿痾でもあるのですね、
梅子と捨松たちは、日本初の女子留学生として学んでこいとアメリカに送り出されました。
それが帰国すると……
「結婚しなさい、それが女の道だ」
と、学んだことを活かす道を全て塞がれます。
捨松は大山巌との結婚を選ぶしかなかったものの、梅子は自己実現のための女子教育へ邁進したのです。捨松もそんな梅子を援助し続けました。
『虎に翼』の寅子は、そんな世代のあと。寅子の苦難は百年経ってもさして変わらない。だからこそ響くのだと評されます。
日本女性の識字率や義務教育の就学率は、男性と差がありません。
それが大学から先の進学率となると男女差が開く。学歴と給与となると、さらに差が開いてゆきます。政治家や社長の比率も低いものです。
日本女性は「これからも女性は学ぶ時代だ」と周りから言われる。それを信じて突き進むと……
「でも頭のいい女は可愛らしくないよ」
「まあ良妻賢母が女の幸せだから」
こう言われるわけです。
そういう現状への憤りが背景にあればこそ、朝ドラと大河というNHK二枚看板ヒロインが火力高めに怒っているのだと思います。
脚本家だけの意思とも思えませんし、意図してこうしてきていると思えます。
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その後、四条宮でまひろは「カササギ語り」の続きを語っています。
女のふりをしていた男は、心から女になりたいと思っていた。
男のふりをしていた女も、心から男になりたいと思っていた。
カササギは、嘘をついた二人に試練を与えようと思っていたけれど、やめた。
この二人がどうなったのか、カササギの知るところではない。
前述したように、カササギは七夕伝説の鳥です。
つまり、この男と女は結ばれなかったであろうことは想像がつきます。
「なんだか難しいわ」
困惑する姫たち。男になりたいと思ったことはないと一人が言うと、まひろは熱心に「男だったら政治に携われる」と説明しますが……姫からすれば「えらくならないとできない、面倒なことは男に任せたい」と乗り気ではありません。
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