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【『どうする家康』感想あらすじレビュー第7回「わしの家」】
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どうする衣装とメーク
信長がマントを常時身に着けているので、かえって貧乏くさく思えてきました。
『それしか持ってないの?』
そう思ってしまうわけです。
もしかして予算が無いのか……と心配になる一方、秀吉の日焼けを表すドーランは、いかにも「塗りましたよ!」という感じが出るほど、贅沢に塗りたくられていました。
『麒麟がくる』の染谷将太さんは、実は色白であり、ドーランで日焼けしたように見せていました。
それがあまりにも自然な仕上がりだったからでしょう。長谷川博己さんは、メイクを落とした染谷さんを見て「そうだ、こんなにかわいかったんだ」とハッとしたとか。
そうした仕上がりと比べると、今回の秀吉は、まるでコントのように汚れていて、とにかく嘘くさい。
これまた『麒麟がくる』の場合、秀吉の衣装は五行説のため“白”がテーマでした。
白い衣装を絶妙な感じで汚くするにはどうするか?
担当は、非常に苦労したと言いますが、一方で本作は、あまりに雑で何が何やら……。
リアリティがないだけでなく、全体的な印象として豪華さや重厚さを感じられません。
どうする説明セリフとナレーション、そしてテロップ
「不入権」というなかなか重要なことを割と早口でさっくり説明する家康。
ナレーションもふざけてないで、ここは落ち着いて説明すべきではないでしょうか?
『鎌倉殿の13人』の長澤まさみさんのように、しっとりと語られれば自然と聞き入ってしまうのに、本当にこのドラマはセリフとナレーションの使い方が下手くそです。
説明セリフを削るためにもナレーションを活用すべき。
大事な冒頭を、家臣らとのおふざけにしか使えていません。テロップもそうです。
このドラマは、歴史的な事象を咀嚼しきれずに進んでいて、それを「難易度を下げている」とアピールするかのようでいて、実際は単なる不親切になっています。
一揆へ向かう経緯も無茶苦茶でした。
いったい脚本家や演出家は、家康をどこまで本気で好きなのか?
戦国時代の何を描きたいのか?
そうした熱がないことが、画面の節々から漏れ出ていて、それを感じるたびに私は悲しくなります。
歴史ドラマにできないから、どこか既視感のある、わちゃわちゃした青春現代劇で誤魔化そうとしていると感じるのです。
どうする知略パラメータ
本作は、女の井戸端会議も好きですね。
なぜ重要情報をそんなところでやりとりして、家康が察知するのか?
彼は情報察知能力が著しく欠如しています。
ゲームパラメータにしたら知略が55~60ぐらい。
『麒麟がくる』の家康は95を超えている印象でしたが、本作の武将が総じてアホみたく見えるのは「アブダクション」=仮説形成ができていないからでしょう。
断片情報を組み合わせて一定の情報を導き出すことです。
『麒麟がくる』では、光秀が朝倉義景の城下町で世間話をして、戦の準備を民がしていないことから、不備を察知していました。
『鎌倉殿の13人』では三浦義村や大江広元が際立っていて、彼らは坂東武者の言動を読み取りながら、最善の策を練っていました。
それに引き換え、農民に扮して本證寺に潜り込む、本作家康の、あまりに稚拙で愚かなことよ。
あんな、わざとらしいバレバレの格好で乗り込み、空誓上人に戦を止める方法を聞くって、お花畑にもほどがありませんか?
と言い訳したいのかもしれませんが、アイツら、寺内でナンパしてましたからね。
これを面白いから笑えとおっしゃります?
先週の忍者はどうしました?
彼らのうち誰か数名を送り込んでおけば済む話ではありませんか。
要は、この家康は、志村けんのバカ殿のごとく、ああいったお遊びが好きなだけか、あるいは、三河一向一揆を描く能力が脚本家に欠如しているかでしょう。
浮世離れした展開で、見ているのが恥ずかしいほどでした。
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