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【鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第18回「壇ノ浦で舞った男」】
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平家は滅んだ……しかし……
鎌倉で頼朝は勝利の知らせを聞いています。
時政は嬉しそうに、山木攻めから五年、あっという間でござったと振り返っています。
これには盛長も同意しますが、頼朝は冴えない。
帝をお救いすること叶わず、三種の神器のうち宝剣をなくしてしまった。こんな調子では平家を倒したことにはならにぬ。九郎のやつを叱りつけてやる! そうイラ立っています。
政子が寝所で眠ろうとしていると、頼朝がやってきます。
「どうされました?」
「平家が滅んだ」
「おめでとうございます」
「九郎がやってくれた、九郎が……平家が滅んだ!」
そう言いつつ啜り泣き、ついには泣き出す頼朝。政子はそっと身を寄せます。
「政子……」
「おめでとうございます」
白い寝巻き姿の政子が美しく、頼朝はどこか小さく見えます。
信じる心が消えつつあった夫婦のようで、弱り切ったら何もかも知る相手に頼りたくなる。そんな姿が見えます。
義経も、頼朝も、父の仇討ちまでは人生の計画にあったのでしょう。
それが無くなり、どっと虚しさを覚えている。英雄だからこそ小さく、弱々しげに見える。そんな複雑な姿があります。
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景時から頼朝への報告
義経は京都へ。
後白河法皇の前で酒を飲んでいます。
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平家がこれほどまでにあっさり敗れるとは……と驚いている法皇たち。
義経は宝剣を紛失したこと、安徳天皇の救出を失敗したことを詫びています。
しかし、法皇はさして気にしていない様子で、宝剣は見つかるかもしれないし、帝が死んだとも限らないって……そんなわけがないだろうに。
しまいには話を逸らすように、獅子奮迅の働きを聞きたいと促しています。
そのころ御家人たちは、手柄を独り占めするかのような義経のことを呆れたように語っています。
そして「クソ真面目な方」は何をしているのか?と……源範頼のことでした。彼はまだ宝剣探しをしているようです。
義村は、義経が漕ぎ手を殺して評判を落としたと皮肉げに語る。
重忠は梶原殿がなぜ止めなかったのかと苦い顔です。
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御家人たちは義経に敬服するどころか、距離を置いて見るようになっていました。
景時は一人、先に帰っています。そして鎌倉で報告。
戦においては確かに神懸かり強さ。
しかし才走り手柄を独り占めする。
人の情けを気にしない。
壇ノ浦では舟の漕ぎ手を射殺し、一ノ谷では急な崖を馬で降れと命じた。
義経の行状を伝えると、頼朝は苦々しげに、勝利のためには手を選ばぬとまとめます。
盛長が九郎殿がおられたから平家を滅ぼせたことは事実と言っても、頼朝はそれを認めつつ、かえって不満が募っていく。京都では義経のことで持ちきりなのだと。
時政は義経が強すぎると見抜いています。
2~3回負けていたら大きくなると言いますが、それはどうでしょうか。義経の場合、あまりにスケールが大き過ぎて、負ける時は死ぬ時だけのような気もします。
頼朝が呼び戻すように言うと、大江広元が否定的見解を申し上げています。検非違使に任じられたからには京都を離れられない、と。
郷御前がいるとも知らず静御前と
京都の義経――群がる若い娘たちに「見せもんじゃねえぞ」と凄む弁慶です。
義経がどこへ行ってもキャーキャー。なぜ義経の場所がわかってしまうのか?
そう弁慶がボヤくと、義時が、あなたがいるからでしょ……と見抜いています。あの体格・姿は目立ちますからね。
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義経は、戦に勝ってどうして兄上に怒られるのかと不満げです。
私はただ、兄上の喜ぶ顔が見たいだけなのに……そんな義経に、義時は早く鎌倉で説明なさるべきだと忠告しています。
「帰れるものなら帰りたい。検非違使になんかなるんじゃなかった」
そんな義経に、自ら法皇様に頼めばいいと説得しようとします。
「御曹司さん、ぜんぜん釣れへん」
静御前が魚釣りをしていました。
義時はそれを見て比企の娘・里もいるのでは……?と戸惑っています。そんな義時の懸念をよそに、義経は静を追いかけ、楽しそうにしています。
と、恨みがましい目で義経を見る娘がいました。
比企一族の娘・里です。
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これだけでも十分酷いですが、義経は平家一門の蕨姫まで寵愛していたと言います。なんとも気の毒な話ですね。
頼朝の女癖とも違うけれど、こちらも十分に酷い。
このあと義経は鎌倉に戻りたいと法皇に訴えています。
しかし、法皇は自分より頼朝がよいのか引き留める。
「そういうわけでは……」
歯切れの悪い義経。
静と里のことを思い出してください。あれはあれ、それはそれ。義経はこういう天秤にかける人間関係に縁があるようです。
法皇は、かわいらしく、そばにいて欲しい、鎌倉から帰ってこないのではないか?と訴えます。そんなことはないと否定する義経……って、なんなの、ラブコメか!
法皇がなぜかわいいのか、私にはもう理解できない。
宗盛と義経
解決策がなく、なかなか妥協点が見つからない二人を前にして、丹後局が「平宗盛を活用するアイデア」を提案します。
宗盛を鎌倉に連れて行かせる
↓
検非違使は罪人護送もするからちょうどよい
↓
しかし宗盛の首はあくまで京都で刎ねる
↓
鎌倉で頼朝に見せ、京都で首を斬る
もう、こんな風に利用をされてしまう宗盛が哀れでなりません。
では、その宗盛は? と言うと、死罪と決まっているのに随分穏やかだと義経は意外そうに言います。
宗盛は「人が一生で出来るあらゆる楽しみを味わってきた、未練はない」とキッパリ。ただひとつ、我が子の清宗が気になってはいるようです。
うーん、なんという宗盛。これは大したものです。
どうしても兄・重盛と比較して、賢兄愚弟とされがちな人物ですが、本作の宗盛は聡明かつ高潔でもあるようだ。
確かに平家を率いるものとして、財力と権力を使い楽しいことはいくらでもできたでしょう。
しかし本当に貪欲でどうしようもない人物は、足りることを知りません。こうもキッパリと未練がないと言えるのは大したものだと思います。
義経はそんな宗盛に対し、罪人同士で話をさせるわけにはいかないと二人の面会を断ります。
すると宗盛はこんな願い事を……。
「首はどこぞで晒されたとしても、体だけでも親子揃って埋めて欲しい」
義経は、鎌倉に着いたら兄に掛け合ってやるとしか言いようがありませんが、同時に宗盛と、その兄・重盛はどんな関係だったかと質問をしています。
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宗盛は悲しげに言います。兄が生きていればこんなことにはならなかった――と、自身の拙い采配を認めるような、謙虚で責任感のある人物です。
義経はそんな宗盛に、仲違いしたことがあったか?と尋ねます。
「ござらぬ」
仲が良いからかと思えば「心を開きあったことがない」からとのこと。ただし「それでも信じ合っていた。それが兄弟というもの」と言い切ります。
平家一門同士の格差もなかなかえげつないものがあり、団結していたわけでもありません。
しかし本作は源頼朝と敵対する側をクリーンにすることで、権力の醜悪さを描いていると感じます。
頼朝と義経にはない美しい兄弟愛がそこにはあります。
のみならず、平家一門には同情に値する美しさもあったのでしょう。だからこそ人は長いこと『平家物語』を愛していたのかもしれませんね。
小泉孝太郎さんの宗盛、よいものを見せてもらいました。
こういう風に演じられることで蘇ることこそ、その人物にとってよい供養だと思えます。
次の鎌倉殿が自分だと思いかねない
一方で頼朝はまたもドス黒い。
義経が検非違使を辞めていないことにイラ立っています。
丹後局が提案した策の中身に勘付いているものの、それはあくまで義経の考えたことだと思い始めている。この兄弟は信じ合えない。
景時も大掛かりな猿芝居だと喝破。
法皇様の寵愛を受けた義経は「次の鎌倉殿が自分だと思いかねない」と煽ってきます。
この場にいる義時は?
義経に野心があるとは思えない!と必死に打ち消そうとします。景時はそれでも鎌倉に入れてはならないと主張。義時が、ありえないとさらに主張すると、景時は凄みます。
「言い切れるか?」
景時らしい狡猾な追い詰め方ですね。こんな風に煽られたら、そう簡単に「絶対」とは言い切れず、一瞬立ち止まってしまうのが人情でしょう。
そして頼朝はもう心を決めてしまいました。
「決めた。九郎には会わん」
安達盛長も困惑して「それは流石に……」と口籠もっています。
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頼朝は宗盛だけに会うとして、腰越に留めおくよう伝えます。
「奴を決して御所に入れてはならぬ!」
義時は景時に反論します。義経はただ兄と会って話たいだけだ。
しかし景時には別の理論があります。「戦場で義経の戦いぶりを見ただろう」と迫ってくる。
景時が正しいと思えるところが厳しいですね。漕ぎ手を殺し、武士の道に反し、暴走して帝と神器を海に落とした。信じろと言われてそうはできないことも確かです。
景時はまたも信心深い理論を持ち出す。
義経は神に選ばれたお方。頼朝もそう。二人が並び立つはずがない。
両雄並び立たず――ということでしょう。
このことを頭の隅に入れてから、扮装写真が公開された坂口健太郎さんの北条泰時、瀬戸康史さんの北条時房の顔を並べてください。
この両雄は並び立ち、支え合います。
いくつもの失敗を経て、鎌倉とそこに住む人々も変わってゆくのです。
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