鎌倉殿の13人感想あらすじ

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第20回「帰ってきた義経」

鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第20回「帰ってきた義経」

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文治3年(1187年)――平泉に山伏姿の義経がいます。

藤原秀衡は、義経をほぼ単身で送り出したことを悔やんでいた。

自ら兵を挙げていれば……しかし、天下を目指すには、奥州はあまりに重かったのだと。

「まあよい。代わりにお前が日本一の英雄となった。これほど嬉しいことはない。平家を倒したのはお前だ。ようやった、九郎」

褒め称える秀衡を見て、義経は感極まった顔をしています。

彼は褒められたかったのです。

『麒麟がくる』の織田信長と似ています。信長も賞賛が欲しかった。自分を褒める妻の帰蝶を「あれは母親じゃ」と語っていた。

褒められることに飢えている者にとって、自分を褒めてくれる相手は、父であり、母になる。

義経は“父”を求めていたのでしょう。後白河法皇は偽の父に過ぎなかった。

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あるいは頼朝が褒めてやることができれば、兄と父が一つになっていただろうに……現実はそうはなりませんでした。

 


蝉の抜け殻

鎌倉では、頼朝が悟ったような顔で言います。

「九郎が平泉に姿を見せた」

藤原秀衡と義経が組めば強大な敵となると安達盛長が懸念すると、頼朝も同意します。

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その一報を知った北条義時は、廊下をドスドスと歩きながら吐き捨てます。

「九郎殿! あれほど申したのに!」

義経への怒り……と同時に自分自身を説得しているのかもしれない。

義経を迎え入れることで、奥州は鎌倉最大の脅威となりました。

奥州平泉――藤原秀衡によって保たれていた均衡が崩れようとしているのです。

源平のみならず、奥州も含めた三国志状態。源平は長い争いで消耗していますが、平泉は無傷です。そんな油の中に義経という火種が入ることで、討伐対象となってしまう。

そのころ装束がまだ一段と美しくなった政子は、娘の大姫を見ていました。

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足立遠元とトンボを取り合っている大姫。政子はそんな娘を見て微笑んでいます。

と、そこへ乳母の道に連れられて万寿がやってきた。

庭で見つけた珍しいものがあると、万寿が大姫に見せたのは「蝉の抜け殻」でした。かつて木曽義高が集めていたものです。

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思わず衝撃を受ける大姫。

「姫!」

母の政子が慌てて声をかけるも、彼女はどこかへ去っていきます。

娘を心配した政子は、頼朝に語りかけます。ようやく笑ってくれるようになったけれど……しかし頼朝はもう別のことを考えていた。

「案ずるな、左様なことはじきに忘れる。忘れたことにする。姫を入内させる」

「入内?」

ギョッとして聞き返す政子。頼朝は帝の妃にすると言い出しました。なんでも、二歳違いで、よい頃合いだとか。

この場面は重要です。

大姫の心を踏みつけにしてでも入内させたい頼朝。それに不安がある政子。受け入れそうもない大姫。

後白河法皇に煮え湯を飲まされたようで、頼朝は接近を図っていたのです。

朝廷と鎌倉の距離感はなかなか重要で、本作のテーマといえるでしょう。それはオープニングでも示されています。

二つの力はぶつかり合う。今後はそのパワーバランスに注目したいところ。

 


「そなたが大将軍だ」

平泉では、藤原秀衡が生涯を終えようとしていました。

泰衡を御館にする。

国衡は秀衡の妻・とくを嫁に取る。

「はい?」

思わず国衡が聞き返すと、とくはこう続けます。

「ばばあですが、何とぞ……」

とくは国衡の実母ではなく、かつ身分が高い。年齢順でいえば国衡が泰衡より上なのですが、母の身分によって泰衡が上に来ています。

そういうバランスを取るために、国衡に身分の高い、しかも泰衡の母を妻とすることで、敬意を持たせようとしたんですね。

これは年齢の問題じゃないし、ましてや笑うところでもない。

当時の奥州には、儒教規範がないとわかります。

儒教規範は近親婚を嫌います。義母だろうが子と結婚するなんて、おぞましいこと。ゆえに理解されにくいでしょうし、後世の人も目を逸らしたくなるような話です。

ここで秀衡はさらに義経を呼び、こう言い出す。

「そなたが大将軍だ」

「私が」

「九郎のもとで力を合わせよ」

「かしこまりました!」

国衡はそう即答するも、泰衡は不満そうな顔をしています。

秀衡は最期の力を振り絞り、庭に立つとふらふらと歩いていう。

「もう少し、わしに時があったら……鎌倉に攻め込んで……フフ……」

「御館……」

「父上!」

秀衡は倒れます。かくして、英雄は命を終えたのです。

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それにしても、また酷い遺言を残したものです。

平清盛も、息子たちを破滅に導く「源氏を倒せ」という遺言を残しました。

秀衡もそうなりそうです。

 


泰衡と国衡の仲を裂く

文治5年(1189年)4月――義時は、奥州に行きたいと頼朝に告げました。

慎重だった秀衡が死に、平泉はどうなるのか?

平泉に行かせて欲しい。義経を必ず連れて戻ると言います。

頼朝はさらさらと筆を走らせつつ「任せる」と素っ気なく答える。大泉洋さんの所作がいつも流麗ですね。

「生かして連れて帰るな。災いの種を残してはならぬ。だが決して、直に手を下してはならん」

頼朝は自分の考えた策を告げます。

泰衡と国衡は兄弟仲が悪い。ゆえに二人の間を裂き、泰衡に取り入る。そして焚き付けて義経を討たせる。

そうすることで鎌倉が攻め入る大義名分を作る。

勝手に義経を討ったことを理由に平泉を滅ぼす――。

「悪どいか? 悪どいのう。この日本から鎌倉の敵を一掃する。やらねば戦は終わらぬ。新しい世を作るためじゃ」

そう語る頼朝に、義時は反論しません。むしろ天下草創の術を学んでいるように思える。

日本の武家政権のことをこの世界の誰もがまだ知らない。

日本が伝統的にしてきた、唐の国(中国)を参照するわけでもない。武家政権の始め方は、頼朝から学ぶしかないのです。頼朝はよい師匠であり、義時は優秀な弟子です。

悪どいことをしないで天下など掴めない。義時はそう学んでいる。

 

戦乱で増え続ける孤児たち

そんな義時が自宅に帰ると、八重は、預かっている子どもたちが遊んでいました。

「父上!」

我が子の金剛(北条泰時)が抱きついてきます。

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お土産はないかとねだる金剛。そういや義時は、八重にキノコや海産物をお土産にしていましたね。

八重は初という女の子に手習をしたのかと言っています。義村の娘でしょう。

子どもの数が多過ぎないか?と義時が問いかけると、八重は、日に日に増えていると返答。

明日から奥州に行ってくるという夫に対し、また戦かと不安そう。

藤原秀衡の供養のため、鎌倉殿の使いとして行くだけだと義時が返すと、一応は安堵する八重です。

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悪どい策を聞いた後で、このほのぼのとした場面。これは「トロッコ問題」かもしれません。

トロッコ問題とは「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という問いかけです。物事を単純化し過ぎた考え方だという批判はありますが、現実問題、義時はそれを突きつけられ、解決しました。

義経が平泉で立ち上がって、鎌倉に攻め入ったら?

八重の元にいる子どもが犠牲になるでしょう。

そして撃退したにせよ、八重が預かる子どももますます増える……戦で親が殺されれば、孤児は増えてしまいます。

孤児を増やさぬためには、義経のような危険な種は摘み取っておかねばならない。

もう、上総広常や源義高の頃のように迷う期間は終わりました。

任務をいかにしてこなすか?

問題は、そこにある。

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