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【『どうする家康』感想あらすじレビュー第25回「はるかに遠い夢」】
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現実世界そのものに興味関心がないようで、常にデッサンが狂ったアニメの失敗回みたいな映像効果になっています。
実写なのに作画崩壊アニメを彷彿とさせるって、すごいことだと思います。二度と見たくはありませんが。
しかもこの場面は、浜松城と佐鳴湖の方向からして、船で来るのはおかしいと突っ込まれていました。
実際に地図で確認すると、
確かに、瀬名が佐鳴湖の東岸にいるとしたら、家康が船で向かう理由が見えないんですよね。
船でしか到達できないような場所だったんでしょうか……。
なんせ「あり得ない方向に虹が出ている」とも指摘されるようなドラマですので、方位とかどう設定しているのか。
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どうする責任
ここまで大規模な謀をして、家康がお墨付きを与えたのに、瀬名と信康の首で済む――この時点でありえません。
土台が崩れた場所にどんな家を建てようと、崩れるだけ。このドラマは土台すらできていない。
幕末史の例を見てみましょう。
生麦事件でイギリス人が殺傷されたことで、相手が報復することになります。
イギリス側としては殺傷した犯人の引き渡しを求めたものの、薩摩藩側は藩主の身が危ういと焦った。背後にはそういう食い違いがあるとされます。
配下のやらかしたことでも、上に立つものの責任が問われる。そういう価値観があればこそ、誤解が生じたと言えます。
幕末の戦争は、将軍や藩主の首は保たれております。責任の所在のありようが変わっていったのでしょう。
とはいえ、徳川慶喜の助命にはイギリスの思惑も絡んでおりますし、藩主は助かっても家老級の人物が切腹させられています。
要するに、この状況で【家康が助かることはありえない】と考える方が自然です。いやぁ、信長は優しいなぁ。
本気で家康が瀬名を救いたかったら、陰謀を察知した時点でリスクをふまえ、止めるべきでした。
それをあんな雑な状態で放置した挙句、死に追いやる。『そのつもりはなかった』なんて言い訳は通用しません。
無能はときに最悪の結果を生む。この家康はまさにそうでした。
どうする視聴者の年齢層操作
『どうする家康』は「シン・大河」だのなんだのぶちあげ、若者向けとされています。
そんなことにエビデンスはなく、ふわっとした宣伝戦略でそうなっているだけ。
一方、それを否定するエビデンスはありました。
◆【どうする家康】瀬名の描く理想国、多くの布石打った脚本が前代未聞の展開に(→link)
注目は「ウルトラC」なんて言葉を使った以下の部分です。
■ 固定概念から完全にフリーダムな物語へ
こうして悲劇の舞台が全部整った、まさに「地獄回」。それを嘆くと同時に、なぜ徳川と武田の戦は思った以上に長期化したのか、なぜ穴山信君は勝頼を裏切って徳川方に付いたのか、そしてなぜ家康は200年以上も戦争のない平和国家の基礎を作れたのか・・・という史実の疑問への思わぬ回答や布石を、これでもかと詰め込みながらも「あー、そういうことか!」と納得させるという、ウルトラCの脚本にうなる人も多かった。
ウルトラCとは、1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックで生まれた言葉です。ほぼ60年前ですね。
果たしてそんな古い言葉が、本物の若者の心に響くものなのか?
『いだてん』もそうでしたが、若者向けだの斬新だの、必要以上に強調する大河はむしろ胡散臭い。1964年東京オリンピックにノスタルジーを感じる層は、もう若くはありません。
では、どうしてそうなるのか?
大河と朝ドラは、40代から50代に忖度すると好評になる。
『舞いあがれ』が典型例で、「大学はサークル活動のために行くの! 講義中は居眠りでしょw」というヒロインの価値観は、劇中のヒロイン設定より十年以上ずれていました。
それでも今のSNSヘビーユーザーであり、メディアの上層部にいる層は、
「うんうん、大学生ってそういうものだよねw」
と自分を基準にして判断し、肯定する。
むしろ自分の大学時代がだらけきっていたことをNHKに肯定されたようで嬉しくなっちゃうのでしょう。
◆『どうする家康』 なぜ瀬名は「策謀家」として殺されねばならないのか その真の意味(→link)
まるで、蘇秦か張儀か鬼谷子か……って、失礼なのでやめていただけませんか。
中国の英雄にあまりに失礼です。
瀬名が近いのはむしろ三国志作品で序盤の張角あたりでしょうよ。
いや、張角だってもっと立派ですが、フィクションだとカルト教祖扱いにされるという意味です。
千代のバンダナを黄色くすれば、まさしく黄巾党ですね。
◆【甘口辛口】「どうする家康」は現代を色濃く反映させた戦国ファンタジー 〝闇落ち〟するであろう家康がどう豹変するか楽しみだ(→link)
「闇堕ち」とか、ネットスラングの類を使えば若者アピールできるという発想でしょうか。
豹変といえば、月代になることぐらいでは?
◆「どうする家康」17年前からのロングパス伏線…瀬名「命を懸ける時」ネット悲痛「遺言という名の呪い」(→link)
NHKとジャニーズ忖度に余念がない大手スポーツ紙は、本当に毎回懲りずにしつこいですが、またもや「伏線」ですわ。
『カムカムエヴリバディ』以来ネットニュースが大好きな「伏線」に、「ネット悲痛」と入れて若者アピールにぬかりはありません。
今、ドラマ報道の頂点にいる層を狙えばいい。
そういう中身にしながら「若者狙いのせいでそうなっている」と誘導して、駄作の責任回避をしているようにしか見えません。
「いやあ、オイラみたいなおじさんとしてはちょっと軽いカナ、って思っちゃうケド。今の若い子はこういうのが好きだからね( ^∀^) オイラには若い子の好みもわかるんだ」
そんなわけあるか!
どうする「役者のイメージ重視」
「でもさ〜、ほら、役者のイメージってあるでしょw あの役者さんを悪役にできないからああなっているのw」
こんな擁護もあるようですが、俳優という職業をどう思っているのか。
イギリスの俳優が一度は演じて欲しい役は、シェイクスピアの『リチャード三世』タイトルロールです。
最低最悪の悪役として有名なのです。
しかし、そんな悪役だからこそ、演じることで新境地に挑みたい。
韓国の場合、実力派俳優は憎々しいほどの悪役や、どうしようもない役を演じることがステータスシンボルになっています。
にもかかわらず、陳腐な擁護をしている時点で、役者という職業への敬意は感じられませんし、それが日本の芸能界のお約束だとすれば、危機的だと思います。
私が最も気になるのは、今川氏真役と武田勝頼役が十分悪党として描かれているという点です。
演じる方はまだ若く、時代劇との相性もよく、実力もある。
将来大河の看板を背負って立つ有望な役者だと思います。
そういう二人、これから伸びゆく逸材に泥を塗りたくっておきながら、どうして「役者のイメージが大事!」と言えるのか。私には理解できません。
どうする「陰謀論」
所詮はドラマなんだから、傑作と褒める人がいても、駄作と貶す人がいてもいい。こんな意見もありますよね。
しかし、私はそうは思えません。
ドラマの感想をSNSに書く
↓
RTといいねがつく、フォロワーも増える!
↓
目立つために過激な投稿や、トリビア、芸能通らしいこと言うようになる
↓
肥大化する自我
これの何が悪いか?って、自分の頭で考えることを放棄して、まずはネットウケばかり気にするようになります。
「インフルエンサー」の語ったことは、事実として間違っていても拡散してゆくもの。
そのインフルエンサーがどうにもおかしくなっていくというのは、水源に毒を撒くようなものでしょう。
さらには、目の前にいる大事な誰かより、ネットの反応を重視するようになります。
私の友人は、ドラマのネット評に浸かりすぎた結果、だんだんと精神が悪化してゆきました。あれほどファン心理を熱く語る割には、私が好きなドラマを悪様に罵倒しだしました。
しかも実は一度も見ていない。
会社で同僚が悪口を言っていることを聞き、真実だと思いこみ「こんな非常識な作品は叩かれて当然でしょw」と得意げに語っていました。
訂正するのも面倒なので、放置していたら悪化するばかり。
その人が信奉するインフルエンサーが、ヘイトを繰り返す陰謀論者となってしまったため、その人も朝から晩まで罵倒と陰謀論を呟く人になっていました。
ドラマを褒めるにせよ、貶すにせよ、ヘイトや陰謀論という毒が混ざると危険です。
「お前が言うんじゃねえよ!」
はい、そんな声が聞こえた気がします。
それはそうですね。なるべくエビデンスを得つつ、慎重にいきたいと思います……が、同時に大事なのが自分の頭で考えることでしょう。
私の言うことにガンガン脳内で反論してください。そうすればインフルエンサーやクソレビュアーに影響されることもありません。
思考を鍛えていきましょう。
どうするファンダム
今年の大河は、非常に危険な水域に入り込みつつある。
ファンダムが例年よりもはるかに荒れています。
大河は当然好みがあって、否定も肯定もありえる中、今年はファンがアンチを罵倒し、相手もそれに応答し、バトル状態になっています。ファンダムが乱世状態だと、瀬名の理想論がますます虚しい。
個々人をどうこうする意図はない。むしろ、水源に毒を注ぎ込んでいる何かがあるように思える。
孫子曰く、「上兵は謀を伐つ」。最善の策は謀略を見抜くことだという。
なぜファンダムが荒れるのか? 個人単位でなく、どうした意見が危険なのか、考えてみましょう。
こちらのメディアは、識者が上品に褒め称えるスタイルが持ち味でした。
しかし、
おそらく古参の大河ドラマファンが『どうする家康』に抱いているのも、そういった違和感だろう。
ただ、さすがにタイムスリップや転生設定があるわけではないし、大河ドラマでは史実から離れた設定がNGかと言えば、そんなこともない。
こういう挑発的な論調になっており、
古参の大河ドラマファン=頭の固いジジババが悪い
という誘導が見られます。
もちろん達者な筆で毒は相当薄めてありますが、私は眉間に皺がよりました。
ここの段落まで読み進めたら、もう決定的です。
そういった大掛かりな詐欺的行動というのは、古沢の代表作である『コンフィデンスマンJP』(フジテレビ系)でおなじみ。架空の空港を作ったり、映画の企画をでっちあげロケ撮影までしたりと、同作で展開した数々のフェイクを思い出した。歴史的には「ありえない!」かもしれないが、古沢作品としては「あるある」。服部半蔵(山田孝之)が率いる忍びたちが城壁の下で死んだふりをし、夜、ゾンビのように起き上がる回にも笑った。むしろフェイクなくしては古沢作品ではない。
著者にとっては笑えた、つまり笑いが理解できた。わからないヤツが悪いとでも言いたげです。
「大掛かりな詐欺行動」なんて、古参の大河ファン、歴史ファンからすれば、むしろ自家薬籠中のものではありませんか。むしろ基本でしょうよ。
それなのに「民放でこんなにウケた古沢神すらわからない、頭の固いクソレビュアー乙ww」というスタンスでしょうか。
そんな騙し合いなんて、それこそ『孫子』を読んでいればわかる。それを踏まえた上で、「こんな雑な策で騙せるわけがない!」とこちらはシラけているわけです。
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