足利義昭と織田信長の出会い――。
信長は厭戦的な義昭に失望してしまう。それでも使えるだけ使いたい野心があり、義昭を擁して上洛し、幕府を再興、“大きな世”を作ると言い出すのです。
永禄11年(1568年)9月、足利義昭が、織田信長とともについに上洛を果たしたのでした。
この上洛により、京を支配した三好は、摂津・大和に退却。14代将軍・足利義栄は摂津で病死を遂げてしまいます。
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信長が三好勢を畿内で一蹴するために摂津に流れ込み、芥川城を落とすと、信長に味方をする勢力と、献上品が集まってきました。光秀はそこで様々な処理をしています。
そうそう本作ですが、合戦シーンをそこまで多くはやらないようです。
別にそれが悪いとも思いませんし、どこに重点を置くか決めるのは、作り手の判断です。
駒はすっ飛ばして合戦をしろという指摘もあるようですが、余計なお世話ではありませんかね。
合戦をどれだけ重視するのか、そこは作り手の価値観次第。
合戦シーンこそ醍醐味という気持ちはわからなくもありませんが、東映時代劇の頃ではありません。角川映画の時代劇だって、合戦がない『みをつくし料理帖』をやる時代です。
予算が膨大だった『ゲーム・オブ・スローンズ』ですら、大規模な合戦は原作からかなりカットして、1シーズン1エピソードにある程度なのです。
それよりも本作は、政治劇、会話劇、心理の交錯に力を入れていると思えるのです。
もちろん、合戦を撮影する技術を消すことだけは回避せねばならない。そういう技術継承と開拓要素はありましょう。
久秀との再会
光秀は松永久秀と再会します。
豪快な笑い声と共に、久秀がやってきました。
光秀が出迎えが遅れたことを詫びると、久秀は幕臣として奉公衆に加わった光秀の出世を褒めます。
けれども、光あるところに陰はある。彼らの横を、髪を乱し、汚れた武士たちが縛られて歩いてゆく。これぞまさに合戦だ。
「見よ、負けて許しを乞う者、命乞いに来る者。見苦しい限りだ」
久秀は信長のことを褒め始めます。
京で織田殿にお会いして以来、只者ではないと思っていた。信長様に味方して、大和に蔓延る三好の一党と戦ってきて、いささか苦戦しているのだと。
この言葉には、いろいろな要素はあると思います。
自分の見る目を確認し、勝ち誇るようで、苦戦というあたりには自虐も滲む。それに、一時は、我が子に跡目を譲り隠居も考えていた久秀です。
計画は狂っている。そこをどう思っているのかがわからない。
吉田鋼太郎さんですから、実に巧みです。正々堂々としているようで、複雑なニュアンスも感じる。この久秀が、どう転落してゆくのか。
困惑する光秀
そして久秀は、見事な土産物を持参していると言います。背後の武士が、何か茶器を持っています。
そうなのです。久秀という男は、あのおそろしい織田信長に、自分の利用価値をアピールしなければなりません。
商人に茶器の目利きを頼まれるセンスは、きっと役立つことでしょう。
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信長にお会いして渡したい――そう頼み込む久秀に、光秀は評定の最中だと困惑しています。今回の戦で三好に味方した側をどうするのか。その扱いを詮議しているのだそうです。
「それは大儀じゃ。わしは気長に待つゆえ」
そう久秀は言ったあと、「待て」と光秀に声をかけます。自分が三好方に通じているという噂があると、彼も知っている。
「まさか、わしも詮議されているのではありますまいな?」
光秀は、評定の最中であり、詳しくは申し上げられないと言葉を濁します。
そのうえで、信長は久秀の働きを知っているからには、ご案じになることはないと返す。
とはいえ、言葉のトーンも表情も、どこか冴えない。
本作はなかなか厄介で、演技のニュアンスが細かい。言っていることと、考えていることに違いがある。
時代劇では、現代劇以上にこういうことをしてこそだと思えます。
譲らぬ藤英
さて、その評定では。
柴田勝家が声を荒げております。
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三好に味方した池田勝正、伊丹親興が許されるのに、松永久秀が許されないのはおかしいと主張するのです。
が、幕臣である三淵藤英は譲らない。今後の幕府のこともふまえ、前の将軍である義輝を暗殺した三好一党と手を組んでいた松永久秀を許すべきではないと譲りません。
久秀の嫡男が将軍殺害に関わったことは確か。
嫡男は嫡男、父は父だから別なのか。本人がしたことではないという言い訳はできるのかどうか?
「話にならん!」
そう揉めています。
これはただの【情】の問題だけでもない。藤英がそこまで義輝の死を悼んでいるかどうか、そこは考えた方がよさそうです。
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柴田勝家としては、人事の掌握を織田の基準で決めることにこだわっている。織田にここで味方したかどうか、そこが問題である。
一方で三淵藤英は、将軍権威を保つためにも、範囲を広げてでも松永久秀を処罰しておきたい。
向井理さんの義輝は美しかったけれども、その命は死んだ後でも値踏みされ続け、利用されるのです。
人は誰でも死ぬ。けれどもその死に関わる葬儀にせよ、何にせよ、利用はされる。死、しかも暗殺となればその傾向は顕著。素直に追悼しないものは不埒だのなんだの言われますから。
藤英としては【義輝の死】というカードを存分に使いたいところでしょう。
そんな老獪な藤英に対して、フレッシュで生き生きとした柴田勝家がやはりよい。
安藤政信さんはまだちょっと硬くて、そこが役柄と噛み合っていて、谷原章介さんとのケミストリーが絶品で。適材適所のうまみが随所にあります。
不穏な摂津晴門の登場
ギスギスと揉めるパワーゲームな評定に、光秀が戻ってきてしまいました。
義昭が辛そうに、悲しそうな顔で、この場にいます。滝藤賢一さんは、どうしてこんなに可憐なのやら。
一方で、信長はこの混沌さえ、にっと笑みを浮かべておもしろそうに見ている。
彼は学んだのかもしれない。すごく、邪悪なことを。松永久秀の弱みは握った。今後、「義輝殺し」の一件でじわじわといたぶれそうだ。
公方様なんて頼りなくて、ただの傀儡ではある。そんな傀儡でも、殺してしまえば面倒なことになる。生かさず、殺さず、せいぜい使ってやるか……。
そういう不穏さと不敵さと、ドロドロに煮詰まった微笑を浮かべる染谷将太さんが、今週も圧倒的。
邪悪だ……この信長は、飲み込まれそうなほどに邪悪だ……。
ここで義昭は、おずおずと議は尽くしたと言い出す。
皆の思うところに理解を示したうえで、三好の根城である芥川城を抑えられたのは、全て織田信長の力があったこそ。他の大名家が名乗りを上げぬ中、自ら出陣してわしを助けてくれた。
織田殿こそ、兄とも父とも思っている、改めて礼を申し上げると。
「身に余るお言葉、かたじけのう存じまする」
信長はここで、ドロドロしたものを全部綺麗に封じて、愛嬌すら見せつつそう言い切ります。
そしてその織田殿が松永殿を受け入れるのであれば、そうしたいと賛成を見せる。松永殿には思うところはあるけれども、力を合わせてこそ幕府を力あるものにできると。
「三淵、どうじゃ」
「上様がそう仰せなら、もはや私は……」
そのやりとりを、信長はじとっとした目で見ている。よくもこんな不穏な目を。演技を超えて、なりきっている。染谷さんは、新解釈信長像を生きているのですね。
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それにしても、これはどういうことなのか。
義昭は優しすぎて、幕府権威にすら無頓着なのか。ただ単に、松永久秀を殺したくないだけなのか。信長のあの目は何か? もしも、ここで義昭が松永久秀を断固殺していたら、見る目は変わったのか。
義昭は、そのうえで織田殿に頼みたい儀があると言い出します。
幕府を立て直すために、奉行所を設置したい。都で暮らす民のこと、諸国の訴えのことを処理していかねばならない。そのためにも、あの者を呼べというのです。
摂津晴門です。
ここでの彼は背中しか映らない。それなのに、身のこなし、背中ですらどこか何か不穏な気配がある。一体本作は、どういう演技をさせているのか!
なんでもこの男は、代々足利家に仕えてきた者で、義輝時代も仕切っていた、政所の頭人だそうです。
「この晴門に、引き続き幕府の政所を任せようと思うが、いかに?」
「ははーっ」
声音すら胡散臭い晴門です。
信長が「よろしいかと」と答えつつ、ますます不気味な熱を出している。光秀も、疑念を浮かべで見ているのです。
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藤孝も抱く幕府内人事への疑問
兄・三淵藤英が評定で静かに奮闘している一方、弟・細川藤孝はどうしているのか?
おりました。三好の郎党に味方する国衆を絶つために、書状を送っています。
そこへ光秀があいさつに来ました。
なんでも、山城・勝竜寺城主に任じられたそうです。光秀は、藤孝殿にはうってつけだと褒めます。
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そんな挨拶のあと、摂津晴門が幕府の実務を抑え、仕切ることをどう思うのか。話題はそうなります。
確かに幕府を仕切るのならば、その方が早くできる。当面仕方ないとはいえ、それでよいのかどうか。
何と言っても彼らは義輝を助けられなかった体制なのです。
幕府の中を一旦洗い直す意義を光秀は訴えます。藤孝も思いは同じですが、兄の藤英はそうは思っていない様子。だからこそ光秀がいれば心強い、何かと相談したいと言います。
二人は幕府改革の意思を確信して、別れるのでした。
気持ちがわかるところはある。『はだしのゲン』には鮫島伝次郎という町内会長が出てきます。
戦時中、主人公中岡一家をさんざん「非国民め!」といびっておいて、戦後は「平和」だのなんだの言い出すわけですけれども。こういう鮫島めいた人物を、日本の社会はどう扱ってきたのか? 例えば、歌謡界はどうでしょう。
改心を否定するわけじゃない。人間誰しも変わってよい。
けれども、政治体制なりなんなりが変わったところで、さしたる罰もないまま、しれっと中身がそのままじゃ、さして変わりがないだろうよ。改革って言えるのかよ。ふざけてんのかよ……そういうモヤモヤ感は残りましょう。
大河でなくて、NHKのもう一枚の看板ドラマの話でもあります。
戦時中、軍歌をガンガン作っておきながら、うやむやになって鐘がどうした、オリンピックだと言われたところで、それってどうなのよ? そういうツッコミを盛大にしたい気持ちはある。
故人をどうこう言いたくもないけど、そんなもん朝っぱらから受信料で流す、そういうドラマの題材にしてよいものかどうか。
池端さんは、まさしくそういう上の世代を見てきた方でもあると。
茶器の価値
「十兵衛!」
このあと光秀は、廊下で久秀と出くわします。
なんでも信長に土産物を渡せたそうです。九十九髪茄子の茶入れを渡したのに、あまり値打ちをよく知らない、千貫で売れると申したら喜んでいたと、ホクホク顔です。
ちゃんと九十九髪茄子もここで映されます。光秀もよくわかっておりません。
「つくものちゃ?」
「なんだ、おぬしも知らんのか! あーよしよし、今度ゆっくり、茶道具のことを教えてやる」
久秀はここで、光秀に接近して来ます。
そのうえで耳に口を寄せて、越前の朝倉義景がここに来て怪しいと告げるのです。
三好と六角と手を結んでいる。成り上がりの織田などに従えるか――そう思っているのだと。
光秀の脳裏に、義景の姿が浮かびます。
松永久秀から、織田信長とともに上洛すればよいと書状が届いたと語っていた。
そのうえで、織田と一緒というのが気に入らぬが、と言っていたことも。
史実でも、この後、朝倉との対立が深刻化していきますね。
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本国寺(本圀寺)の変
京・内裏では、同9月、朝廷より正式に義昭が第15代将軍となりました。
ここで義昭と信長が馬に乗ってまた来る。義昭は八の字眉毛、信長は逆八の字眉毛。この二人は、表情から何から何まで正反対でおもしろい。
そんな信長は、将軍を見届けると慌ただしく岐阜へ戻ります。
永禄12年(1569年)正月――三月も経たぬうちに、事件は起きました。
幕臣となった光秀は、馬の嘶き、足音、喚声を聞きます。
刀をもち、飛び出す光秀。なんと三好の軍勢が、将軍のいる本国寺(本圀寺)を襲撃をしたのでした。細川藤賢らも慌てる中、藤孝は自分の城にいる。将軍は極めて手薄な中にいるのです。
けれども、こうも手薄な中、ピンポイントで襲撃するとなると、何らかの情報漏洩がないとできないのでは?とも思える。
光秀は将軍を守ると誓い、義昭を救い出します。
朝霧、銃声、喚声。音響も演出も魅せる中、将軍を地下へと導く光秀。
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地下で義昭は、信長が岐阜に戻った途端これだと嘆きます。光秀も、まさか光秀がここまで押し寄せるとは油断していたと侘びます。
義昭はしみじみと、この都は穏やかでなくてはいかんと語ります。
父も、兄も、都を追われ、長く悲しい思いをしてきた。都に帰りたい。花咲き誇る都に――そう近江国で会うたとき、しみじみと語っていたと思い出す義昭です。我らにとって、ここは夢の都であったののだと。
光秀も答えます。父は、土岐様のお供でよく都へ参ったことを、幼き頃からよく聞かされていたそうです。都、室町は美しきところだと。
「その美しき都に戻さねばなりませぬ」
「自信はあるか?」
「ございます。それゆえ、家臣にお取り立てていただきました。妻や子も、いずれ都へ呼び戻すつもりでございます」
そう語る光秀に、義昭は住むところは摂津晴門に探させて良い所を与えると言います。案ずることはないと。
ただ、光秀は喜べません。家のことではない。腐敗した晴門に、疑うことなく任せる。そういう義昭に不安が湧いて来ているのでしょう。
駒はたくましく、賢く、強くなっている
そのころ、駒の薬は量産体制に入っておりました。家内手工業状態です。
そこへ東庵が帰ってきます。
なんでも本国寺で戦をやっている。上洛以来、明智様のお側にいられる。そう心配をしているのです。
「本国寺で!」
せっかく京に来られたのだ、一度明智様に会いに参ろうと申していたのに、まさかこんなことに……そう嘆く東庵。
今行ったところでどうにかなるものではないと、駒は返します。
動揺は顔には出ているようで、落ち着こうともしている。これまた複雑なところではある。駒はかつて光秀に恋をしていたけれど、今はそういう少女時代を終えました。
うん、門脇麦さんがこれまたどんどん変わって来ている。人間はこういうものだという気もする。成長して、いつまでも恋愛感情ばかりでもないでしょうね。どうにも、駒や帰蝶はそこをやたらとクローズアップする見方があって、私は違和感を覚えるのですが。
むしろ駒はたくましく、賢く、強くなっている。
かくして、三好の軍勢は幕府側の堅い守りを攻めあぐねており、さらに足利に味方する大軍の接近を知ると、二日間の攻防の末、形成不利と見て退却したのでした。
そのことを駒は若い男から聞き、東庵に報告します。なんでも六条の人に、様子を知らせてくれと頼んでいたとか。
駒はここで、きっと怪我した人が大勢いるはずと言い切る。そして東庵に一緒に行こうと言い切るのです。
すっかりたくましくなりました。東庵は「そうだ!」と言い、本国寺へと向かいます。
負傷者だらけの本国寺で
本国寺では、負傷者が運ばれて治療を受けています。これも本作らしさだ。
戦国時代を舞台にしたフィクションはある。けれども、負傷者なり死体はすぐさま消えてゆきます。
それを本作では映す。
光秀はそんな中、鉄砲組を集めて門を破られぬよう増やせと指示を出しています。破られたところを修繕せよとも。
そこへ東庵が声をかけます。何か手伝えることがあるかと思い、親しい医者にも声をかけて参ったと告げるのです。
光秀がお礼を言うと、駒を見つけます。二人は声をかけあいます。
「よくご無事で」
「案ずるなわしは負けぬ、東の門も見るぞ」
すっかり戦友になったような、乱世の二人です。
駒は、もっとお湯がいると言われ。台所へ向かい、湯を用意しようとします。
すると侍女が慌てふためいている。
なんと、そこには「なんのこれしき!」と湯を運ぶ義昭がいる。なんでも毎日運んでいたとか。僧侶時代はそうでしょうけれども。
ここで駒とすれ違い、振り向く。
「そなた……」
「覚慶様!」
義昭は、名前を忘れていても顔は覚えていました。駒だと聞いて思い出します。何年ぶりかと言い合う二人は善良です。
ふと思ったのですが、こういう普通の人とは違う人間のやりとりをする人物がいる。信長です。
信長は、出会った人間を試す。光秀に鉄砲を渡して値踏みした。義昭にも関の太刀を献上して、反応で値踏みをした。
人に出会っただけで喜び、笑う。そういうことができない織田信長は、どれほど哀しい存在なのか? そこも考えてゆきたいところです。
伊呂波太夫の頼み事
場面は変わり、伊呂波太夫が駒と義昭の再会話を聞いています。
お坊様の頃と変わらない、それが優しくて良い方だと語る駒。
伊呂波太夫は挨拶したあとを知りたがります。今はこの騒ぎだけど、おさまったら使いをよこすから遊びに来ればよい、と。けれども駒は、そんな偉いお方には会いに行かないと言う。十兵衛様の無事を確認できたとほっとしています。
駒も変わったところはある。名誉に無頓着と言いましょうか。彼女はさんざん、偉い人に会いすぎると突っ込まれてはいますが、そういうことをしても駒だからこそプロットがぶち壊れないところはあると思うのです。
普通、もっとチヤホヤされて浮かれません? しかし駒はとことん謙虚。“普通”が視聴者側とも違うのでしょう。
伊呂波太夫とはまだビジネスの関係もあるようで、駒はお金を受け取ったようです。東庵はその金を数えます。
ここで伊呂波太夫は、駒に公方様にお願いがあると切り出します。
関白様こと近衛前久のこと。三好方に与したとみなされ、命すら狙われて大変な目に遭っているそうです。
思えば前久相手に、将軍なんか誰でもいいと迂闊な方向へ後押ししたと言えなくもない、そんな伊呂波太夫。彼女なりの責任感でしょうか。
東庵は、そういうことはいきなり公方様に頼むものかと釘を刺します。そのうえで、光秀が公方様のそばで力をつけている。立派に振る舞っていると言うのです。
「なるほど、明智様か」
伊呂波太夫はハッとしています。
藤孝の疑念
そのころ光秀は書類仕事をしていました。
そこへ藤孝が入ってきます。
こういう細かいところも素晴らしくて、まずは照明です。日差しが障子を通して屋内に差し込む、それがとても美しく撮影されている。
さらには障子を開ける人がちゃんと藤孝の横にそっといる。当時の貴人なら自分で開けない。こういう細かくて丁寧な演出がよいのです。
障子すら自分で開けない当時の貴人なのに、将軍自らお湯を運ぶ義昭の特異性も浮かび上がりますね。彼も変わっているのです。
藤孝には疑念がありました。
勝軍山から一気に、三好の大軍がくだってきて、それに幕府のものが気づかない。京に入るには関所がある。本国寺にふって湧いたわけがない。
要は、幕府内部の内通者の可能性を察知したのです。
本作の登場人物は、そういう考察がきちんとできるのがいいですね。一乗谷でも、光秀が市場の動向を観察して「戦の支度をしていないから上洛できない」と朝倉義景に言い切った場面もその一例でしょう。
決定的な証拠はなくとも、いくつか自分なりに疑念やひっかかった点を集めてゆけば、絵が見えてくる。
そこで光秀は、藤孝に書類に目を通すよう差し出します。
幕府内の何人もの役人が、不正に公家や寺の領地を横取りしている。訴えられているのは、10や20で済まない。何年にもわたってそうだ、と腐敗の証拠を突きつけるのです。
藤孝は驚き、どうやってこの文書を手に入れたのかと返します。今回の騒ぎに乗じて手に入れたとか。
やりましたね、光秀、やりました!
今回のようなことを防ぐのであれば、幕府腐敗の根を絶つことが肝要。その根を光秀は見出しました。
幕府内に三好に戻ってきてもらいたい一味がいる。それこそが根本的原因だと見出したのです。
光秀と藤孝は、よいコンビになると確信できては来ました。
ただ、幕府再興はもう間に合わないとは思えるのです。
信長が悟った2つのこと
本国寺の一件から数日後、岐阜から織田信長が数名だけの供をつけて駆けつけました。
村井貞勝を連れて来ています。
そしていきなり激怒!
「わしの助けがなくとも戦えると思ったのか!」と摂津晴門を問い詰めます。
細川藤孝らに知らせた……そう、おどおど返答する晴門に対し、細川に先に知らせたのかと信長はギラっと怒りを見せます。その折は政所も狼狽えていたと言ったところで、通じない。
「幕府にとって織田信長とはその程度の代物か!」
扇をぶん投げつつ、怒り狂う信長。信長はそう、ものにあたる悪癖がありますね。
現代のアンガーマネジメントなら「6秒待ちましょう!」と助言できるのでしょうけれども、信長は怒りで全身をぎらつかせる。人というよりも、怒り狂って毛を逆立てる獣のようだ。
そして、摂津晴門に二つのことを学んだと語りかけます。
一つ。そのほうたちだけでは、公方様をお守りすることはできぬということ。
もう一つ。この寺を公方様のご座所として安心していたわしは、愚かであったということ。
続けてこう宣言します。
以後、京にはわしの信用する者たちを名代として置き、新たな城をつくり、将軍様のご座所として、ご動座願うこととする。
「わかったか!」
信長は話し合いが苦手だ。している間、露骨にしらけ切った顔をすることも多い。なぜなら自分が決めて、指示を出した方が効率がよいから。
信長はめざめてしまいました。自分の力が優れていると理解してしまった。それがどれほど孤独で、哀しく、危険であることか。
二月で城を完成させよ!
そんな信長は、新たな城を作ると宣言します。
場所は決めた、来月から築城して四月には完成させるのだと。
二月で城!
そう焦る相手に「やれるな」と反論を許さずに迫る信長。
晴門は、「どなたがおやりになっても二月で城は……」と戸惑うばかりです。
「やれる!」
信長はそう迫る。近隣諸国の大工たち、材木師を集め、そのほうたちも汗水垂らして釘を打て、さればできる! そう言い切る。
光秀はこれを横で聞き、どこか不快感を顔にうっすらと見せています。
はっきりとは、わからないけれど、光秀なりに、信長の危うさを肌で察知しているのかもしれない。
それにしても本作は見事です。信長が上洛を機にして、幕府を支えるようでいかにして破壊していくかをきっちり描いている。
将軍の城まで作り、自分の息のかかった人物を名代に据える――。
こんなことをされたら、幕府は主導権が分裂し、取り返しのつかないことになる。歴史は繰り返すと言いましょうか。幕末期も京都で諸藩がパワーゲームを展開して、江戸幕府の屋台骨が破壊されたわけです。
かくして二条城の普請が始まります。光秀も熱心に働いておりました。
大工も職人も人足も集まってきます。「よいやさ、よいやさ」そう声をかけて縄をひく者もいる。
そこで光秀は、人足が運ぶあるものに目をつけます。
石仏でした。
「これはなんだ?」
「山寺にあった石仏でございます」
どこで使うかというと、割って石垣にするそうです。ご奉行のご下知で、使えるものはなーんでも持ってこいと言われたとか。
そして信長もやってきて、命令を出しています。光秀と比べると、言い回しがきつくて、高圧的ですね。
信長は光秀の姿を認めると、うれしそうな顔を見せます。
伊勢、三河、丹後、播磨。14の国から人とものを集めた。やればできるのだ! そう得意げなところで、「信長様の力」と返され、うれしいのかそうでないのか、よくわからない信長です。
そのうえで、わし一人では誰も力を貸さん、やはり公方様の名前に力があるとしみじみと言います。
「そなたの申す通り、大きな世を作るには欠かせぬ方!」
そう言いつつ、難しいのは摂津晴門だと指摘する。公方様がああいうお方だから、都合よく操られるのが怖いと懸念しています。
光秀は、私と藤孝殿で抑えると返します。信長はそうしてくれと言い、自分も手を打つと言います。
合理主義だけではどうにもならない
そしてここで、信長は石仏を見ています。これも使うのかと光秀に問われ、信長はおもしろそうに話を続けます。
子どもの頃、仏間に忍び込んで遊んでいて、仏様をひっくり返したことがある。
母上に大層叱られた。
仏様の罰が当たると脅された。
仏の罰とはどんなものか興味があり、何日もそれを待った。
「何も起こらなかった! 何も」
そう言いつつ、石仏を掌で叩く信長。
信長の性格的な欠点が、じわじわと出て来ました。
仏像を壊すことそのものの悪というよりも、人の心を踏み躙ることをなんとも思わないこと。話がそもそも通じにくいこと。このあたりが実に怖い。
土田御前からすれば、我が子がそんな自分自身をも、仏をも馬鹿にするような発想をするなんて、思いもよらないことでしょう。
我が子というよりも、まるで獣のような気持ちすらしてしまってもおかしくはない。
そして信長の言動は、父からも隔たっているのです。
信秀は斎藤道三との合戦に、熱田神宮の神主を連れて来ていて、これで勝てると自信満々でした。
それでも敗北した。あの一連の描写からは、神通力を信じることの愚かさが見えてくるようであった。
けれども、それだけではなく、過去のレビューを確認したところ、私はこう書いていました。
占いを信じない人が合理的でクールなわけでもない。
人のお守りを踏んづけ、墓を蹴り飛ばすような人間は、いつの時代だって嫌われます。
そういうことは最近でもある。慰霊施設をポケストップにすると、問題になるでしょう。
でも、そういう暗黙の了解を無視する人もいる……前述の曹操も、占いだの予言だのバカにしまくって生きてきました。
それで「流石ぁ、合理的!」と言われたかというと、むしろ人の心を無視する最低最悪の奴だと当時から嫌われていました。
合理主義だけではどうにもならない――人の心を踏みにじる奴は問題ありだとみなされるのです。
この先、信秀さんの嫡男が墓石をガンガンぶっ壊すようなことをやらかして、両親と教育担当者揃って苦い顔になることも、想像できてきました。
キャラクタービジュアルの時点で、土田御前は顔がうっすらと疲れている。我が子が理由なのでしょう。
麒麟がくる第2回 感想あらすじレビュー「道三の罠(わな)」
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やはりでしたよね……。
けれども信長には、そんなことがわかるわけもない。仏像を壊すことに、うっすらと快感すら覚えているのかもしれない。この口ぶりからして、そういうものは感じさせる。
やはりとても哀しいとは思う。時代の子だとは思う。世の中大きく動いて、人の認識も変わってゆく。
そうそう、吉川晃司さんが織田信長に扮したAmazonプライムの『MAGI』にも、そういう宗教と人間の関わりが描かれています。
ガリレオは天上説を否定し、地動説を提唱し、それで教会から睨まれてしまう。それを嘆く描写があるのです。
人間って、宗教を持っている。じゃあなぜ、神を求めたのか? 宗教というルールがあったほうが、世の中うまくいくこともある。誰もがガリレオのように、地動説の検証をしているわけにはいきません。神様が決めたから太陽は東から登る。そう片付けた方がよいこともある。
そういう「暗黙の了解」、「読むべき空気」を宗教は規定してくれます。
けれども、人間の中にはそういうことを疑ってかかるものが少数いる。先天性の何かを持って生まれてしまう者がいる。
彼らが世の中を変えていく。
宗教改革のルター。陽明学の王陽明。それぞれ、カトリックなり、朱子学なり、世の中を支配する思想に異議を唱えて、かつ織田信長と近い時代を生きた人物です。
そういう人物のこと、世の中のルールを変えてしまうような人を称え、憧れてきたわけだけれども、現実に少数派に生まれついた本人は、周囲と理解し合えず、とてつもなく哀しくて孤独だったのかもしれない。
周囲からすれば、その人はあまりに変わっていて、振り回されて困り果てたかもしれない。
そんな哀しみを考えることの提起が、本作にはあると思えるのです。
人間は進化します。歴史にせよ、人間そのもののことにせよ、研究が変わりつつあります。
そういう新視点で信長を見つめること。それを引っ張ってゆく、そういう意義がある。
そのためには、染谷さんが必要だったのでしょう。
染谷さんをファンとして追いかけたことはないから、私には彼そのものはよく知らない。結婚しているのか。趣味は何か。そんなこともハッキリ言って、どうでもよい。
ただ、目の前で繰り広げられる演技がもう、わけがわかりません。
彼はスチル写真では伝わらないものがある。
発声がすごい。人間が喋っているというよりも、楽器が演奏されているよう。
感情にあわせて、声がうねるよう。顔の表情にあわせて、声まで変わる。
一体何が起きているのか、毎週見ても、さっぱり理解できない。ただ、すごいということだけはわかります。
朝倉義景を討つ――
さて、そんな信長が「松永から聞いた情報を知っているだろう」と光秀に話を振ってきます。
越前・朝倉義景です。
朝倉が三好と手を握れば危険だから、早めに手を打たねばならない。そう思うが、どうだ。
そしてこう宣言します。
朝倉義景を討つ――。
アッサリ言い切り、肩にポンと触れ、世間話をします。
帰蝶が美濃に戻って来て、十兵衛に会いたがっている。己の妻も子も美濃にいる。美濃は二日の道のり、これを作ったら一度戻ってこれぬか。そう誘うのです。
いや、信長さんよ。どうリアクションしたらよいのよ……。朝倉を討つという後に、こんななごみ系の世間話をして。あまりに急展開な話題についていけない、疲れる……そう感じる人も周囲には絶対いるはず。
「おう公方様じゃ!」
ここで義昭登場です!
義輝とは、どうしたって何もかもが違う。
本作の適材適所ぶりが光りますね。向井理さんと滝藤賢一さんの個性よ……。
義輝が繊細な白磁なら、義昭は自然釉というか。そういう個性を、佇まいでも演技でも出せる、滝藤さんは素晴らしい。
そんな義昭はこう来ました。
「信長殿、ここにおられたか!」
信長は公方様がかような所へ来られたことに恐縮する。義昭は、立派な城になりそうだ、信長様のおかげだと感謝している。
汚れた手を握られて困惑する信長。義昭はそれに構わず、都を美しく保てるのはあなたのおかげだ、この手は離さないと言い切り、強く握る。もし義輝なら、こうはならないでしょう。
本作は、おそろしい酒みたいなもんです。酒をぐいぐい飲ませて、酔わせるような危険なところがある。信長の気持ちに、恐ろしいほどに引き摺り込まれる。信長の気持ちと一体化できる気がする。
そしてそれは、とてつもなく悪酔いをさせる。
こんなことを開けっ広げにされたら、いかにして公方様を使えるか、そこに向かっていってしまう。あまりに素直すぎる……。
信長は、義輝には冷たい顔になった。でも、義昭はそうならない。
たっぷりと利用し尽くす。吸血鬼のように、干からびるまで相手を吸い尽くすことすら想像できる。まぁ、でも、殺すと松永久秀状態だから、あくまで生かさず殺さずだ。
残酷な作品だ!
残酷な思考回路に見るこちらまで引き摺り込む!
この義昭と信長がどう壊れるかなんて、そんなの、はじめから噛み合っていないのです。
生まれながらにして改革をすると運命が決まった信長からすれば、旧来の勢力なんて、血をすすって捨て去るものでしかない。そういう宿命は、本人だって哀しいものかもしれないけれど。
信長は、人の心を平気で踏みつける。その悪どさや痛みに気づけない。
けれども、そうできない人がいる、それが光秀。
光秀は、石仏をじっとみつめてしまう。なぜですか? なぜ、あなたは、この石仏を信じる人の心を踏みつけにできるのですか? そういう問いかけを、表情で表現する長谷川博己さんが今週も圧巻だ。
染谷さんが動ならば、ハセヒロさんは静で。静かなようで、感情はこんこんと表情の背後で流れていて。もうハセヒロさんの演技力と知力前提で動くような作品だから、説明するのは野暮だと思うけれども。それでも毎週言いたくもなる。
長谷川博己さんは、ほんとうに誠実で唯一無二の、素晴らしい役者なのです。
さて、そのころ摂津晴門は――。
三好の片割れが越前にいて、朝倉義景に何かと入れ知恵していると、聞かされております。それをおもしろいと言い、企んでいるのです。
「織田信長め! 成り上がりの分際で、満座でわしに恥をかかせおった。今に見ておれ、一泡吹かせてみせようぞ!」
そう言い切るのでした。
このあと、石仏を見つめる光秀の目線で終わります。
作り手の意図が噛み合った、神秘的なものがある。そんな今回でした。
MVP:織田信長
染谷さんは信長を楽しんでいる。だからこそ、彼が演じたのだろうと確信しています。
若手俳優が新解釈の信長を演じた大河といえば、1992年の『信長 KING OF ZIPANGU』がある。あの緒方直人さんはさんざんいろいろなことを言われました。
あれは彼が悪いというよりも、作る側も、見る側も、何かが欠けていたのだとは思います。あの放送年に生まれた染谷さんが、今度こそ新解釈の信長を演じることになる。
となれば、彼も様々なプレッシャーに苦しめられる。
往年の名俳優という伝説やら司馬遼太郎の作品前提で比べてきて、あれやこれやと言われる。こんなのは信長でないと馬鹿にされる。
並のハートだったら、そこで砕けてしまうかもしれないけれど。
でも、それを力に変えてこそ、新解釈の信長はより力強くなる。
だって、当時の信長こそ、成り上がりでわけがわからなくて、乱世をエンジョイしていて、だからこそ反発されていたのだから。
こんな大変な状況を楽しんでいるといい、役を演じきってこそ、新解釈はできあがる。
その度胸の強さまで含めて、信長に抜擢されたのでしょう。
彼のファンでもないし、実は過去の出演作もそこまで見てはいない。配偶者や経歴のことくらい調べればすぐにわかるけど、それもどうでもいい。
天才?
それは見るこちら側がどう感じるかの話であって、周囲が誉めていようが貶していようが、どうでもよいのです。
そうなのです。問題は、この作品で、今どう演じているか? 毎週毎週、大型のネコ科のように素晴らしい。そこにいるだけでおそろしくて、魅力的。よいものを見せていただいております。
と同時に、とてつもなくおそろしい。見ていると、何もかもどうでもいいから破壊してしまえとも思えてくる。
そんな信長だ。
総評
だんだんと、本作の凄まじいものが見えてくる。
土岐氏をお守り札と言い切る斎藤道三。
将軍を利用するとぬけぬけと考える織田信長。
下克上を遂げ、改革する側を主軸とする一方で、保守は断固悪だと言い切るおそろしさがある。
親に会うたら親を殺す。そういう境地すら感じさせる。保守的、現状維持を唱える奴らは斬り捨てろ。そういうものをうっすらと感じる、おそろしいドラマだ!
前年と比較し、もういい歳こいた脚本家ならば、保守的に決まっている。そんな意見も見かけたけれども。いやはや、池畑俊策さんはそれを否定する力強い方なのです。
そんな不穏な、煽動のようなパワーがある今週でした。
そうそう、宣伝で申し訳ありません。
『ウチの娘は、彼氏が出来ない!!』の感想をnoteでやります。よろしくお願いします。
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【参考】
麒麟がくる/公式サイト






















