大河ドラマ『光る君へ』の最終回になって、突然、登場した菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。
劇中では「ちぐさ」という名前でまひろの家を訪れ『源氏物語』の素晴らしさを凄まじい熱量で語っていました。
あの姿を見て、皆さんはどう思われたでしょう?
『更級日記』の作者として知られる菅原孝標女は、日本の元祖“オタク”ともされます。
何のオタクか?というと他ならぬ『源氏物語』であり、尋常ならざる執念でどうにか物語を入手すると、その後は宮仕えしながら現実との差に直面し「生々しい本音」を現代にまで残してくれました。
それは一体どんなものだったのか?
当時の筆頭ファンである菅原孝標女の生涯を『更級日記』を元に振り返ってみましょう。
なお、菅原孝標女は本名が不明であり、ドラマに準拠して「ちぐさ」と表記しますことをご理解ください。
お好きな項目に飛べる目次
作中最後の女性文人
『源氏物語』の作者を主人公にした『光る君へ』には、多くの女性文人が登場しました。
『源氏物語』にも影響を与えたとされる『蜻蛉日記』の作者・藤原道綱母(寧子)や、藤原伊周や藤原隆家の母である高階貴子など、主人公より上の世代がいれば、まひろの娘である賢子(大弐三位)や和泉式部の娘である小式部内侍などの下の世代もいる。
しかし女性文人による物語文化華やかなりし時代は、やはり清少納言や紫式部の目にした一条天皇の御代でした。
寛弘五年(1008年)生まれとされるちぐさは彼女たちの後の時代であり、女房としてもそこまで目立ってはおりません。
ちぐさの死後、藤原定家がおよそ170年ぶりに日記を偶然発見し、写し伝えた『更級日記』が思わぬ人気を博し、死後に名声が高まったのです。
『浜松中納言物語』や『夜半の寝覚』も、ちぐさが書いたのではないかとされていますが、文人としての評価は、先輩たちには及ばないかもしれません。
しかし、共感を呼ぶ点ではずば抜けていて、時代を超えて等身大の姿を見せてきます。
彼女の残した『更級日記』はそれほど支持された作品でした。
文人一族、中級貴族の娘として生まれ、田舎で育つ
ちぐさの一族は、学者を多く輩出する文人家系。
先祖にはあの菅原道真がいます。
学問の神様とされるほど優秀であった道真は、ある意味、平安時代のターニングポイントとも言える。
律令国家として唐を参考にした日本は、科挙のある唐のように、当初は実力による出世ができました。
その最大にして最後の出世頭が菅原道真だったのです。
しかし、道真は低い身分で出世を遂げたせいもあって悲運の一生を終えることになり、以降、貴族の出世は血縁が重視され、身分が固定化されてゆきました。
ちぐさの父はこの菅原道真の玄孫にあたる藤原孝標です。
母は藤原倫寧の娘であり、異母姉に藤原道綱母がいました。
ちぐさが生まれたのは『源氏物語』が執筆開始された頃と重なります。
紫式部や清少納言は40歳以上も歳上であり、『光る君へ』に登場する女性文人では最も若い。ゆえにドラマでも最後の最後になって、インパクトのある登場となりました。
彼女は、父が上総介として赴任した上総国で幼少期を過ごしています。
これがステータスとしてはどういうことか、彼女の愛読書である『源氏物語』を読めば理解できます。
光源氏に愛され、後に中宮となる姫の母となった女君が明石の君。
容姿端麗で才気に溢れた女君でありながら、生まれ育った場所が都でなかったことが彼女の劣等感として残り続けました。
この点でちぐさも、生涯消えぬ劣等感があっても無理からぬところです。その語り口は謙虚で、控えめな性格に思えます。
『源氏物語』がどうしても読みたい!
そんな内向的で控えめな少女にも、没入する情熱はあります。
ある日ちぐさは、気になる会話を耳にしました。
実母は父と上総へ赴くことを拒んだものの、別の妻である上総大輔と共に向かいました。この才気あふれる継母と姉が盛り上がっています。
「源氏の君みたいな男君と、かりそめでいいから情けを交わしたいなぁ〜」
「うん、でもね、紫の上がかわいそう。最後はせめて御出家を許すべきでしょ」
「そうね〜。いくらイケメンで素晴らしい方といってもそこはどうかって思うよね」
こんなところでしょうか。
それに聞き耳を立てた彼女が何の話か?と尋ねると、『源氏物語』というとても面白い物語の話だと知り、もっともっと聞かせて欲しいと迫ります。
「いや、でも、前に読んだきりだし」
「暗記しているわけじゃないんだよね……」
「ええーっ! そんなぁ、気になるよぉ〜!」
既に心を掴まれたちぐさは、どうすれば物語を読めるか、頭の中はそれ一色となります。
神様仏様、どうか私に『源氏物語』を読ませてください――等身大の仏像を彫らせ、それに向かって毎日拝むほど。
しかし悲しいかな、彼女のいる場所は上総(現在の千葉県)であり、都の書物などまず入手できません。
現代人にも理解できる、彼女が物語を欲しがる心境。
ただしどうしても現代とは異なる点があります。
『光る君へ』では、『源氏物語』執筆の背後には藤原道長がいたという説に沿ってプロットが進んでゆきます。
紫式部程度の資産では、長編物語を執筆するほどの紙が入手できたとは考えにくいことが論拠にあります。
当時は紙が高く、かつ印刷がないため、筆写することが基本。
清少納言が紙を手にしたことを執筆動機としてあげている背景にも、こうした事情がありました。
大量の紙を入手し書くことの重要性が、背景にあるのです。
嗚呼、そうはいっても、ちぐさの情熱は止まりません。等身大の仏像の前で拝み、どうかどうか、物語が読めるようにと、祈る日々。
ああ、読みたい、どうしても読みたい!
そう悩み悶えるばかりで、毎日毎日、全巻読破できるように祈る。
夢の中で物語に夢中になっていないで仏道に励むように言われても、どうにもやめられなかったことが日記には書かれているのです。
※続きは【次のページへ】をclick!