鎌倉殿の13人感想あらすじ

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第19回「果たせぬ凱旋」

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景時が総大将を買って出る

文治元年(1185年)10月18日――後白河法皇源頼朝追討の宣旨を出しました。

そして22日には鎌倉へ挙兵の一報が届けられます。

「九郎殿……なぜ」

義時は絶句してしまいます。

「とんだ無駄足であったな」

頼朝は冷たく言い放ち、全軍で攻め上ると宣言。

すると三浦義澄土肥実平が義経とは戦いたくないと及び腰になります。

平家の軍勢をあっという間に義経が怖い。

二人は土下座をしてまで頼朝に頼みこみます。

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しかしこの期に及んで挙兵をしたからには、義はこちらにあると強気の頼朝。

岡崎義実が、そんなに義経は強いのかと言いますが、実際に目にした者とそうでない者では違います。

あの和田義盛ですら弱気になっている。

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気高い畠山重忠は負けぬと言いつつ、長期戦と損害を覚悟している旨のことを言います。

要は、厳しい……と、そこで立ち上がったのが梶原景時でした。

「何を言う、皆様方、何故九郎殿を恐れるか……恐れながら申し上げまする、鎌倉殿、この戦、この梶原に総大将をお任せくだされ。必ずや、九郎殿の軍勢を破ってご覧にいれます!」

堂々たる口調で意気盛んに主張します。

彼が根拠も無くこんなことを断言するとは思えない。

義経とは、共に戦ったからこそ、弱点を知り尽くしている。自分や周囲の支えがなければ、義経とてそう簡単にはいかないと自信を深めているのかもしれません。

やはり梶原景時は天晴れな名将。この堂々とした口調、雰囲気、見るたびに大きくなる逸材です。

「よくぞ申した!」

頼朝もそう喜ぶものの、悲しいことに景時には人望がありません。その呼びかけに誰も乗ってこない。そもそも他の者は戦いたがっていない。

義時はすがる犬のような悲しい目で義村を見る……と、苛立ったような表情で三浦義村が立ち上がります。

「都へ攻め込みましょう! ここで立たねば生涯臆病者との謗りを受ける。坂東武者の名折れにござる。ちがうか?」

その意図を察知したように重忠も戦うと宣言。

それを見て義盛も「九郎殿何するものぞ!」と立ち上がります。

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ムードメーカーの義盛が立つと、もう誰も拒めない。そしてそんな義盛に着火できる役目が、重忠にある。

見事な連鎖反応が起きました。

頼朝は満足げに坂東武者たちを眺めています。

 


義村の推察

義時がこのあと廊下で義村に礼を言う。

「すがるような目で見ていたからだ」

義時がなおもこの戦は負けるわけにはいかんのだとすがると、義村は「義経は戦わずして負ける」と断言します。

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いくら京都で人気だと言っても、肩を持っているのは戦に出なかった連中ばかり。一緒に戦った連中は、ついていこうとはしない。

義経は人の心を踏みにじっての勝利だった。

一之谷を下って嫌気がさしたとか。壇ノ浦で漕ぎ手を射殺する様に絶望したとか。そういう人が多かったということです。

漕ぎ手を殺して笑われてもよい、笑わせておけ――そう笑い飛ばした義経ですが、他の人にとっては、踏み込んではいけない領域もあるんですね。

そして義村は、そんな人の動きを見ていた。彼は極端なところがある。人の心なんか忖度せず厚かましいことを平然とするようで、周囲を観察し、察知して先んじて動けます。

一を以て万を知る。

『荀子』

義村なりに考えたのでしょう。

なぜ、皆は義経を恐れる? ああも苛烈で強いからだ。

しかし、苛烈で強くても……味方だって我慢できないものがあった。

もう一度あいつの元で戦いたいか?

否! 俺たちがそうなら、京都の連中もそうだろう。あいつをチヤホヤしている連中は、戦が何かわかってない連中だけだ。

とまあ、こんなふうに一点からどんどん手札を増やし、仮説を作り上げてゆきます。

ミステリだとシャーロック・ホームズが似た思考回路を使います。

日焼けして足を引きずっている医者となれば、アフガニスタン帰りだ!……簡単なことだよ、義時くん。

 


死神・行家

29日、源頼朝は、自ら軍勢を連れて出陣します。

決して義経を許さない――そんな意思表示であり、奥州では藤原国衡が父・藤原秀衡に浮かれて報告しています。

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京都で義経が戦う間に、鎌倉を攻め落としましょう!

しかし秀衡は、頼朝の大軍に対して勝機はあるのかと疑っています。

国衡はそんな父の言うことがわからない。

秀衡はさらにこう言います。

「早まったな、九郎……」

行家が義経に苛立っています。

鎌倉の軍勢が黄瀬川まで来たというのに、義経の兵は五百にも満たない。これでは戦にならん!

そう言われ、義経は噂は兵の数を盛ると返す。それでも彼の口調には、木曽義仲や平家と戦っていたころの快活さはない。どこかくすんだ物言いになっている。

首尾よくことが運ばず行家も苛立ったのでしょう。これでは義仲の二の舞だと言い、あろうことかこう言い放った。

「おまえの戦に義がないからじゃ! だから挙兵なならぬと申した!」

「叔父上が言いますか!」

「お前を信じたわしが愚かであった」

そして去ってゆく行家。

源行家は味方につけたものを滅ぼす死神のような男。そうナレーションで語られます。

行家が鎌倉方に捕まり首を刎ねられるのは、これより少しあとのこと。

義円

木曽義仲。

源義経

確かに死神に取り憑かれてしまったかのようです。

そんな行家を突き動かす愚かな権力欲こそが、死神かもしれません。

源行家
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ここまできて、やっと行家は自らが宿した死神に食われたのでしょう。

そんな行家と比べると、源頼朝という大物が義兄となっても欲に揺らがない北条義時は大した男です。ふるまいをわきまえた男に思えてくる。

ともかく源行家をいやらしく演じた杉本哲太さんが、お見事でした。彼がこの役で本当によかった。

 

今度は義経追討の宣旨じゃ

義経は京都を離れ、九州で再起を図ることにします。

静とはこれまで。一緒に連れてってと頼まれても断り、里はどんなことがあっても離れないように支度を命じます。

ショックを受ける静に、義経がなだめる。あれは比企の娘、いざというときのための人質だと。その上ででいつか必ず迎えに行くと静に誓います。

もしも捕まったら、自分の名前は決して口にするなと念押し。

「生きたければ、黙っておれ、よいな」

「はい」

かくして伝説の二人は別れるのでした。

法皇はホクホク顔をしています。頼朝と義経、どちらかが力を持ってしまってはいかん。望んでいるのは力のぶつかり合い。

なのに、なぜ義経は消えてしまったのか。

こうなれば頼朝追討の宣旨は取り消し、頼朝に義経追討の宣旨を与えよう。そう言い始めると、居並ぶ公卿も愕然とします。

思わず九条兼実が聞き返す。

「もう一度お願いいたします」

「だから義経追討の宣旨を頼朝に与えよと言うておる」

「もう一度!」

「だからッ! 頼朝に義経追討の宣旨を与えろと言うておる!」

子供のように暴れ出す法皇。

一方、セリフは少ないけれど、動揺する顔と所作が、抑えていながら雄弁。そんな九条兼実が光ります。

彼はエリートで、学識もある。こういうタイプは格式が大事だし、暗愚な主君に仕えてるだけでうんざりすると思います。

そんな兼実なら、例えばこういう言葉が脳裏にあるかもしれません。

綸言(りんげん)汗の如し。

天子の言葉は汗のようなもので、そう簡単にキャンセルできないということです。

ホイホイ撤回されるだけでは嫌で仕方ないので、せめてもの抵抗をしたのでしょう。こういうことをすると、権威が低下して信頼度も下げるため、禁じ手でもあります。

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