寛和元年(985年)、藤原道長は打毱を見ていたまひろのことを思い出しています。
まひろも、颯爽と馬を操り杖を振るっていた道長の姿を頭に浮かべながら決意を固めます。
もう、あの人への思いは断ち切れたのだから――。
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心の中は己だけのもの
前回、雨の中を放り出されてしまった源倫子の愛猫・小麻呂は無事に姫君サロンにいました! よかったよかった。
姫君サロンは打毱の話題で持ちきり。
まひろは風邪気味で、打毱で雨に打たれたからだと赤染衛門が心配していますが、彼女が乗り気でないのは、風邪のせいだけではないようでして。
姫君たちは公任推しか、道長推しか、斉信推しか、それぞれ盛り上がっています。
なんでも公任はおとなしかったとか。これが彼らしいところで、当人たちは公任の策によって勝ったと振り返っています。派手さのない知将タイプのようです。
おっとりしている倫子は、道長に心を掴まれたようで、どこかポーッとしています。
そんな中、赤染衛門はちょっと違う。道長の弟が、猛々しく美しいとコメントしている。
姫君たちが「人妻なのにいいのか」とざわついています。
彼女たちにも処世術はあります。直秀のような身分の低い男と結ばれても先はないし、そんな男とどこか遠くへ逃げるような度胸もないから、あえて見落とすようにしたのかもしれませんよ。
赤染衛門は、むしろ人妻だからこそ純粋に男の魅力を見つめた。
人妻であろうとも、心の中は己だけのもの、そういう自在さがあればこそ、生き生きとしていられる。そう言い切りました!
いいですね。まるで推し活を語る令和にもビシビシと響く言葉です。
しかし、まひろは聞いてしまった……男どものゲスなロッカールームトークを。
もしも男どもがそのことを知ったら、藤原斉信は取り繕うとするけれども、公任は開き直りそうな気もします。
それでも公任は間違ってはいないと思います。
愛だの恋だの言ってみたところで、身分の低い女を相手にしようとすれば、周囲がゴタゴタ言います。なまじ情けをかけて苦しめるより、最初から選ばないことも慈悲なのでは?
そんな公任の見解に間違いはないとも思えます。理できっちり割り切っていますから。
その代わり、一度情をかけたら捨てずに面倒は見るかもしれない。
光源氏はなかなかサイテーな男ではありますが、彼もいったん情をかけた相手は捨てませんからね。そういうタイプかもしれませんよ。
公任みたいなタイプって、情を軽視しすぎていますからね。ものごとをスムーズに進めるうえで、歯車に引っかかる砂粒程度にしか思っていない。
しかし、いざ情を抱いてしまうと混乱して爆発したり、奇行にはしりがちなので、そこを楽しみにしておきましょう。
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直秀は“兄上”の屋敷が知りたい
F4たちは右大臣・藤原兼家の邸宅である東三条にいます。
藤原行成の急病により、道長の弟と知り合えたと盛り上がるのは斉信と公任。
行成は体を使うのが苦手だから、いなかったことがよかったのかも、と謙遜しています。いつも控えめですね。
直秀がこれみよがしに「兄上〜」と甘えながら、身分の低い母親の子なのでこのようなお屋敷は初めてとか言っている。続けざまに中を拝見したいと言い出すと、案内してもらえと周囲は無邪気に盛り上がっています。
公任は直秀がやっと笑ったことに喜んでいます。しかし、道長にはどうしても気になることがあるようでして。
道長と二人きりになっても、直秀は「兄上」と呼びかけます。もう二人きりだと困惑しながらも、なぜ案内して欲しいのかと訝しがっています。
今日の直秀は別人みたいだと突っ込むと、芸人は何にだって化けると直秀がサラリと言ってのける。
道長は苦笑して受け応えつつ、左腕の“傷”を問いただします。
散楽の稽古でできた傷だとシラを切る直秀。
矢傷に見えると粘る道長。
小枝が刺さったと誤魔化しながら、東宮様の御座所はどこかと言い出す直秀がふてぶてしい。
「藤原を嘲笑いながら興味を持つ直秀とは何なのか」と問いかける道長に対し、「よく知ればより嘲笑える」とそれっぽく開き直る直秀。
疑いつつ探る道長もなかなかのものですが、敢えて敵の中に飛び込む直秀も大したものです。緊張感が高まります。
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都の中にいるなんて、籠の中の鳥だ
散楽の稽古を見ながら、まひろは直秀がなぜ打毱に出たのか尋ねています。
頼まれたからだとそっけなく返しながら、まひろを気遣う直秀。彼は、まひろがロッカールームから走り去る後ろ姿を見ていました。
「別にどうでもいいけど」
そっけなく返すまひろに対し、同じくそっけない直秀は、どうやら間もなく都を去るとか。
まひろが驚くと、人はいつかは別れるさだめ、嘆くことはないと淡々と答える直秀。そのうえで、こう言います。
「都の外は面白い」
「直秀は都の外を知っているの?」
なんでも丹後、播磨、筑紫にいたことがあるとか。
「都の外はどんなところ?」
「海がある」
「海? 見たことないわ」
「海の向こうには彼の国がある」
晴れた日には彼の国の陸地が見えると続ける直秀。彼の国とは「唐」(から・中国大陸)と「高麗」(こま・朝鮮半島)のこと。おそらく対馬でも見たのでしょう。
直秀はなおも続けます。
海には漁師がいる。山には木こりがいる。彼の国と商いする商人もいる。
都のお偉方はふんぞりかえっているが、所詮、都は山に囲まれた鳥籠。そんな鳥籠から出て山を越え、海のあるところへ行くと直秀は語るのです。
「一緒に行くか?」
「行っちゃおうかな」
「ふふっ、行かねえよな」
まひろの目は生き生きとしていて、行きたそうに見えます。
直秀への恋心というよりも、純粋な好奇心からでしょうか。この会話も後の伏線になりそうです。
当時、都の人にとって、そこから離れることは絶望的とされました。確かに出世レースから脱落してしまう。それでも、案外、気分転換になったのかもしれません。
日本中世史を考える上でも重要に思えます。
『源氏物語』で描かれるような世界は、ほんの一握りのもの。それ以外では、名もなき大勢の庶民が、生きては死に、歴史の中に消えてゆきました。
そんな消えた姿を想像させてくれる、直秀のような人物は重要でしょう。
こういう役割の人物を「オリキャラ」だのなんだの貶す意見もありますが、正史に対する庶民目線の稗史(はいし)も重要なはず。
本作は近代が舞台ではないけれど、歴史総合目線もある。
日本はずっと隣国と交易し、影響を互いに与え合ってこそ、成立してきました。
先日、驚いたことがあります。昆布とはアイヌ語ルーツだと初めて知った人が、激怒して日本伝統だと主張していたのです。
昆布は蝦夷との交易品であり、そのことをむしろ昔の人は自慢していました。
なぜなら交易するには権力が必要だったから。古来からアイヌルーツのものを取り入れていることは実際にありますし、それで純粋性が落ちることなどありえません。
海の中にある日本という国――その歴史を考える意義が、このドラマにはちゃんとあります。とても勉強になる作品です。
前にも書きましたが、本作は中国語圏でも注目を集めています。
漢詩の引用が多いことに注目されていますし、宮廷劇らしい要素もふんだんにある。
今年の大河は日本国内向けのみならず、世界を狙えるアジア代表枠として認識できると思います。
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