イギリス料理はマズイ

フィッシュアンドチップスとビール

イギリス

イギリス料理はマズイと小馬鹿にするとブーメラン~大英帝国の食文化

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イギリス料理はなぜマズイ?
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メシマズ理由を考察◆有史以来不味かったわけでもない

なぜイギリス料理はマズいのか。

ヨーロッパの歴史を紐解きますと、イギリスは有史以来食事が粗末であったわけではありません。

文明が交錯するローマ帝国領。

その西の端にあったイギリスは、その他辺境と大差ないと認識されていました。

イギリスも、フランスも、程度の差はあれ似たようなもの。

むしろシェイクスピアの生きていた頃には「イングランド人は食い道楽」とすら思われていました。

シェイクスピア劇でも有名なリチャード3世の遺骨を計測した結果、なかなかの美食家であったと判明しています。

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しかし、歴史の流れで差がついていきます。

 

◆フランスが圧倒的リードを広げたのはあの王妃のおかげ

フランス王・アンリ2世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスは、不幸な結婚生活でした。

「王妃相手ではムラムラしない。愛人に興奮させてもらってからでないと、子作りすらできない」

露骨にそういう態度をとられたのです。

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性欲という人間の欲求については、そういう諸事情があったカトリーヌ。

しかし、もう一つの欲求には絶大な貢献をしました。

それこそが食欲です。

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アイスクリームをはじめ、嫁ぎ先のイタリアから、古代ローマ以来の伝統を受けつぐ、絶品レシピ、食材、調味料を持ち込んだカトリーヌ。

そのおかげで、フランス料理は大きく進歩を遂げます。

美食大国は、この不幸な王妃によりもたらされたのです

 

◆宗教改革がグルメを分ける

カトリーヌの時代は宗教改革とも一致していました。

彼女は、あまりにも強引な手段で、フランス・プロテスタントの息の根を止めにかかりました。

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こうした宗教改革の中、プロテスタントは禁欲的な傾向を強く押し出してきます。

ザックリまとめると、次のような点です。

・キリスト教由来でない宗教的行事はやらない

・聖母子像のような、チャラい芸術と信仰心は別物です

・生活はともかくシンプルにいきましょう

・欲望に耽溺するな! うまい飯、快楽を求める性生活、そういうナメくさったものはカトリックにやらせとけ!

一言でマトメれば「飯なんてのは、食えればいいんだ!」という思想が出てきました。

食事なんて質素でいいだろう、となったのです。

前述の牛肉崇拝もチューダー朝あたりで進歩が止まった感があります。

金曜日からの肉断食が終わった日曜に、やっと食べるローストビーフ最高! そういう理由ですね。

これもフランス人からすれば、

「そこで停止か〜。肉の焼き方しか調理法を知らないイギリス人ってトレビアンですね〜」

と突っ込まれるネタになりますわな。

イギリスと一緒にするなという声があるかもしれませんが、プロテスタント国の食事はカトリック国と比べてイマイチという評価はあるものです。

カトリックから見たプロテスタント国の食文化イメージ

◆ドイツ語圏:芋とソーセージくらいにしかこだわりがないの?

◆北欧:まぁ、寒いし、プロテスタントだし……ねえ?

◆アメリカ:イギリスの元植民地……お察しください!

◆オーストラリア:お察しください!!

いや、こうした国にも美味しいものはあります!

しかし……。

以下のようにカトリック教国がこんな調子ですから強すぎだ。

◆フランス:美食とは我が国の得意とするところよ

◆イタリア:美食なら任せてくれよな!

◆スペイン:海の幸おいしいよ〜!

◆ポルトガル:うちの海の幸も豊富だ〜!

まったくもって勝負になりません。

確かにタコやイカは美味しいもので、カトリック教国では定番でも、プロテスタントではそうではありませんね。

「あんなものは悪魔の食べ物だー!」と、地理的な条件だけではなく、そんな不幸な思い込みがあったのです。

かつてイギリス海軍の軍艦には、牛が大量に積載されていました。

そんなことをするくらいなら魚を釣ったらいいだろ――なんてツッコミたくもありますが、肉でないとダメ。

士官クラスになればなるほど、そういう思い込みが強固にあったものです。

宗教改革は、食材の柔軟性を狭めてしまいました。

幕末の遣欧使節団は、イベリア半島に来て、やっと料理を楽しむことができて喜んでいたとか。

海鮮美食の宝庫だったので、幕末日本人の舌にもフィットしたんですね。。

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イギリスの魚料理代表格ですか?

まぁ、フィッシュ&チップスあたりでしょう。

 

◆王妃がもたらす味もあったのだが

宗教改革の結果は、王室の婚姻関係にも影響を与えました。

結婚条件に改宗があると、二の足を踏むということになります。

イギリスを代表する飲み物「紅茶」も、チャールズ2世に嫁いできたキャサリン・オブ・ブラガンザの祖国ポルトガルからもたらされたものです。

キャサリン・オブ・ブラガンザ/wikipediaより引用

このチャールズ2世のスチュアート朝は、二度にわたる革命(清教徒革命・名誉革命)により混沌とします。

そのあとのハノーヴァー朝は「血統的にはほぼドイツ人だ」と突っ込まれるほど。

結婚相手がプロテスタントに偏った結果です。プロテスタント国でも、ドイツが圧倒的に多くなったのでした。

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結婚によるカトリック国由来の美味たる食文化が、イギリスからなくなったのです。

 

◆大陸が近いから持ってくればそれでいい

とはいえ、美食を味わいたい本能はあるものです。

貴族や王族となれば、その願いは金で叶えられます。

そして、こういうことになります。

「それならフランスから連れてくればいいじゃない!」

江戸時代の日本ならば、わざわざ清から料理人を呼び寄せることはありませんが、そこがイギリスの強みです。

典型例が、ジョージ4世

彼の自慢は、フランスの伝説的料理人アントナン・カレームでした。

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ナポレオンや、彼の寵臣であるタレーランに、料理を振舞ってきたカレーム。

ナポレオン戦争後、だらだらと長びくウィーン会議で、諸国の代表者が退屈しのぎにしていたのが彼の料理でした。

アントナン・カレーム/wikipediaより引用

ウィーン会議は、ナポレオンに支配されていたヨーロッパを終焉へと導きました。

しかし、カレームのもたらした美味によって、食文化はフランスが支配。ヨーロッパの宮廷は、次から次へと彼の定めた料理形式を導入するに至ったのです。

そんなウィーン会議を経て、ジョージ4世がカレームを料理長にすることには、勝利のトロフィーという要素もありました。

酒についてもそうです。

「ワインがあるから、それでいい。国内の酒? 別にどうでもいいでしょ」

そういう扱いでした。

ワイン、ジン、ラム……輸入や植民地頼りが多かったものです。

今でこそイギリスを代表するウイスキーですら、

「貧しいスコットランド人やアイルランド人が、脱税のために密造し、コソコソ飲んでいるダサい酒」

という扱い。ナポレオンの「大陸封鎖令」やブランデーの原料が病気により大打撃を受けた結果、ウイスキーが注目されただけなのです。

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ある意味、偶然が重なったウイスキーは幸運でした。

しかし、料理は違います。

輸入頼りの結果、イギリス伝統料理は長いことブラッシュアップされなかったのです。

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