皐月(さつき)の雨に袖(そで)絞る、建久(けんきゅう)四年初夏の頃。
暗夜豪雨をついて、十郎五郎二閃(にせん)の剣が舞う!
皆様はじめまして。幻冬舎より発売された『曽我兄弟より熱を込めて』の著者・坂口螢火です。
歌舞伎に、講談に、八百年もの間語り継がれてきた「日本三大仇討ち」の一つ「曽我事件」――曽我兄弟の仇討ち。
兄は曽我十郎、弟は五郎。
この二人が引き起こした「曽我事件」の全貌を紹介します。
ふたご座の曽我兄弟
事件を語る前に、ぜひ知っておきたいのが、この兄弟の関係です。
日本では古来、ふたご座は「曽我兄弟の星」と呼ばれていました。
曽我兄弟は仇討ちの主人公としても有名ですが、彼らの名を不朽のものにしたのは「日本一仲が良い」と言われた兄弟愛にあります。
幼いころから片時も離れず、長じてからは「死なば一所に」と誓い合う二人仲。
その言葉通りに散った後、人々はふたご座の二つ並んだ一等星を「曽我兄弟の星」と呼んだのです。
兄弟の十八年の恨み
建久四年五月二十八日。深夜、しのつく雨。
「曽我事件」は、兄弟のこのセリフから始まります。
「いざ討ち入ったなら、もはやお互いに顔を見る機会はあるまい。こちらを向け、五郎。見飽きぬその顔を見せてくれ」
「兄者人(あにじゃびと)、この世で兄とお見上げするのも、これが限りか。ああ、よく見せてくれ」
互いに肩を抱き、つくづくと互いの顔を見詰め合うことしばし。やがて、二人は並んで歩きだします。
向かうは仇、工藤祐経(すけつね)の屋形です。
曽我十郎と弟五郎、この二人が仇討ちを志したのは、十八年前に祐経によって父を殺され、あげく領土をすべて奪われるという憂き目に遭ったためでした。
さらに、二人に追い打ちをかけたのは時の将軍・源頼朝です。
頼朝は兄弟の祖父、伊東祐親(すけちか)に恨みがあり、その腹いせに
「奉公することはおろか、公的な場に出ることもまかりならん」
と、二人がどこかに仕えることも、財産を持つことすら許さなかったのです。
この時代、仇討ちは禁止されていました。
もしこの掟を破れば必ず死罪となり、無惨にも斬首――ですが、曽我兄弟の決意は鉄石のごとし。
「二人で宿願を果たそう。死ぬ時は一所にて屍(しかばね)をさらすべし。不幸にして仇を討ち漏らした時は、死霊にも悪霊にもなって狙えばよい」
二人手を取り合って誓い合い、今宵この場に来たのでした。
所は富士の裾野。このとき富士の裾野では将軍による大がかりな狩りが行われており、数万人の武士どもが参加していたのです。その中には工藤祐経も……。
皆が寝静まった深夜、折から降り出した雨を天の与えと、兄弟は闇に紛れて祐経の宿へと向かいます。
祐経惨殺!続いて曽我の十番斬り!
二人松明振りかざし、やがて忍び込んだる祐経の屋形。
白刃、頭(こうべ)に下らんとするも知らず、仇祐経は無明の酒に酔いしれて高いびき。
「寝た者を斬るは卑怯。起こすぞ」
十郎が祐経の枕を蹴り飛ばし、抜き払って大音声。
「起きよ、祐経!曽我の兄弟、ここに見参!」
跳ね起きざまに太刀を取った祐経に、横に薙ぎ払ったる一刀!
続いて五郎も「憎さも憎し。思い知れや!」と袈裟がけに斬り下げる!
たまぎる悲鳴を残し、工藤祐経の命運はここに尽きたのでした。
……かくして、仇はついに討ち取りましたが、兄弟の命が終わる時も近づいています。
仇討ちをしたからには、すでに罪人。このまま捕まるよりは、潔く戦って死ぬと決めていました。
そこで外へと駆け出し、大声に、
「皆々聞きたまえ! 曽我十郎祐成(すけなり)、同じく五郎時宗(ときむね)、親の仇、工藤祐経を討ってここにまかり出るなり。我と思わん者は、我らが首を取って名を挙げよや!」
屋形屋形に響き渡る、高らかな名乗り。我こそ手柄を上げんと、駆け出してくる侍たち。
「すわこそ夜討ち!」
「いかなる愚か者が狼藉をいたしたか!」
兄弟はそれを相手に、斬って斬って斬りまくる。ここを先途(せんど)と決めているから、その働きは凄まじい。
兄と弟が背中合わせとなって、またたく間に十人を斬ってしまった。
これを俗に「曽我の十番斬り」と申します。
十郎の討ち死に、五郎の尋問
勇ましく戦う兄弟たちでしたが、その身は鉄石ではありません。
ついに十郎は討ち死に。五郎は兄の死に狂ったように殺気立ち、全身血まみれになりつつ、頼朝の陣屋に躍り込んだところを取り押さえられました。
五郎は翌朝、縛り上げられて頼朝の前に引き出されます。
何しろ、将軍の御座所にまで刀を振り上げ躍り込んだのですから、将軍の怒りは一通りでない。即、「斬ってしまえ」と言わぬばかり。
ですが、とうに死を覚悟した五郎、まったく怖気(おじけ)づく様子もありません。
「この数年、ありとあらゆる場所で祐経を付け狙っておりました。首討たれるは覚悟のうえで推参(すいさん)つかまつったのです。望みさえ果たした上は、いかなる咎めを受けようと、いささかも恐れるものではございません。この上は、ただ速やかに首をはねたまえ!」
頼朝を真正面から睨み据えて、堂々たる申し開き。
この態度に頼朝も胸を打たれて、「この男は殺すには惜しい」と、命を救って召し使おうとしましたが、五郎は頑として「一時も早く殺してほしい」と死を願ってやみません。
「兄者人が五郎を待っている。こうして一時も長く生かされていることこそ辛い……」
こう言い残して、曽我五郎はカラカラと高笑いしたまま首を打たれたといいます。
享年、二十歳。兄十郎は二十二歳という若さでした。
曽我兄弟の生涯をまとめた一冊「曽我兄弟より熱を込めて」
以上が「曽我事件」、建久四年五月二十八日から、翌二十九日までの出来事。
本書では、曽我兄弟の悲惨な生い立ちまでさかのぼり、仇討ちにかけた十八年間を描いています。
幾度も失敗を繰り返した仇討ちの様子、そして陰ながら曽我兄弟に手を差し伸べた畠山重忠(はたけやましげただ)、和田義盛(わだよりもり)など、名だたる武将たちの活躍。
日本でもっとも名高い仇討ち、もっとも熱い兄弟愛、「曽我兄弟」を知る上で、拙書「曽我兄弟より熱を込めて」を参考にしていただけましたら、幸甚でございます。
著:坂口螢火
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