『三国志』(横山光輝三国志含む)をワクワクしながら読んだあの日を今なお忘れられません。
応援していた蜀の人々が滅び、呉もダメで、魏すら晋によって滅ぼされてしまう、あの無念、あの悲しみ。
まさに究極のバッドエンドであり、大人になった現在でも思い出しては胸がキュッと切なくなります。
魏に引導を渡し、三国志読者を悪夢にたたき落としたのは、司馬懿(司馬懿仲達)であり、嘉平3年8月5日(251年9月7日)はその命日です。
司馬懿はなぜ魏を裏切ったのか。
彼にも相応の理由がありました。
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仮病を装い仕官を断っていた
魏の軍師として活躍した司馬懿。
しかし、彼はそもそも仕官を望んではおりませんでした。
司馬懿の父・司馬防は、後漢末期に洛陽の知事を務めました。
曹操を洛陽北部尉に推薦したのも、司馬防です。
彼の息子は八人とも大変優秀で「司馬八達」と呼ばれており、司馬懿は二男にあたります。
曹操からすれば「司馬家には私を見いだしてくれた恩義があるし、息子は優秀。是非ともスカウトしたい」といったところ。
しかし、司馬懿は「中風だから」と断ります。
「この司馬懿が最も好きな事のひとつは、自分の家に仕官して当然と思っている奴に『否』と断ってやる事だ……」
とまぁ、曹操にしてみりゃありえないわけですね。
なんせ当時の曹操は、官渡の戦い(201年)で宿敵・袁紹を打ち破り、絶好調だったのですから。
「司馬懿が病気って嘘だろ……仮病じゃないのか? いくら何でも針で突き刺したらばれるって」
曹操は病気を口実とした司馬懿を疑い、スパイに命じて就寝中の司馬懿にブスッと針を刺してみます(何を考えているんだ)。
司馬懿はあくまでシラを切り通し、病気による“関節麻痺”の演技を続けたのでした。
曹操に押し切られてしぶしぶ……
そんな司馬懿にもミスはありました。
本のカビを取るために干していたところ、雨が降ってきたので起き上がってあわてて取り込んだのです。
病気で俊敏に歩けるハズがないのに、やっちまったワケです。
しかし、その後の司馬懿の奥さんがスゴい。
妻の張春華はこの様子を目撃した女中を殺害し、口を封じたのです(この逸話に関しては創作説も)。
いずれにせよ、司馬懿をどうしても諦めきれないのが人材マニアの鬼・曹操。
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彼は208年にまたしても司馬懿を招聘し、今度は強く迫ります。
「おい、病気じゃないんだろ? 仕官するか逮捕されるか、二択だぞ」
かくして司馬懿はしぶしぶ出仕することにしたのです。
なんせ兄弟も魏に仕官しており、ヘタすりゃ一族にも害が及ぶってワケで残された道はありませんでした。
後のライバルともいえる諸葛亮の仕官とは正反対ですよね。
諸葛亮と違って主君に忠誠を尽くさないのも、仕官の過程を考えると納得できるかもしれません。
ちなみに司馬懿は、ドラマ、ゲーム、漫画では年老いた姿で描かれることが多い傾向があります。
「待てあわてるなこれは孔明の罠だ」でおなじみの横山光輝の漫画もそうです。
しかし実際は、曹操の家臣の中では若手、第二世代です。
実はこれまた漫画やゲームでは若々しい荀彧よりも16才年下。仕官してもなかなか活躍の機会はなく、数年間はおとなしくしています。
かなりの遅咲き男でした。
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