安芸国虎

安芸城

長宗我部家

長宗我部に滅ぼされた四国の戦国武将・安芸国虎~今も領民に愛されて

こちらは4ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
安芸国虎
をクリックお願いします。

 

浄貞寺に国虎、越前守、石見守らの墓と「袂杉」

重臣の有沢石見守ありさわいわみのかみは、安芸国虎さんの介錯を務め上げた後、主君を追って自害。

一方、黒岩越前守は主君の正室を一条家に送り返した後に、その才覚を評価されて長宗我部元親から仕官の誘いを受けたといいます。

しかし、忠義の男・黒岩越前守はその誘いを拒否して、8月18日、主君の供養を済ませた後に殉死しました。

安芸国虎さんのお墓は、最期の地である浄貞寺に建てられており、殉死した二人の忠臣のお墓も主君のお墓を守るように今も並んでいます。

安芸国虎の墓

有沢石見守の墓

黒岩越前守の墓

なお、安芸国虎さんのお墓の背後には「袂杉たもとすぎ」と呼ばれる大杉が立っています。

この逸話が、また泣けるんですよ。

実は、この袂杉を植えたのは安芸国虎さんの正室。無事、一条家の中村御所に送り届けられたのですが、後に亡き夫のお墓を訪れて植えたと伝えられているんです。

初代の袂杉は残念ながら、大正9年(1920年)の台風で倒れてしまったそうで、今は2代目がお墓を見守っています。

浄貞寺と安芸の町(右側の大杉が「袂杉」)

お墓の奥の石段を登ったところには、安芸国虎さんや殉死した有沢石見守や黒岩越前守、安芸家の祖とされる蘇我赤兄などを祀った「安藝神社」が建立されています。

大正2年(1913年)、安芸家にゆかりのある有志の方々によって建てられたものです。

安藝神社

 

長宗我部は滅び、後任は山内家

長宗我部元親はその後、安芸城に弟の香宗我部親泰を入れて「安喜」と改名し、阿波国に攻め込むための拠点としました。

四国を統一しても豊臣秀吉との対立から領地を減らされ、さらには長男の長宗我部信親が戸次川の戦いで戦死し、元親は失意の内に亡くなります。

それが慶長4年(1599年)のこと。

跡を継いだ四男・長宗我部盛親ちょうそかべもりちかは西軍に付いてしまい、同家は改易となってしまいました。

替わりに土佐国へ入ったのが大河ドラマ『功名が辻』(→amazon)でもお馴染みの山内一豊やまうちかずとよです。

一豊は安喜城に重臣の後藤為重ごとうためしげを入城させています。ドラマでは小倉久寛さんが演じてましたね。

ちなみに主役の山内一豊は上川隆也さん、正室の千代ちよは仲間由紀恵さん、後藤為重の兄・後藤吉兵衛ごとうきちべえは武田鉄矢さんでしたね。懐かしい!!

※『功名が辻』はアマゾンプライムから見れますね!(NHKオンデマンドで有料)

その後、安喜城は元和元年(1615年)の「一国一城令」を受けて“お城”としてキープできなくなってしまいました。

「安喜土居」と改称して、明治時代まで後藤家の拠点となっています。

城内には明治20〜30年に後藤家が建てた屋敷が残されていて、安芸市の文化財に指定されました。

城下町は、現存の武家屋敷をはじめ、江戸時代の雰囲気がしっかりと残っています。現在は「土居廓中どいかちゅう」と呼ばれ、国の『重要伝統的建造物群 保存地区』に選定。

後藤家安芸屋敷

土居廓中・武家屋敷

土居廓中・生垣

また、安芸市は岩崎弥太郎の出身地です。

生家が現存し、生家前には銅像が建てられていますので併せてどうぞ!

岩崎弥太郎生家/photoACより

岩崎弥太郎の像

 

息子・千寿丸の後日談

阿波国に逃れた安芸千寿丸は、阿波国の大名・三好家の家臣である矢野備後守やのびんごのかみのもとで養育されます。

その後、板西城ばんざいじょう(徳島県板野町)の城主である赤沢(信濃守しなののかみ宗伝そうでんを頼って元服し「安芸(飛騨守ひだのかみ重宗しげむね」と名乗ったといいます。

ところが、天正10年(1582年)に板西城はある大名に攻められて落城。

お世話になった養父の赤沢宗伝も討ち死にしました。

この攻め手の大名というのが長宗我部元親です。何という因縁……!

安芸重宗は武士に嫌気が差したのか。

現在の板野町犬伏というところに住み着き、土地を開墾して農家を始めたそうです。

名前も「彦兵衛」に変えた後、さらに「二十太夫弘恒にじゅうだゆうひろつね」に改め、寛永14年(1637年)に亡くなったといいます。

この伝承がどこまで真実かは分かりませんが、徳島県は「安芸」姓が多い都道府県です。

特に板野町には「安芸」の名字が多く、安芸重宗が住み着いたという犬伏の畑に立っている五輪塔は、現地の安芸家の方々が安芸重宗の墓と語り伝えているそうです。

 

もしかしてアンジェラ・アキさんは???

最後に!

「もしかして…?」のお話を1つ。

“徳島県板野町”で“安芸”というと、ほら、アノ有名アーティストがいるではありませんか!

そう!「アンジェラ・アキ」さんです!

本名は「安藝聖世美あききよみ」さんなのですが、もしかしてアンジェラ・アキさんは、安芸国虎さんの末裔かも???

安芸千寿丸が阿波国に逃れたのは13歳って説もあるようで、そうすると、赤沢宗伝の許で元服をして安芸重宗と名乗ったのは15歳だったかもしれません。

となると、アンジェラ・アキさんの代表曲の『手紙~拝啓十五の君へ~』は、元服を迎えたものの父の安芸国虎さんを失って悩み苦しむ安芸重宗へ宛てた曲なのかもしれない!!!!(絶対違う)

 

えっと、以上です。

今回も熱くなり、長文になってしまいました(笑)。

お付き合いいただき、ありがとうございます。

次回もお楽しみに!

あわせて読みたい関連記事

長宗我部元親
長宗我部元親は戦乱の四国をどう統一した?失意に終わった61年の生涯

続きを見る

土佐一条家
戦国大名に転身した名門貴族~土佐一条家はなぜ四国に下向した?

続きを見る

大友宗麟(大友義鎮)
戦国九州の王者か非道の暗君か?大友宗麟(義鎮)58年の生涯まとめ

続きを見る

大島雲八
93才まで最前線にいた驚異の戦国武将・大島雲八(光義)は弓で出世

続きを見る

紀州征伐と太田左近
雑賀衆や太田左近の矜持~紀州征伐を強行する信長と秀吉に徹底抗戦だ

続きを見る

木曽義昌
武田を裏切った木曽義昌の生き残り策~信濃にはもう一人「表裏比興の者」がいた

続きを見る

豊島泰経・石神井城の石碑
戦国時代の坂東武者・豊島泰経! 道灌と戦い負け続けた執念が熱い

続きを見る

文:れきしクン(長谷川ヨシテル)

◆れきしクンって?

れきしクン(おんな城主直虎出演)

元お笑い芸人。解散後は歴史タレント・作家として数々の番組やイベントで活躍している。

作家名は長谷川ヨシテルとして柏書房やベストセラーズから書籍を販売中。

【著書一覧】
『あの方を斬ったの…それがしです』(→amazon
『ポンコツ武将列伝』(→amazon
『ヘッポコ征夷大将軍』(→amazon

◆Youtubeも絶賛放映中「それいけ!れきしクンTV」

TOPページへ

 



-長宗我部家
-

×