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【菅原孝標女】
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妄想vs現実は千年前から埋まらない
「でも、私だって、年頃になったらきっと綺麗になる! そしてイケメン男君とロマンチックな時を過ごすの〜〜〜ッ!」
青春あるあるですね。
50を過ぎてから書いた『更級日記』では、恥ずかしい思い込みだったと自ら突っ込みを入れております。
では、ちぐさの現実はどうであったか?
彼女には忘れられない思い出がありました。
18才のころ、偶然出会った美男子とロマンチックな歌を詠み交わす程度の経験はあったのです。
言い換えればその程度のプラトニックな思い出しかない。それが青春の1ページ。素晴らしい姉に、最高の読書体験があるのだから、それはそれでよいのではないでしょうか。
ちぐさの境遇は『源氏物語』の女君たちよりも、むしろ作者である紫式部自身に似ています。
ちぐさの父も藤原為時のように、運が良ければ地方の国司になるか、無官であるかを繰り返していました。
学問ができることを誇りとしつつも、堅物すぎて空気を読めず、周りから失笑されるようなこともあったそうです。これも為時に似ていますね。
ちぐさが25才、父が60才の時、父は常陸国へ任命されました。このとき、ちぐさは同行しません。
そして4年後、任期が切れると父はもう宮仕えはしないと引退宣言をします。
清少納言の父・清原元輔は生涯現役、かなりの年齢になっても国司を務めたもの。しかしそんなことができるのはよほどタフでないと厳しいのでしょう。
母もこのとき在宅出家してしまいました。要するに、同じ家にいても一切俗事に関せずということになります。
亡き姉が残した子とともに、半ば世捨て人となった両親と生きるちぐさは気づけば32才、独身。
資産もさしてない。
収入もない。
夫もない。
夫と結婚できるあてもない。
ここで『光る君へ』を見ていた人ならば、こう言いたくなることでしょう。
「暮らしはこれからどうするの?」
それは当時も同じです。ここで宮仕えというルートを辿ることになります。
主君は後朱雀天皇第三皇女・佑子内親王
出仕したちぐさの主君はまだわずか2才の佑子内親王でした。
後朱雀天皇の第三皇女です。
彼女の父である後朱雀天皇は、一条天皇と藤原彰子の二男であり、『光る君へ』では敦良親王として出てきました。
彼女の母である藤原嫄子(げんし/もとこ)は、藤原頼通の養女。
頼通の父である道長と妻の倫子は多くの子女に恵まれました。道長の躍進は子が多いことも大きな要因としてあります。
しかしその幸運が延々と続く保証はありません。
頼通の時代ともなると、養女をとることで外戚政治を続けていく道もありました。
そんな政治により生まれた第三皇女が佑子内親王です。父母ともに先祖をたどれば藤原道長に辿り着くというわけです。
あの陽キャでパリピ気質の清少納言ですら、初出仕ではガチガチでした。
陰キャの紫式部は、出仕直後、家に引きこもってしまいます。
ちぐさも当然のことながら、気後れしてしまいます。
物語に熱中していた世間知らずのマイペースな彼女。精神的な頼りといえば、神仏のお告げくらいのものです。サロンの空気に圧倒されカチコチになってしまうのでした。
かといって、里に戻ればすっかり年老いた両親がいる。姉の忘れ形見のためにも給与は必要です。
かくして、キラキラしているどころか憂鬱なオフィスライフをちぐさは送ることになります。
確かに、ちぐさと似たような階級から、皇子の乳母にまで大出世を果たした紫式部の娘・藤原賢子もおりますが、現実はそうはなりませんでした。
妥協の結婚
出仕の翌年、長久元年(1040年)頃のこと。ちぐさもやっと結婚しました。
しかしどういうわけか、日記には夫・橘俊通についての記載があまりない。
夢に見た光源氏や薫と比べて、現実に失望したのかもしれませんが、なんとも悲しい話ではあります。
父と同じ受領階級。6才上で既に他の妻妾もおり、恋愛感情はない。物語について語れたらよいだろうけれども、それもできないのです。
それでも二人の間には一男二女が生まれました。
彼は『源氏物語』だったらせいぜい引き立て役でしょう。といっても、ちぐさだってそうなのですが。
あとは家庭の雑事に追われる平凡な主婦の生活になった――そう淡々と回想される日々となります。
姉妹と語らい、推し活にかまけ、妄想の日々を送った少女時代。
それからフラフラできなくなっての出仕。
妥協で結婚したけれど、なんだか冴えない毎日……平安後期なのに、なんと既視感のある人生でしょうか。
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