菅原孝標

千葉県市原市に立つ菅原孝標の像/wikipediaより引用

飛鳥・奈良・平安 光る君へ

菅原孝標女(ちぐさ)を『光る君へ』に出さなければならない理由 推し活オタクは幸せ也

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二度目の出仕で、リアル光源氏と束の間の遭遇

そんな彼女にも、姉の忘形見である姪がまたも出仕の機会をもたらします。姪の後見を務めるために出仕することとなったのです。

幼かった佑子内親王も、今はあの藤壺の主。

そうです、『源氏物語』読者ならば憧れてやまない聖地そのものです。

光源氏の心を魅了してやまない藤壺の宮の居場所にして、紫式部の職場でした。

そんな物語の聖地としてだけでなく、秀逸な歌人が出入りする華やかなサロンでもあり、百人一首に選ばれた祐子内親王家紀伊もここに仕えています。

となると風流な貴公子も立ち寄る。

もはや色めいた逢瀬がなくとも、語り合うことができる。それが平安貴族です。

そんな忘れられないプラトニックラブが、ちぐさに訪れます。

ある時雨の夜のこと――女房同士おしゃべりをしていていると、廊下を歩く誰かの足音。涼やかな貴公子の声音が聞こえてくる。

彼は月の下では顔がはっきり見えてしまうからと、御簾越しに語り合います。

画像はイメージです(『紫式部日記絵巻』/wikipediaより引用)

話題は、春と秋、どちらが優れているか。『源氏物語』でもおなじみの「春秋優越論」です。

貴公子はここでちぐさが詠みあげた和歌を賞賛し、春の夜を迎えるたびにこのことを思い出すと語ります。

嗚呼、一度きりとはいえ、リアル光源氏と言葉を交わしてしまった――そう感激するちぐさ。

そしてその一年後、管弦の会の帰り道、貴公子は足を止め、時雨のたびにあなたを思い出していたと語りかけるのでした。

それきりで、再会することもなく、終わってしまいます。

貴公子の正体は源資通(すけみち)でした。

管弦に秀で、歌を愛した源資通の麗しい姿は、ちぐさの胸に永遠にとどまり、『更級日記』を通して今も私たちの前に甦ります。

繰り返しますが、『更級日記』に夫のことはあまり出てきません。

連れ添った夫よりも、推しの具現化の方が印象に残ってしまう。そんなオタク心理のリアルがそこにはあるのです。

 


平凡な、されど輝きもあった人生を振り返って

二度目の出仕のあと、ちぐさの興味関心は移ってゆきます。

今も昔も熟年女子の興味関心といえば旅。

現在も、日本各地に、女人が仏事に励んだと伝えられる寺社が残されています。

昔の女性は信心深かったのか?

そうでもあり、それだけでもありません。日々の家事から解放されて、女友達とおしゃべりに励む旅はいつの時代も楽しいもの。

赤裸々にそんな本音を言えない時代は「仏事です」と名目をつけたのです。

少女時代の初々しい旅路とは異なるようで、女友達と枕を並べ、月を見て語る旅は楽しいものでした。

オタクらしく、宇治に旅したときは、『源氏物語』の舞台だと胸を躍らせるちぐさです。

そのあと夫は任地である信濃に向かい、息子の仲俊がついていきました。

しかし晴れやかに見送ったのに、康平元年(1058年)、夫は任地で亡くなってしまいます。喪服で付き添う我が子をみて世の儚さを知るちぐさ。

彼女が50を過ぎてから記した『更級日記』――そこで冷静に人生を振り返っています。

物語、物語、物語……そんなことにうつつを抜かして夢ばかりを見ていたけれど、現実を見るべきだった。平凡でしょうもない人生だった。

そう月をみながらしみじみと、人生を振り返るところで終わります。

 


彼女の人生は素敵だった

現実を見るべきだった――そう嘆いたちぐさですが、果たしてそうでしょうか?

大好きな物語を全巻コンプリートする。

物語の舞台である聖地に出仕する。

物語から抜け出てきたような貴公子と、歌を詠み合う。

十分充実していたのではありませんか?

本人だってこう記していたはずです。

「大好きな物語を読めるなんて、后になるよりも幸せ!」

何かに夢中になったときの輝きを、彼女は理解していたのです。それで十分幸せではないでしょうか。

画像はイメージです(『源氏物語絵巻』より/wikipediaより引用)

170年後、藤原定家が書き写した『更級日記』は、男性貴族の残した日記よりも普及し読み継がれることになります。

辛辣さのない素直な記述は愛されました。それだけ流行していたからこそ、前述したように、日記に登場する藤原行成の娘の浮世絵が描かれたのでしょう。

そして『光る君へ』に出る理由も『更級日記』を読めばわかります。

こんな熱心な『源氏物語』ファンはそうそういない。

どう読み、受け止めたか、ちぐさの反応を抜きにしては終われない。

今まで連綿と続いていく、物語を愛することの熱さ。そして書くことの素晴らしさを伝えてくれるのがちぐさなのです。

書いたからこそ、彼女の人生が残りました。これもひとつの奇跡なのです。

女性が書くことの素晴らしさを伝えてきた『光る君へ』。その最後のバトンを引き継いで、ちぐさはこのドラマに幕を引くのでした。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
『更級日記』

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