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【麒麟がくる第37回感想あらすじ】
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天下人の母とは
京で蝉の声が響く中、菊丸が歩いてどこかの小屋へ向かいます。そして誰かと話しています。
織田が朝倉、浅井を討たねば、盟約のある徳川は危うい。背後に武田がいる。
そう確認し「明智十兵衛様に渡せ」と何かを相手に渡します。
このあと、十兵衛は子連れの父子とすれ違いました。
子どもが転ぶと、光秀は助け起こします。と、ここでその父が何かを渡す。光秀はその書き付けを見てハッとするのでした。
うーん、渋いなあ。こういう忍びの使い方を見たかった。
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菊丸は若侍が見張っている東庵へ。薬屋の菊丸だと告げる相手に、東庵は相手を思い出しています。
お駒はいるかと菊丸が尋ねると、あいにく留守とのこと。それでも中に招き入れる東庵です。
「先生、何しているの!」
おっと、藤吉郎の母・なかが来ているようです。なかは長旅のようじゃがどこから来たのか、グイグイ聞いてきます。
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遠江(とおとうみ)だと聞くと、なかはペラペラと言い出す。
「まあ遠江! 徳川様はどうされているのか。去年三方ヶ原では大負けしたそうじゃが」
負けはしたが健在。そう答える菊丸もすごいけど、なかが圧倒的な頭の回転があるといいますか。世を憂うわけでもなく、単刀直入に来ますね。
息子は母親に似たとわかります。あのまま進軍してくると思ったのに、どうして武田は? そうなかが言うと、菊丸は何か考え込んでいるようです。
人間はどうして会話するのか――楽しいコミュニケーションということで片付けてもよさそうなものですけれども、菊丸のような諜報員は、会話で思考を整理することもあるんですよね。
なかの言葉に、何か考えている。なかはこんなふうに誰かの思考を整理する能力があるのでしょう。
ははあ、なるほど。これがのちの天下人の母か。そう思えるから、ともかくすごい。
出番が全くない家康も、やっぱり強いんですよね。
徳川の強みは諜報網であることは度々示されています。大敗しても、こうやって諜報網を動かしているのだから、家康はどうにも強いのだとわかります。たいしたものです。
年寒くして松柏の凋(しぼ)むに後(おく)るるを知る――。
と申します。寒い冬こそ、松や柏の緑を保っているところが素晴らしいと思える。ピンチの時こそ、健在な点がある者はそれだけ強いとわかるということです。
菊丸はまさに、徳川の枯れない緑色。家康本人は出ていなくとも、彼がどれほどタフであるかがわかるのです。
宇治の枇杷庄で義昭と駒は
宇治・枇杷庄では、義昭が書をしたためております。背後には駒の姿。それで留守だったのでしょう。
義昭は、そなたにはもう会えぬと思っていた、ここは寂しいところだと言います。
虫籠を返しに来たと返答する駒。
義昭はそんな駒に書状を見せます。上杉、武田、朝倉、浅井、毛利。備えが整えば、わしは今一度立ち、そして信長を討つ。そう宣言するのですが、駒は……。
「このまま戦を続けて勝てるとお思いですか?」
「この書状に返事が来るかどうかはわからぬ。だがわしは書き続ける。将軍である限り」
「では将軍をおやめください」
そう投げかけます。
初めてお会いしたとき、公方様はお坊様でいらした。貧しい人たちに、毎日毎日、同じ時刻に施しをしていた。
でも自分のできることは限られている。仏にはほど遠いと言い、そう仰って、そのようなお方が将軍になると聞いて、これからきっとよい世の中になる。そう思いました。
それなのに、戦、戦、戦――。
義昭は悟り切ったように言います。
やめられるのだと思うてきた。将軍としてわしにできることは何かずっと考えてきた。
しかし戦はやまぬ。幕府の旗のもと、武家がひとつにまとまるよう働きかけた。しかし、戦はやまぬ。これ以上わしに何ができるのか?
答えは出ぬが、わしはこうして大名たちにあて、戦のための書状を書いておる。
駒はそんな義昭を、菩薩のような顔で見ています。
義昭はここでやっと、あの少年のような顔になって笑います。
「わしは駒を欺いてしもうたのかもしれぬな」
義昭はやっと本来の自分自身を少し取り戻せました。
涙をすっと流し、駒もまた、流れる。二人の涙がひとつの流れになったよう。別れた心がひとつになる。
この二人が、どういう関係であったか、恋愛かどうかなんてどうでもよい。こんなふうに涙を流しあえる、そういう絆があってよかった。駒がいて、義昭はほんとうによかったと思えるのです。
美しい場面でした。滝堂賢一さんと門脇麦さん、素晴らしい場面です!
どうして義昭のこうした細やかな心理がわかるのか?
それは駒あってのもの。オリキャラだのなんだの。そういう軽い概念でまとめられ、うざいだのいらないだの、脚本を雑にしているだの言われますが、こういう人物像に深みを与える存在を加えることは、創作のテクニックです。
それを雑だの無用だの言うとしたら、世の中のあらゆる作品から表現力や含蓄が失われてしまうかもしれません。
信長による改元
信長は、何かを見ています。
漢字に文字が並んでいます。そこへ光秀の来訪が告げられると、室内へ入れます。
山城の状況を確認する信長。一乗寺山城は開城し、破却するとのこと。
信長はにっこりとして、改元を言上したと言います。
改元の申し出は将軍からするもの。なれど今や将軍はおらぬ。わしがその役目を果たさねばなるまい。違うか? そう得意げに聞いてきます。
「仰せの通り」
光秀が同意すると、朝廷から五つの案を出してきたといいます。
そのうえで、これだと決めたのが「天正」。天が正しい、よし決まりだ! そう言い切ります。
光秀はここでこう切り出す。
「ときに、公方様をどうなさるおつもりでございますか?」
信長はそっけなく、家来を何人かつけて追い払えばよいと言う。藤吉郎に任せてあるとのことです。
義昭が生きていることは、いろいろな見方ができます。
要するに、殺すのは面倒なのです。話がこじれる。
実はそこまで関与していないのに、松永久秀は義輝殺害犯として苦しめられている。生かさず殺さずがよい。別に優しいというわけでもありませんし、義昭というカードはもう放置してもどうでもよいほど軽くなったということでしょう。
信長は武田のことを聞いているか?と尋ねます。
三河に攻め入った後、急に引き返した。信玄めに何があったか?
東にあれがいなければ朝倉浅井を潰せる。光秀は周囲を確かめつつ、確かなことはまだわからないと前置きした上で、信玄の死を告げるのでした。
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結局、隠そうにも死は隠せないということです。
ここで、細川藤孝の言葉なり、このときの信長の喜ぶ顔なり、考えてみたい。
『孫子』「計篇」にはこうあります。
一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法。
信長は上洛を果たし【道】としての目標をさだめてきた。
天下静謐と帝からも示されている。
【地】→熱田港で物資を手に入れ、金が手に入る領地の時点で持っている
【将】→おかげさまで次々と手に入れた。実力重視で登用し、まさしく順風満帆である
【法】→信長の運用は厳格
あとは【天】ですね。
天の利もあると示せば負けることはない。
ただ……上杉謙信も引用した『孟子』はどうかと言いますと。
天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず。
天の時は、地の利にはかなわない。地の利は、人の和にはおよばない。
【人の和】こそ、信長にかけているものかもしれません。
朝倉と浅井の滅亡
元号が改まった天正元年(1573年)8月、朝倉家の重臣が寝返ったとの報が届きます。
信長は近江へ出陣!
義景も越前から出陣してきました。
しかし、織田軍の奇襲で山崎吉家は討ち死に。
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織田軍はそのまま一乗谷に突き進み、火をかけます。
このあたりのVFXにも磨きがかかってきましたね。映像表現の技術進化を感じます。
そんな義景を前にして、従兄弟で重臣の朝倉景鏡はこう言います。
「もはやこれまで。義景様、ここは潔く、お腹を召されませ」
義景はそうはいかない。
「馬鹿な。ここでわしが腹を切れば朝倉はどうなる? 百年続いた朝倉の名が絶えるぞ」
「朝倉の名? この期に及んで」
毒々しいほど赤い舌をぺろりと見せる景鏡。
うーん、この顔と舌の赤さだけでも、見る価値がある! これぞ、よくぞ、と言いたい。手塚とおるさん、見事な演技です。
義景は寝返りに悔しがる。
景鏡は「辛うございますが、これも戦の世」と返します。嘘こけ! 裏切って楽しかったことが見え見えで、見ていてこちらもワクワクしてしまう。
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義景は銃を向ける家臣にまたも家名をアピールします。
足利尊氏公から越前を預かり11代。一乗谷に本拠を構えて5代――。
そう言いますが、これを滑稽と思いますか?
斎藤道三が見たら高笑いしそうな光景。非常におぞましい話ではありませんか。人間が利益だけ見て、ホイホイ裏切るようになったらおぞましい。
そうならないよう、徳川幕府がどう日本人の精神をチューニングするか。ここがポイントです。
戦国時代は、主君が切腹することはありでした。むしろスマートな解決法です。
けれども、幕末には主君の首を要求することそのものがタブーになる。
切腹は家老のすることです。
ここで義景と景鏡をどう見るか?
人間の道徳心は普遍的なものでもなく、ここでどう思うかによって、答えを出す側の思考もわかります。
戦国武士に近いのか?
それとも江戸時代以降の価値観を身につけているのか? さあ、どちらでしょう。
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朝倉家は滅亡し、浅井家も滅亡します。浅井長政も亡くなったことになります。
この辺の展開が「あっさりしすぎ!」という感想が出ることは、なんとなく想像がつきます。
信長の妹で長政の妻・お市の苦悩はなく、もちろん浅井三人娘も出てこない。
どこをカットし、軽んじるか? そこに不満を持つのは見る側の自由ですが、重点の置き方から、本作のテーマも見えてきますね。
ともかく240年続いた室町幕府は実質的な終わりとなりました。
群雄割拠した乱世は、信長による新たな時代を迎えることとなるのです。
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