麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第37回 感想あらすじ視聴率「信長公と蘭奢待(らんじゃたい)」

麒麟がくる第37回感想あらすじ~視聴率は12.2%でした

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麒麟がくる全視聴率
麒麟がくる感想あらすじレビュー

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元亀4年(1573年)、信玄が上洛を決め、義昭は信長との訣別を宣言します。光秀にとっても、苦渋の決断です。

しかし、三河まで来たところで、信玄は兵を引き返すのでした。

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槇島城から追われる義昭

町の人々もざわめいています。

「今度こそは織田と決戦じゃと思うたが……」

そう皆が噂する中、徳川の忍びである菊丸が立ち聞きをしております。

宇治・槇島城に陣を構えた義昭は、焦っていました。朝倉、浅井、そして信玄。彼らは来ません。

「なぜじゃ、なぜ姿を見せぬ? 皆、わしを助け信長を討つと書いているではないか!」

書状を手にし、うろたえるばかり。

そう悔しがっているところに、兵が喚声とともに雪崩れ込みます。

先頭にいて刀をつきつけるのは、木下藤吉郎です。獣が獲物を追い詰めるようで、愉悦と残酷さを目に宿しています。

足利義昭公! 織田信長様のご下命により、木下藤吉郎が召し捕える」

叫びつつ刀を抜く義昭は、生捕りにされてしまいます。兄・義輝のように散ることはなく、かくして囚われの身となるのでした。

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光秀は城の外にいます。

そこへ藤吉郎がやってきました。

「公方様をお召し連れ申した! ご覧あれ明智殿。皆が武家の棟梁と崇め奉った将軍様がこの様じゃ。これからは我らの世でござる、我らの!」

しかし、明るい藤吉郎に対して光秀の顔は暗い。裸足で歩く義昭が見えます。

光秀の眼前まで来ると、膝を突きながら相手を見るしかない。そこにいたのは、何もかもふっきれたように、去ってゆく義昭でした。

 


秀吉の喜び

それにしても、三者三様に見事な対比です。

藤吉郎は下剋上がうれしくてたまらない。舌なめずりしそうなばかりに、その喜びを見せています。

一方で光秀の顔は暗い。

登ることを目的とした秀吉に対し、光秀はもっと先の何かを見据えている。

麒麟が来る世界、誰もが穏やかに暮らせる世界を。自分一人が上り詰めたところで、麒麟が来なければ意味がない。ゆえに、まだまだ暗い顔なのでしょう。

先憂後楽――民よりも先に国を憂い、民が楽しんだ後に自分が楽しむ。為政者のあるべき姿を体現する光秀です。

こういう光秀タイプを、ノリが悪いだの、つまらないだの言うのはお門違いでしょう。深慮遠謀があるがゆえかと思われます。

一方で秀吉は、踏み付けてのしあがることが目的と化した感はある。

漁色家とされる秀吉ですが、そんな甘っちょろいプレイボーイとか、エッチなおっさんでもない。

彼は身分の高い女を狙う。権力欲があることを表現しきる。そんな佐々木蔵之介さんが今週も圧巻の恐ろしさ――。

主筋である信長の姪を妻にする男とは、こういう顔をするものなのか。毎週、納得感があってしびれそうな演技です。本作の役者たちは、ドラマ完結後の人生まで宿して演じているようで圧巻です。

この苦労人が天下を取れば、人の痛みに敏感な為政者になるなんてことは嘘っぱちであると清々しいまでに証明しておりますな。

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天下人として世を治めるには、苦労人としての経験だけではよろしくない。理念なり、素養なり、そういうものが必要ということでしょう。

1996年の大河ドラマ『秀吉』放映時にはなかった観点を本作からは感じます。

 


藤英・藤孝兄弟

今回の脚本家は河本瑞稀さん、宮内庁正倉院事務所も協力して始まります。

山城・伏見城では、義昭とともに戦った三淵藤英が投降していました。弟・細川藤孝は信長についております。

兄弟の命運が別れました。

「兄上、面を上げられよ」

弟に対して、自分よりも主君の心配をする藤英。

光秀はここで義昭は宇治の南・枇杷庄(びわのしょう)に移されたと言います。信長も将軍の命までは取らぬとのこと。藤英はそう言われ、やっと「左様か」とホッとしております。

「ともあれ無事でようございました」

そう言われ、藤英は弟に毒づきます。

義昭様、幕府の内情を信長に密かに漏らしておったな。いつから裏切り者に成り果てた! そう弟に問いかけます。

弟は俯くほかない。

けれども、彼には言い分があります。

「私は気がついただけです。政を行うには、時の流れを見ることが肝要だと。この世には大きな時の流れがある! それを見誤れば、政は澱み滞り、腐る!」

それが公方様を見捨てた言い訳か。そう藤英はいう。

ここで藤孝は、信長の沙汰を伝えます。岩成友通が籠城した淀城を藤孝と藤英の兄弟で落とせとのこと。よい機会だと藤孝は言います。

兄弟力を合わせ、淀城を落とす。そのための手筈は後日として、藤孝は去っていきます。

 

わしは負け、そなたは勝った……

藤英はあとに残り、涙を目に光らせ語り始めます。

「十兵衛殿……、わしは負け、そなたは勝った。わしは二条城で死んでもよいと思うた。得に応じたのはただ一つ。義昭様のお命を助けていただけるか」

西日がさす部屋で、光秀はこう告げます。

「私と三淵様の間に、勝ちも負けもございませぬ。あるのは紙一重の立場の違い。私は今そう思うております。このうえはこの十兵衛光秀にお力をお貸し下さいませ。何とぞ」

圧巻の演技です。

三淵藤英は善良だと思いますが、朝倉義景の嫡子殺害は彼の指図でした。細川藤孝は熱血なようで、知性もあるがゆえの選択です。

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そして光秀のいう通り、紙一重ということはある。

前回、光秀は鳥になった。今回、人は皆鳥のようなものとわかってきます。

落ちる鳥、うまく飛び去ってゆく鳥、網にかかる鳥。

どこまで差があるのか?

その善悪正邪はどこまで関わりがあるというのか?

そんな悲哀が凝縮されたようです。演じる側も人間を超えてしまったというか。夕陽の前を飛ぶ鳥の群を見ているような気がふっとしてしまいます。このドラマはともかく詩的です。

良禽(りょうきん)は木を択(えら)んで棲む――。

よい鳥は、木を選んで巣作りをします。

でも、その鳥の良し悪しを分けるものとは何なのでしょうか。

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