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【『光る君へ』感想あらすじレビュー第30回「つながる言の葉」】
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まひろの厳しい育児方針
藤原為時が賢子とおはじき遊びをしています。
まひろは賢子に読み書きを教えたいのに、遊び飽きたらやらせると為時。
読み書きができないとつらいのは賢子、甘やかさぬようにと父親に釘を刺し、四条宮へ向かってゆくのでした。
父は無官。夫はない。そうなればまひろが働くしかありません。
人の親の
心は闇に
あらねども
子を思ふ道に
まどひぬるかな
子を持つ親の心は、闇というわけではない。けれども、我が子のこととなると、道に迷ったようにうろたえてしまう。
紫式部の曽祖父である藤原兼輔の歌で、『源氏物語』に何度も引かれる歌です。
倫子は中宮彰子を案じる
帝は定子の忘形見である敦康親王と戯れております。
定子の長男・敦康親王の不憫すぎる生涯 一条天皇の第一皇子は二十歳にして散る
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だんだんと定子に似てきたと喜ぶ帝。
彰子はじっと見守るばかりです。
これを目にした倫子は、なぜ帝は中宮を見ないのかと赤染衛門に聞きます。
疲れた様子の赤染衛門……。
倫子が気を揉んで詳しく聞き出すと、中宮様は返事なさるだけで話しかけることもないと赤染衛門が返す。
倫子は焦ります。
皇后の死から既に四年も経つのに、このままでは中宮様があまりに惨めであると。
史実の藤原彰子(道長の長女)はどんな女性?道長・式部・一条天皇との関係は?
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あかねは恋に溺れるけれど、まひろはそれができない
まひろが四条宮で酔い潰れそうなあかねとすれ違い、倒れそうになったところを抱きかかえます。
親王様と喧嘩でもしたのか?と尋ねると、こうきました。
「そうなの。なんでわかるの?」
思ったことがそのまんま顔に出ていますからね……。
座り込もうとするあかねを止めると、喧嘩の原因を語り出します。
あかねは人に代わって歌を詠んだ。それを親王が誤解し、別の男に懸想しているのか、贈ろうとしているのかと嫉妬したそうです。
扇も取り替えっこして、私の心は親王様にしかないと行っているのに……と嘆くあかね。
親王様はよほどあかね様にご執心なのだとまひろは受け止めています。そして、誰の目も憚ることなく、恋に身を捧げるのは素晴らしいことだと言います。
「まひろ様は、そういう人はいないの?」
「私は、あかね様のように思いのままに生きてみたかった……」
思わずしみじみと語ってしまうまひろ。道長とは身分違いの恋だもの……となりそうで、それを妨げているのは、まひろ自身の性格だと指摘したいところです。
今はこういうことを言っておりますが、あかねが薄着ではしゃいでいると顔がひきつっていました。まひろはあそこで「私も脱いじゃおうかな」とはまずなりませんよね。
心に分厚い衣を着ていて、脱げないのがまひろの個性だと思います。
それこそあかねタイプの女性だったら、道長の妾になっていたでしょう。最低限「賢子は道長の子だ」と暴露して、堂々と愛し合っていると思うんですよね。
しかし、何もかも忘れて愛欲に溺れるなんて彼女には無理でしょう。
『源氏物語』の女君だって、愛し愛されても我に返って「愛だけでいいの?」「もっと生きていたかった」「これでいいの?」としばしば自問自答しているようにうも思えてきます。
『源氏物語』は女君が多数出てきて、世界でも古い恋愛小説とされます。
他の古典文学恋愛ものと比較すると、女君に一本筋のようなものが通っていると思えます。恋に溺れてそのまま散っていくのではなく、一筋譲れぬ何かがある。
それが作者の個性であり、性格なのでしょう。
このドラマのまひろにも、常に芯が通っています。めんどくさいといえばそうですが、それが個性であり魅力であると言えばそうです。
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