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アンネ・フランクは、これまで考えられていたより早く死んでいたとの説。原因は「シラミ」

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アンネ・フランクは、悲劇の人として知られています。
亡命先のオランダの屋根裏部屋に隠れ住んでいたものの、敗色濃厚となった1944年8月4日にナチスに逮捕され、ベルゲン・ベルゼン強制収容所でチフスになって翌年3月に命を落としたことは皆さんも知る所でしょう。
その死からほどなく1945年3月31日にベルゲン・ベルゼン強制収容所は解放されます。後もう少しで助かったかもしれないと言う可能性があったからこそ、悲劇を奥深くしています。

しかし、最近の研究では、アンネは姉のマルゴ・フランクともども従来考えられていたよりも1ヶ月ほど早く死んでいたのではないかとする説が出ているのだそうです。
FOX8クリーブランドが報じています(2015年4月1日付け)。

赤十字やインターナショナル・トレーディング・サービス、ベルゲン・ベルゼン記念館などに残された史料や生存者の証言などを再調査して判明したとしています。オランダ当局が定説としていた1945年3月まで生きてなかったというのが結論だそうです。

先にも書きましたが、アンネらはアムステルダムに潜伏中に逮捕されています。
他にも潜伏者がおり、合計で8人でした。ヴェステルボルク収容所に移送後、9月にはアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所に送られます。
同じ年の1944年、アンネとマルゴは母親と別れさせられ、ベルゲン・ベルゼン強制収容所に入れられます。
このキャンプは、恐怖に満ちたものだったとの証言が残っています。姉妹には光の差さない、トイレも無い僅かな水だけが与えられていました。シラミの湧いたわらをベッドにしていたということです。

アンの同級生は語ります。
「1944年12月には、彼女は骨だけになっていたわ。着ていた服はシラミだらけで着られず、毛布にくるまっていたわ」
アン姉妹の最後の日については、ロシア人の研究者はもっと踏み込んで推測しています。ベルゲン・ベルゼン強制収容所は、より悲惨な病気が蔓延していただろうと。中でも致命的な疫病であるチフスはシラミによって毎日何千人もの命を奪ってであろうとも。

そのシラミだらけの環境でいたアンたちは、生存の目撃者がいる2月7日よりも1か月も長くいきられたとは考えにくい、としているのです。
というのもチフスに罹患するとほとんど12日後には死亡しているからです。
アンとマーゴットの姉妹の死は正確な日付は不明のままですが、たしかなのはマーゴットがなくなったあともアンは生き続けたことです。

同級生は言います。
「彼女は生き残ると絶対に確信していたはずです」
そして「アンネの日記」は、世界中でもっとも有名な本としてこれからも読み続けられるのです。

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