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【鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第20回「帰ってきた義経」】
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首桶に泣きじゃくる頼朝
義時は鎌倉に戻ると、景時に策を渡します。
じっくりと読み、納得する景時。
「この通りに攻められたら、鎌倉は間違いなく滅びたことだろう」
義経の策を最も理解する男が、最高傑作の策を吟味し、褒め称えています。
己を知る者から褒められたかった義経。彼は望んだものを手に入れました。義経はある意味、幸せかもしれない。
義時は自宅へ戻り、金剛に土産をねだられています。
そして頼朝は、帰ってきた義経に語りかけるのです。
「九郎、よう頑張ったなあ。さあ、話してくれ。一之谷、屋島、壇ノ浦。どのようにして平家を討ち果たしたのか。お前の口から聞きたいのだ。さあ……九郎……九郎……話してくれ……九郎……」
首桶に抱きつく頼朝。
「九郎! 九郎! すまぬ、九郎……」
文治5年(1189年)6月13日、義経の首が鎌倉に届けられたのでした。
首だけになった弟と、兄は再会を果たしたのです。
士は己を知る者の為に死す――。
立派な人物は、自分の価値を知る者のために死ぬとも言います。
義経は、自分の価値を知る兄・頼朝のために死にました。
価値を理解しているからこそ、頼朝は泣きます。
彼を愛しているからこそ、首桶に抱きつき、泣いてしまうのです。
MVP:静御前と義経
静御前は美しかった。
紅白と黒だけという、東洋における化粧の三原色で仕上げた顔。そして内面の美しさが舞に乗り移りました。
白拍子は男装して舞うわけで、たおやかな女性らしさよりも、凛とした強さが似合うのかもしれない。
力強い静の舞はまさに絶品です。
彼女が日本史上に名を残しているのは、その愛の強さゆえ。
義経を思い、危険を顧みず頼朝の前で踊ったからこそ、永遠の名を残した。そんな説得力を持つ圧巻の美しさと迫力でした。
そして、静の話を嬉しそうに聞く義経。この二人は似ているからこそ惹かれたのでしょう。
義経はずっと考えに考え抜いて、最善の戦術を考えることが生きがいだった。
それを壇ノ浦以来しなくなって、コオロギを始末するために知恵を絞るようになっていた。
それが最期の最期で、また戦術を練る作業に戻ることができた。
妻子の死は頭から抜け落ちる。そういうことができるから義経は強かった。
目の前にある、課題をこなす。静が舞うことに集中したように、鎌倉を灰になるまで燃やすことを考えることに集中する。
そうやって集中している間は、この世界を生きている苦しみなんて全部消える。
そんな人生最高傑作を見せたら、義時は参った!
では、鎌倉にいる景時が見たら、どんな顔をする?
そう考えていると楽しくなって、もう、笑っちゃうしかない。
もうぐちゃぐちゃだろうけど、自分の人生の意味、天命を知った上で死ぬということは、それはそれで幸せだったんじゃないかと思えました。
そうやって神話になって死ぬ。
あんな山奥で、粗末な服を着て、惨めたらしく死んだようで、最高に幸せだったんじゃないか。
朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。
朝、生きるべき道を知ることができたら、その夕に死んでもよいのではないか。
『論語』「里仁」
菅田将暉さんの義経が、笑いながら、遊ぶように戦って死んでくれて本当にありがたかった。
こんな惨い死を美化しようとは思わないけれども、死に様はさておき、天命を知った生き様は幸せそうだった。
義経はとても幸せな男だったのだとわかった気がする。
自分の天命が、兄のものよりも輝いていることだって、わかっていたんじゃないか?
そう思えるくらい、悲惨なのに、素晴らしい笑顔でした。
ロスだのなんだの言いませんて。こんな完璧な生き様をした人間に対し、もうちょっと生きて欲しいなんて、そんな蛇足を求めるようなことは言えないでしょう。
圧巻の生き様でした。
総評
まず戦うなり、討ち取ることが前提にあって、そこから理由を考える――そんなこじつけが繰り返された回でした。
この先、頼朝は、大姫に対してなんだかんだ言いくるめようとするのでしょうが、全てが我が娘の入内前提であって真心からのものではない。
義時は、義経を罠に嵌めて殺させようとする。以前なら嫌がっただろうけど、彼は理由を見つけることを見出しました。じっと相手を見つめ、殺すための大義名分を探しています。
だいぶ出来上がってきましたね。
主人公を無理に善人にしない、そんな覚悟があります。というと格好いいようで、ただの居直りのようにも思えますが。
秀衡は、妻を国衡に嫁がせることで、強引な家族関係を再構築した。そんな無理なこじつけは、やはりどうにもなりません。
そういう無理矢理なこじつけをせず、行動に移す人もいる。
静は腹の子を助命するという理由なんてすっ飛ばし、自分の愛をまっすぐに出し切って舞った。
義経はまず里を殺してしまってから謝る。
自分のしでかしたことにカッとなったという理由にならない理由だとわかっているからそうなる。
静を間近に見たいという理由を素直にスルッと口に出して、重忠を怒らせてしまう義村もそうといえばそう。頭がよいくせに、それっぽい言い訳はしない。
義時は、羨ましいほどに義経はまっすぐだと前回語っていました。
確かに義経は、後付けの理屈を考えない人間でした。
じゃあ、どっちがいいかって?
人類の大半、95パーセントくらいはこじつけをしてしまうのでは?
まっすぐすぎる義経を受け付けられないから、「サイコパス」だのなんだの言われたのではありませんか?
人間は嘘をつくものだし、そうしないと生きていけません。
誰かが奢ってくれた食事がまずかったとして、それを素直に言えるか?
誰かがハマったと語る作品が無茶苦茶つまらなかったとして、それを素直に言えるか?
周りに流されてうなずいているだけなのに、自分自身の感性で決めたことだと言い切る。
そういう本音をちゃんと言わないことは今でも同じだから、こうも義経が痛快なのかもしれない。そんなことを考えてしまいます。
ドラマとして面白いだけでなく、色々と考えさせる作品です。
歴史劇は、やはりこうでなくては。
現実社会では試せないことを、人間と社会を使って実験した――その成果を観察することが、歴史を学ぶおもしろさだと思うのです。
水随方円(すいずいほうえん)
水は器の形にあわせて形を変えるという意味です。
器をこうしろと指定されれば、水の形はおのずとそうなる。
ドラマの評価も、ネットニュースやSNSトレンドである程度決まりますよね。
実はドラマの評価なり、ニュースも、こういう後付け解釈みたいなものがありまして。
それに限らずネットニュースのタイトルが「〜〜〜なワケ」となっているものは、その類であることが多いのです。
◆『鎌倉殿の13人』ヒットの理由は伏線回収のしやすさ?“ネタバレ視聴派”も満足するわけ(→link)
こういう記事って、結局「ヒットしている」という前提が先にあります。
ちょっとツッコミさせていただきますと……。
【その1】知名度抜群。馴染みのある人だらけ
ここ数年の大河は金栗四三、明智光秀、渋沢栄一など、歴史上の重要人物ではありますが、大通りから脇道にいるような人物が続いていました。
金栗四三とまでいくと、特殊過ぎるので入れない方がよいのでは?
そしてこれは近年の大河を調べて並べたのでしょうけれども、少なくとも『麒麟がくる』は外すべきではないでしょうか。
明智光秀のどこが脇道の人なのでしょうか?
『麒麟がくる』は日本史上でもトップクラスの知名度である三傑が揃っていました。
それに今年は、知名度的には低い人物が揃っています。
三谷さん大河三作目となる山本耕史さんは、「土方と石田三成は知っているけど、三浦義村はイメージがなかった」とコメントしています。
キャストのコメントも「今回初めて名前を知った」というものが多いのです。
そしてここなのですが。
【その2】テンポよく見せる絶妙な取捨選択感
4月に最終回を迎えたNHK朝の連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』で絶賛されていたのがそのテンポ。『鎌倉殿の13人』でも、疾走するようなスピード感で物語は進んでいます。キャラクターやエピソードを濃く描きながらも、テンポよく感じるのはエピソードの取捨選択が絶妙であるからでしょう。
なるほど、よいアイデアを思いつきました。
朝ドラから大河への脚本家スライドは定番です。
ということは、そんなに絶賛されていた脚本家さんを『鎌倉殿の13人』と通じる源平合戦もので起用するのはいかがでしょうか?
源氏ばかりでは何ですから、平氏をテーマにして。ヒット間違いなしですね!
……と、まあ、理屈はどうとでもつくものです。
テンポがよいとか。伏線があるとか。取捨選択をするとか。
そういうのって、大谷翔平選手についての説明をするとき、こう書くようなものに思えます。
「大谷翔平選手の何がすごいか? 打率が高い。しかもホームランを打つ。そしてピッチャーも務める。だからすごいのです」
いや、まぁ、その通りで、そんなことを言われても、というやつですね。
この手の推察記事は無害で済むなら放っておけるのですが、必ずしもそうでないから突っ込みたくなる。
他ならぬ三谷さんご本人が書いていて、こちらです。
◆(三谷幸喜のありふれた生活:1086)ネットの中の見知らぬ自分(→link)
なんでも三谷さんが新垣結衣さんにぞっこんで、毎回撮影現場にいるとか。好きすぎて出番を増やしているとか。
そういうことをネットニュースで書かれて、そんな低レベルな創作はしていないと反論しております。
温厚な三谷さんならば、カーっと怒るわけにもいかないだろうけれど、そういう邪推は芸能界そのものに対して迷惑ではないでしょうか。
今、日本の演劇映画界はハラスメント、ことセクシャルハラスメントに揺れています。
その背景には「あの大物のお気に入りになれば、出番が増えるしチャンスだよ!」という“前提”やら“常識”があるわけですよね。
本当は嫌なことでも、そういう理由づけで応じるように追い詰められる人がいる。
そういうことをなくすためには色々な手があるけれど、大物のお気に入りになれば得をするという思い込みや風潮の打破が必要でしょう。
「大河見てる? ガッキー出番多いよね。あれは三谷さんのお気に入りだからなんだよ」
こういう噂話は面白くもなんともないし、その風潮の形成に三谷さんが寄与しているようで問題です。
スタッフなり脚本家なりが、過剰に役者本人と役のイメージを重ねることも私は問題だと思っています。
こと、実在の人物を扱う歴史劇では、慎重になっていただきたい。
ある大河ドラマで徳川慶喜役を演じる役者のファンが、SNSでこう盛り上がっていました。
「私の推しが演じるってことは、きっと実際の慶喜もいい人なんだよね!」
そういうファンの声に忖度して、実在の人物像を捻じ曲げたら問題があります。歴史修正につながってしまう。
だからこういうことを語る脚本家は、あんまり信頼できないのです。
「役者のナントカさんは素晴らしくて、本物のあの人物はきっとこんな人なのだと思えました」
「ナントカさんが素晴らしいので、ついつい反映させてしまいます」
「ナントカさんが好きなので当て書きしています」
三谷さんはそういうことは言わないし、役者のイメージはもちろん考えているだろうけど、それよりも史実からアレンジしていると思えます。
なぜ八重の出番が多いか?
それは考証・坂井孝一先生の本を読めばわかることです。
八重と北条義時の結婚は史実的に“あり”なのか 北条泰時の母はいったい誰なのか
続きを見る
三谷さんのこのドラマがどうして面白いか?
推論を書かせていただくと、みなさんが一生懸命誠意をもって、真面目に作った成果ではありませんか?
私は芸能情報に疎いので、九条兼実役の田中直樹さんが「笑いのツボを突いてきている」と言われてもピンときませんでした。
ただ、所作や発声がしっかりしていて、摂関家にふさわしいエリートの雰囲気は出ていると思った。
がんばっていると。そこは伝わってきた。
演じる方も、衣装も、ヘアメイクも、演出も、そして所作指導も。手抜きをしていない。
ちょっと雑に思えるところは、時間や予算不足であって努力不足ではないとわかる。
そういう真面目さが実り、面白いのではないでしょうか。
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
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富士川の戦い | 一ノ谷の戦い | 壇ノ浦の戦い | 承久の乱 |
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文:武者震之助(note)
絵:小久ヒロ
【参考】
鎌倉殿の13人/公式サイト