平安時代

左から桓武天皇・藤原道長・平清盛/wikipediaより引用

飛鳥・奈良・平安

平安時代を一気に読む!親政に始まり摂関家絶頂期を経て院政から武者の世へ

2024/10/21

江戸時代なら庶民文化の浮世絵とか歌舞伎とか。

鎌倉時代なら運慶快慶とか。

あるいは縄文&弥生時代なら土器とか竪穴式住居とか。

歴史の各時代には、それぞれ特色を表すシンボル的存在がおりますよね。

そんな中で、最もボヤけた印象となってしまうのが平安時代ではないでしょうか?

「桓武天皇が平安京を作って、そのだいぶ後に藤原道長が出て。そんで、紫式部が源氏物語を書いたり、清少納言が枕草子を執筆してたら、いつの間にか源氏と平家が戦ってた」

こんな調子で

【政争や文学ネタ】

に偏っている印象ですよね。

というか一番の問題は、時代が長いことかもしれません。

794年のウグイスで始まり、次の鎌倉1192年(あるいは1185年・1180年)まで続いたとしますと、約400年もの長期に渡ります。

太平と言われた江戸時代が約265年ですから、その1.5倍。

こんな時代を一気に把握しようたって、そりゃあ最初から無茶な話です。

というわけで平安時代の特徴を捉えるには、更に3つの時代に区分するのが良さそうです。

ざっとこんな感じ。

①平安京と天皇親政

②摂関家と国風文化

③院政と武士(源平)

代表的な人物で考えると

①桓武天皇

②藤原道長

③平清盛&源義朝・頼朝

って感じですかね。

延暦13年(794年)10月22日は桓武天皇が平安京に都を遷し、平安時代が始まった日。

①から一気に確認してみましょう。

 


①平安京遷都と天皇親政

桓武天皇が平安京へ移り、天皇の親政が続いた時期です。

794年から約100年ぐらいと考えておきましょう。

桓武天皇/wikipediaより引用

この頃はまだ遣唐使が続いていたこともあり、中国の影響を強く受けた弘仁・貞観文化が生まれたり、最澄・空海によって天台宗と真言宗が開かれたりしていました。

ちなみに最澄と空海は、同じ第16次遣唐使で派遣されてます(18次という説も)。

実はこのとき派遣された4隻のうち2隻が沈んでおり、残った2隻に2人が別々に乗っていたというから2人も豪運というか悪運というか。仏様に愛された人は違いますね。

また、東日本大震災と同等レベルのエネルギーだったと推測されている【貞観地震(869年)】が起きたのもこの期間中です。

その前後年には、全国各地で別の大地震も頻発しており富士山まで大爆発をしております。

日本列島に過去と同じ傾向があるとすれば、我々もまだまだ注意を怠ってはならない時期でしょう。

同時期の重要人物としては、桓武天皇・最澄・空海の他に平城天皇&藤原薬子(薬子の変)、宇多天皇&醍醐天皇&菅原道真などがいます。

薬子の変は、以下の記事に詳細がございますので、よろしければ一読どうぞ。

薬子の変
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まんが日本史ブギウギ36話 藤原仲成に待っていたのは残酷な最期だった

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②摂関家の確立

菅原道真の献言によって遣唐使が廃止されてから、源平の戦いが始まるまでの時期です。

遣唐使廃止が894年で、源平の戦いが【保元の乱】を起点にすると1156年。

つまり真ん中の約250年間となります。

怨霊伝説でお馴染みの平将門や、藤原純友が起こした【承平・天慶の乱】もこの期間のことです。

ただし、武士の台頭というより奈良時代の各種騒乱(藤原広嗣の乱等)にイメージは近いかもしれませんね。

なんといってもこの期間の代表は、藤原道長とその親や子供でしょう。

『紫式部日記絵巻』の藤原道長/wikipediaより引用

藤原道長が生まれたのが966年。

亡くなるのが1028年ですから、漠然と1,000年前後の人だなぁと認識しておくことが平安時代に慣れ親しむのに近道かもしれません。

この時期は、遣唐使が廃止されたことにより、日本独自の文化が熟成していく国風文化の時代でもあります。

「ひらがな」や寝殿造などが生まれ、女性を含めた壮大な文学サロンが形成。

一方で仏教の【末法思想】も広く信じられるようになりました。

一言でいえば「仏教にとっては絶望的な終わりの世界が来る」というもので、後の鎌倉仏教が生まれていった礎という見方ですね。

まぁ、スーパー貴族藤原氏(摂関家)以外は出世できない――という意味では、貴族にとっては絶望的な状況だったのかもしれません。

だからこそ「武者の世」への移行が避けられなかったのかもしれません。

前九年の役(1051年)・後三年の役(1083年)など、武士の活躍が始まったのもこの頃。

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それから平安末期の源平時代へと進んでいくのであります。

 

③院政と武士の台頭

藤原摂関家の権力が衰え、代わって院政が政治の中心に。

しかし、そこで武士をますます重用するようになると、平家が台頭。

平清盛が出現します。

月岡芳年が描いた平清盛/wikipediaより引用

この平家ノリノリの時代から鎌倉幕府までの期間が平安時代の第3期「武士の台頭」ですね。

具体的には【保元の乱(1156年)】や【平治の乱(1160年)】を機に始まり、1185年(あるいは1180年とか1192年)に鎌倉幕府が始まるまでと見ることができましょうか。

短い期間で次々に戦争が起き、かなり物騒な時代でした。

同時に、文化的な発展もありました。

京では仏教関連の建築や造像が盛んになったり、平泉では奥州藤原氏による絢爛豪華な文化が花開いたり。

また、後白河上皇の愛した「今様」や、各種軍記物語、歴史物語も盛んに作られるようになっていきます。

いわゆる『鏡物』と呼ばれるものや、古文でお馴染みの平家物語などですね。

他には、鎌倉文化として習うことが多い随筆『方丈記』には、実はこの時期の天災が数多く記録されています。

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庶民に関する記録は少ない

……とまぁ、期間が長くてやっぱりややこしいのですが、他の時代と比べてもう一つ特徴があることにお気づきでしょうか。

平安時代では、庶民の生活や文化が話題に上ることがほとんどないのです。

同じ古代でも、飛鳥時代には聖徳太子などが貧者救済に動いていたり、奈良時代には山上憶良が貧窮問答歌を作っていたりするのですが、この時代はそうした作品も目立たない。

理由はシンプル。

庶民に関する記録が乏しいから。

豪華な寝殿造のお屋敷が多々作られる一方で、地方の庶民は竪穴式住居(竪穴住居跡)に住んでいることも珍しくなかった……というのが平安時代でした。

東北地方では、室町時代まで竪穴式住居だったところもあるようですね。

例外は『土佐日記』あたりでしょうか。

半分フィクションのようなものですが、ちょこちょこ庶民やその子供などの描写があります。

もしかしたらその後の戦災・天災で庶民に関する記録が失われてしまっただけなのかもしれませんが、平安時代の話題が「政変・戦乱 or 文化」の両極端になりやすく、イメージ湧きにくいのは、そういう理由があります。

この時代を手っ取り早く慣れ親しむには、やはり大河ドラマ『光る君へ』を見るか、あるいは『あさきゆめみし』(→amazon)をはじめとした平安期の【漫画】を読むこと。

最近は菅原道真を主人公とした『応天の門』(→amazon)なども人気ですし、今年の大河をキッカケに近い時代の漫画作品が生まれてもよさそうですよね。

フィクションの切り取り方次第で、まだまだ熱い時代となりそうです。


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【参考】
国史大辞典
平安時代/wikipedia

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長月七紀

2013年から歴史ライターとして活動中。 好きな時代は平安~江戸。 「とりあえずざっくりから始めよう」がモットーのゆるライターです。 武将ジャパンでは『その日、歴史が動いた』『日本史オモシロ参考書』『信長公記』などを担当。 最近は「地味な歴史人ほど現代人の参考になるのでは?」と思いながらネタを発掘しています。

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