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【鎌倉殿の13人感想あらすじレビュー第43回「資格と死角」】
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十三人の合議制
腰痛を患っているという三善康信が、脇で支えられ、御所までやってきます。
周囲に気遣われると、大事なことだから寝ていられないとのこと。
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実朝が全員揃ったかと確認しています。
その様子が、頼家が鎌倉殿となったときと似通っていました。十三人の宿老たちが並んだことが思い出として語られます。
北条時房が、今は十二人、一人足りないと余計なツッコミをしていると……政子が始めると宣言をし、場に緊張感が走る。
それにしても、ここで「十三人の合議制」を持ち出すとは、まるで呪いのような制度でしたね。
ようやくタイトルを回収したと思ったら、次から次へと死んでしまい、すぐにガタガタと崩れてしまった。
十三人をモチーフにした土産菓子なんて、見ちゃいられませんでしたよ。いくらなんでも不吉過ぎますってば。
そしてもうひとつ重要なことが。
当初の十三人に政子は入っておらず、今回は人選に関わったという見方もできる。表立って見えないようで、実はしっかり彼女の力が及んでいる。そんな女性の権力も重要でしょう。
そんな緊張した場面はさらに緊張の度合いを増します。公暁が入ってきたのです。
先代に似ている……康信がそう驚いていると、公暁も評議の場に加わりたいとか。
千日参籠は百日で出たので最初からやり直すとのことで、勝手に八幡宮を出たことを指摘されると、自分は別当だ、何が悪いとムスッとしながら開き直っています。
かくして実朝が「京都から鎌倉殿を迎える」と発表し始めると、言葉を遮るように義時が反対します。
「大事なことは宿老たちと話し合って決めるべきだ」
「しかし、先代からそれで揉めている」
静かな声でバチバチとやりあっていると、横から公暁が苛立ったように口を挟んできます。
「なぜ先代なのか? 頼家様と言わぬのか?」
瞬間、冷たい空気が場に流れます。
「鎌倉殿ならうちの息子もいる」と実衣までカットインしてくると、その息子である時元が「悔しい」と放つ。
親王様が鎌倉殿になる
北条勢の主張は、実朝によって一刀両断されます。
上皇様から返事が届き、親王様のうち誰かが次の鎌倉殿になる――。
御台所とも血が繋がっていて、千世の姉の子にあたるとのこと。
こうなると反対する御家人はいないと義時も義村も実衣も認めざるを得ません。
後は一日も早く上皇様と話をつけること。
実朝自身が上洛して直接面会するとなると手間も日数もかかる。そこで政子が行くと言い出しました。熊野詣のついでだといえばよいという提案に、大江広元も賛同します。
実際は、京都から卿二位の藤原兼子が出てくるとも予測。
女性同士の話し合いもありということで、北条政子が京都へ出向くこととなりました。
源仲章がお供をしたいと言いますと、政子は即却下。母に任せるようにと言い切ります。
ここでの政子は日本中世史を考える上でも重要な視点を提示しているように思えます。
彼女は、夫の頼朝から「女子のくせに政治には口を出すな」と言われて、従ってきました。その教えを活用しているともいえます。
女子なので半人前ということをうまく使い、かえって軽く動く。
「男は体裁を気にするけれど、女は身軽なので」というのは定番の言い訳です。
戦国時代ですと、出羽の戦国大名・最上義光の妹で、伊達政宗の母である義姫がこの言い訳をよく使います。
書状には「男である彼はプライドが邪魔して言えないけど、私は女なのでズバリ言います」といったことが書かれているのです。
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実際の交渉は女性が行い、権限や名義は男性のものと用いることもあります。
中世の女性は政治を動かしていたと学べる今年の大河は、やはり秀逸ですね。
政子が干し蛸を差し出せば
兄の義村が、これでは若君は鎌倉殿になれないと悔しがると、弟の胤義は上皇様の子なら諦めるとあっさりいいます。
しかし義村はそうはならない。
三浦が這い上がる最後の好機だからなんとかせねばならないと焦っています。
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政子は京都にいます。
一人では心細いらしく、弟の北条時房も連れていました。
その時房は「都の人々は坂東を下に見ている、気が重い」とぶつくさ。政子は「都で馬鹿にされないために蹴鞠を練習してきたではないか」と返します。
政子と対峙する予定の藤原兼子は、慈円に声をかけられています。
征夷大将軍の妻とはいえ伊豆の田舎娘。侮られてはならない。
そんな慈円の言葉に対し、鼻をへし折ってやると兼子。
へし折った上でうまくあしらうようにと慈円が助言する。
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一方で政子も大江広元から対策を聞いていました。
兼子にとっても頼仁親王を鎌倉殿にすることは願ってもないことのはず。そこを指摘しつつ、談判をうまく運ぶようにと。
いよいよ女性政治家二人の対面――。
兼子がしずしずと政子の前に来ると、政子は恭しく実朝に後継のことで骨折っていただいたことに感謝します。
そしてつまらないものだと言いつつ、差し出したのが干し蛸。
お口汚しだと謙遜して言うと、兼子は「坂東では口が汚れるものを差し出すのか」とジャブにしては強烈な一撃を繰り出してきました。
しかし政子もある程度は想定したようで、全く動じた気配もないまま、たまには口を汚すのもよいという。日々の食事がいかにおいしいか、改めて思い出すことができると。
頼仁親王が天皇になれないならば
政子と兼子――何気ない贈り物のやりとりですが、実は非常に高度な意味合いを含んでいるかもしれません。
もしも前回、唐船の渡海が成功し、日宋貿易が実現していたら?
京都に、鎌倉を経由した宋渡来の品を献上できたでしょう。
それができないから、干し蛸というなんともつまらないものになった。兼子も容赦なくそこを突いてくるわけですが、政子は負けていない。相手が贅沢な暮らしをしていると揶揄しています。
彼女の言い分だと、鎌倉の方が「民の暮らしを考えている」と解釈できなくもない。
この点は歴史的にも重要なはず。
それというのも、天皇と上皇を流罪にするという逆臣そのもののことをしながら、執権としての北条は仁政を心掛けていたことが評価されます。
「撫民」(民を思いやる)は北条が掲げたひとつの到達点。
北条政子が藤原兼子に返すことで、後に北条政治が到達するものも見えてくる。
思い起こせば頼朝は、上洛時にもっと立派な贈収賄をしていたものです。
頼朝の方が財力をかけることはできるけれども、贈収賄は道徳心がない。源氏に欠けたものを北条は補い、それを政治信条にしていくのではないかとも思える。
ゆえに高度な会話ではないでしょうか。
兼子も相手をみくびれないと思ったか。
政子が遠い坂東からきたことを労うと、地の果ての鎌倉からきたといなす政子。
かくして女性政治家二人は本題に入ります。
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親王が鎌倉へ来ることに政子が感謝をすると、兼子は揺さぶりをかけたいのか、その件については悩んでいると言い始めます。
確かに上皇様と鎌倉殿は和歌を通じて昵懇(じっこん)の仲だけど、物騒な鎌倉は何かと不安。
そこに大事な親王様を送り出すのはためらわれる。
ようやく鎌倉は落ち着いたと政子が返しても、言葉尻を取るかのように「ようやく」だと兼子も返す。
彼女にとって親王は、手塩にかけた我が子も同然であり、そんな親王が鎌倉に行くのは心配だと言うのです。
硬直しそうな話し合い。
打開を期する政子は、頼仁親王の兄である帝の后が懐妊したことを持ち出します。
つまり頼仁親王は次の天皇になれない。ならば代わりに鎌倉殿になることは悪くないと持ち出します。
さらに政子は付け加える。
頼仁親王が鎌倉殿になれば、兼子のことを鎌倉を上げて大事な方であると思うと。
「あら」と心を動かされる兼子。
この聡明な女性も、権力には甘かった。
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