麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第16回 感想あらすじ視聴率「大きな国」

2020/05/04

弘治元年(1555年) ――。

斎藤道三は我が子二人を失いました。嫡男・斎藤高政によって殺されたのです。

「許さん!」

そのまま道三は、稲葉山城をでて大桑城に向かった。国を二分する戦の前触れであった――。

 


私を尾張へ行かせてください

緊迫する美濃情勢が語られてゆく。そんな中、明智光安は、小鳥の籠を前にして光秀に意見を求めています。

戦になってもいおかしくない。そうなれば我らはどうなる? 大桑城に馳せ参じるか、高政様に味方するか?

「十兵衛どうする?」

意見を求められる光秀です。

叔父の光安は判断力がそこまで強固でないとも言えますし、あくまで嫡流の兄の子である光秀までの中継ぎだという意識もあるのでしょう。

十兵衛は、戦だけは避けたい。そうならぬよう手を尽くすほかありませぬ。

そう悩んだ末に、こう言います。

「叔父上……私を尾張へ行かせてください。戦になるかならぬか信長様、いや帰蝶様次第かもしれませぬ」

光秀はそう言います。彼は使い走りされてばかりだの、RPGだの、「くん付けで呼びたくなる」だの言われますが、極めて有能です。人を見た目や表層的に判断するのは危険ではないでしょうか。

そしてここが長谷川博己さんの真骨頂。彼ほどの知性と演技力とキャリアがありながら、初々しさすらにじませるのです。主役であっても局面を回す役どころではない。

この時点でも悪目立ちしていたとすれば、それはそれで失敗。自分の役を適切に演じています。

 


儀礼的な挨拶で冷淡な帰蝶

かくして光秀は、尾張清須城へ。

帰蝶は一応、叔母と叔父のことを聞くものの、どこかぶっきらぼうでテンプレをなぞっただけのような言動。硬い。儀礼的に挨拶するけれども、心はこもっていない。

ここが帰蝶の難しいところだ。

帰蝶が光秀に恋をしていたことが過大評価されがちではありますが、彼女はそこまで恋心を見せていません。吹っ切っていますね。

帰蝶から恋心を読み取っていたとすれば、誤読の可能性があります。似たような事例として、前期朝ドラの『スカーレット』があります。

ヒロインが離婚後に初恋の相手と再会した時、二人がくっつくのかもしれないという感想がありましたが。

当事者が独身前提で、かつ恋心は消えないという認識があって、ハラスメントに近い何かを感じたものです。これ以前より、帰蝶にも、光秀にも、相手への甘っちょろい気持ちがあるようには思えません。

重要なのは、帰蝶がここにきていきなり冷酷になったわけではないということです。

帰蝶の本質を考えてみますと……。

・幼少期、思う通りにならない光秀を、一方的に叱り付けていた

・父により毒殺された前夫・土岐頼純のことを思い出すわけでもない

・お供の者を叱り飛ばしていた

かなりキツイ性格です。川口春奈さんが美貌だから萌えるという意見はよく見かけましたが、本当にそうできるのかどうか。

むしろ『スカーレット』のヒロイン・喜美子のように根強い「生意気、自我のある女は許さない!」アンチが育っていく頃合いなのでは?とも思います。そこまで含めての帰蝶です。

 

道三の後押しをして高政と戦をさせるな

そんな強気な帰蝶は、ズバリと聞いてきます。

「誰の使いか? 孫四郎を殺した高政の使いか?」

斎藤孫四郎
なぜ道三の次男・斎藤孫四郎は兄の義龍に殺されたのか 骨肉の家督争いが勃発

続きを見る

光秀は困惑しつつ「そうならお会いになりますまい」と言うのですが、帰蝶はそんな甘い性格でもなく……。

「会うて罵ってやる! 生き返らせろ、高政にそう伝えよ! 憎き高政、もはや兄とは思わぬ」

そう言い切る。ここでの光秀は「生意気な女だな!」とムカムカするのではなく、理詰めでの反論を試みます。

孫四郎の後押しをしていたのは帰蝶です。そのうえで明智も味方すると言いくるめた。結果、明智家も危険に晒されたわけですから、毒が滲んでいます。帰蝶の初恋を過大評価したらダメな理由が浮かび上がりますね。

麒麟がくる第15回 感想あらすじ視聴率「道三、わが父に非(あら)ず」

続きを見る

むしろそういう淡い恋心を利用するのはよろしくないこと。帰蝶にとっての初恋とは、その程度のことなのでしょう。女の子は初恋を大事にする❤︎ そんな思い込みをヘビーに粉砕する本作です。駒がいらないだのなんだの言われますが【社会が求める女の子像】はむしろ彼女なのでしょう。

そう釘を刺して、高政の怒りもわかると光秀。そのうえで、これ以上関わるなと言い含める。道三様の後押しをして、高政様との戦を願うなと言うわけです。美濃のことから手を引けと。

ここも本作の光秀らしさではあります。

「おなごは関わるな」

「初恋の十兵衛のおねがいっ!」

そういうニュアンスは一切ない。帰蝶には通じないとわかりきっているのでしょう。理詰めでないと、帰蝶は聞く耳を持たないとみた。

帰蝶に関することは、過去のドラマや漫画で培った恋愛認識や先入観をどこかに投げ捨てた方が良さそうです。高校生のラブコメ漫画ではありませんし、本作の人物像を年数が経過し過ぎたフィクションとすり合わせると、かえって理解が難しくなる可能性が高い。

 


一命を賭して高政を止める

帰蝶は理詰めで反論します。

尾張は海に開けている。手を組めば商業が発展する。美濃も豊かになる。

そういう父の思いを理解しています。

麒麟がくる第7回 感想あらすじレビュー「帰蝶の願い」

続きを見る

ところが、兄・高政はそうではない。

あろうことか敵視する。織田信賢や今川義元と手を結び、手を切ろうとしている!

今川義元の肖像画
今川義元の生涯|“海道一の弓取り”と呼ばれる名門武士の実力とは?

続きを見る

帰蝶は、父の計画を理解できず無視する兄が憎たらしい。愚かの極みに思えているのでしょう。

でもそれは意見が一致するかしないかのこと。後世の判断からすれば、帰蝶が正解になる。けれどもその時点で賢愚の問題ではないとも思えるのです。

光秀も反論します。

高政にはそうはさせない! 幼いころから付き合いがあるから知っていると言います。けれども、これが正しいのかどうか。そのうえで、一命を賭して高政を止めると言い切るのですが……。

「以前ならそなたの言葉を信じた……」

帰蝶は許せません。頼ってきた孫四郎を追い返した光秀は信じられない。そのうえで、これ以上話しては無駄だと追い返しました。

しつこいようですが、帰蝶は恋愛感情ではなくて、長期的な父と共通する戦略で判断しています。

帰蝶を降板した方に決めた理由もわかりますし、代役が川口春奈さんである理由もわかります。

見るからに悪女らしい帰蝶もよい。性別が関係ないような、気の強そうな帰蝶もよいのです。川口さんは後者ですね。そこは好みの問題でしょう。

 

親父殿は戦をしても勝てぬ そこは冷静に

光秀が去り、帰蝶が廊下へ出ると、隣室で織田信長がこのやりとりを聞いていました。

信長も光秀と同じで、女の判断力が低いとは思っていませんね。現に、彼女の策で道三との面会に成功したのは経験済み。何かの書物を手にして座っていて、帰蝶の怒りはわかると同意をするのです。

そのうえで、光秀のことも理解できると言います。

親父殿は戦をしても勝てぬ。放った間者の報告によると……。

斎藤道三の動員兵力:2,000〜3,000

斎藤高政の動員兵力:10,000以上

戦上手でも兵力差があれば勝てない。

そのうえで、清須を留守にすれば信賢に攻められるから加勢できないと言い切ります。身を守ることが大事だと言うわけです。

これは大事です。
桶狭間の戦いの印象が誇張され過ぎて、信長は奇襲名人のような誤解があります。

そういうことではありません。信長は事前準備をしっかりして、まず兵力差で勝とうとしています。

劣勢でありながら勝利したのは桶狭間だけ。こうした奇跡は二度と起こらないと知っている、リアリストであったわけです(わずかな伴を引き連れ、先頭切って戦場へ向かうケースはあっても、基本は敵を上回る兵力です)。

古今東西、名将とはそういうものでしょう。

さしたる理由もないのに、「奇襲すれば勝てるはず!」と言い切る大将は危険ですぞ。

【ハード・イージー効果】という言葉もあるほどでして、危機的な状況で「なんとかなるはずじゃあ!」とやたらと言い切る相手を見かけたら、冷静に分析した方が身を守れます。乱世に必要なスキルです。

 

夫を放置し、頭をフル回転させる帰蝶

そんな正直すぎる夫に、帰蝶は苛立ちながら言います。

「その兵力でどうやって守るのかと言います」

「わからぬ」

「わからぬ……」

そのうえで、手にしていた『古今和歌集』も理解できないと言い切る。

冬ながら 空より花の散りくるは(雲のあなたは春にやあるらむ 清原深養父)

冬なのになんで花が散るの? 意味わかんね。そういううつけみたいなことを言い出す。

帰蝶はイライラしつつ、雪を花にたとえていると言い切ります。

信長はいつものマイペースうつけタイムのようで、彼らしさが存分に出ていたと思います。

・「わからん!」と言える

賢いとされつつ、そういうことを堂々と言う人物が大河にいたじゃないですか。2016年『真田丸』の真田昌幸ですな。

「わからん」という言葉って、実は世の中で一番言いにくい話ではあるのです。うつけと思われたくない、普通の人は。だから、そこまで確証がなくとも意見を言うものです。

真田昌幸も、織田信長も、作品中ではそれが言えてしまうのですね。

・比喩がわからない

雪を花にたとえる。そういうことがわからない。

「月が綺麗ですね」と言われてもそのまんま、言外の意味なんか読み取らないんですよ。そして、それを恥ずかしいとも思っていない。周囲とズレてるんですね。

そこがうつけ=バカっぽく見えるのでしょう。バカとはちょっと違うんだけれども。

今回、なんだ、またうつけっぽいな……と思われたのかもしれません。

でも、大事だと思うのです。子どもみたいに、いい歳こいた大人なら言えないようなことを、ズケズケと言い切り、小さなことから問題提起してゆく。アイデアとはそういうところにあるものではないでしょうか。

帰蝶も、信長も、側にいたら無茶苦茶ストレスは溜まりそうです。信長の方が強烈に出ておりますが、彼らの世界は【普通の人にとってのテレビ会議】がデフォルトかもしれません。

対面ならば理解できるはずが……

・対面よりも相手の表情やニュアンスがわかりにくい。ゆえに、集中しなければならない

逆に自分のムスッした声音、きつい言い回し、変な顔が相手にどういう影響を与えるかまで計算できない。

・相手の意図を読み取るのも難しいため、余分なエネルギーを使う

土田御前と信長。道三と高政。相手が嫌がっている意図を無視されても、反応されなくても、イライラが溜まっていることがわかります。

もちろん当時、Web会議はない。けれども、常時そういう状態であるがゆえに、なんだか疲れるわ、うつけ扱いされるとしたら、生きているだけで相当しんどいということをご想像いただければ。そういう人たちではないでしょうか。

そんな二人にカップル萌えをする視聴者は多いとは思いますが、そこまでほっこりきゅんきゅんする二人とも思えないんですよね。まぁ、その辺は見る側の自由かと。

帰蝶は、なんだかわけがわからない夫は放置し、頭をフル回転させています。

侍女頭に、旅の一座の伊呂波太夫を覚えているかと聞くのです。そのうえで、急ぎ現在地を調べるように言い渡しました。

 

雪斎が死に、寺へ閉じ込められる東庵と駒

同じころ、駿河の国にも異変がありました。

太原雪斎が病死したのです。

太原雪斎
義元を支えた黒衣の宰相「太原雪斎」武田や北条と渡り合い今川を躍進させる

続きを見る

高齢かつ病気持ちとはいえ、政治軍事外交面で今川義元を支えてきただけに、大変なことではあります。

そんな駿河の寺に、薬屋の春次(菊丸)が来ました。

面会相手は望月東庵。なんでもこの寺に閉じ込められてかなり経っているとか。

駒もイライラしている。足止めは理不尽だと苛立っておりますが、死を隠し通すためには仕方ないのです。隣国の大名に知られては危険なのだとか。

口止めのために医者を殺さないだけ、今川家は親切かも。でも、思えばこの時点で今川家は破滅するということもわかってしまう。

戦国時代の大名家だけでなく、現在の組織もそうですが。

「この人の代わりはいない!」

という話はよく言われます。これが出てくる時点で、その組織なり体制なりは、盤石からほど遠い。逆に、誰かが欠けても代わりがいるとか補える体制ならば、そうは言われないわけです。

本作も、帰蝶役の降板で危ういと言われました。

が、個人的にはそう思いませんでした。他のスタッフなり役者なりが盤石ならば、一人欠けてもカバーできるはず。事前に陣容を見ているだけでも、隙がないと思えていました。

主演の長谷川博己さんがあの騒動で激怒したという報道があり、それをご本人が否定しておりましたが、そうだろうとは思いました。制作陣がシッカリしていることを理解できていたのでしょう。

降板しかねない発言をしたメインキャストがもう一人おり、仮にそうなったとしてもそこまでの痛手とはならないと思います。

 

忍耐を強いられた元信(家康)は飄々と

さて、話を戻しまして。

そんな医者たちの元へ、赤い服も鮮やかな青年がやってきます。青年期にも別の俳優を起用するのだから、丁寧な作り。包帯をとったら西田敏行さんだった……そういうことではない。

そう、彼は松平元信(のちの徳川家康)です。

徳川家康の肖像画
徳川家康の生涯|信長と秀吉の下で歩んだ艱難辛苦の75年を史実で振り返る

続きを見る

彼は雪斎の元で学問に励んでおり、明るくさっぱりしていてそこまで落ち込んではいない。トレードマークの赤い服だって、東洋の伝統ではお祝いカラーです。本気で師匠の死を気にしていたら、こういう服装にはならないとは思います。

むしろハッピー? そういうことは気にしない? 彼も結構な変人で濃い性格だと思えます。

昆布と豆を煮ていると東庵から聞くと、「いいにおいじゃ」と興味津々。そのうえで、見てもよいかと聞いてきます。

食いしん坊? というより好奇心旺盛、かつ自分で見てみないと気が済まないタイプとみた。やはり、彼は先入観がない。

「下賤なものの食べるものじゃ」とか、そういうことは気にしませんね。そうエキセントリックではないものの、道三や信長と似たところはある。

駒の名前を聞きながら、座って食べ始めました。

春次こと菊丸は、感慨深げにこう口にしてしまいます。

「若様、ご機嫌麗しきご様子。祝着に存じます」

なんでも彼は、元信のいる館によく薬を持ってくるとか。

医者は便利だなあ。東庵も駒も、英雄三傑全員コンプリートできるし、実に便利な役どころです。こういうキャラクターは、うざいわけでも不要なわけでもない。その判断は作り手にある。

そのうえで、美濃の動乱について聞いてきます。

 

寺から抜け出すのを手伝ってほしい

道三と高政の争いの話を振ると、元信は今川の御家臣がそう話していたと肯定します。美濃の国が二つに割れたと。

やはりこの元信は、おそろしいものがある。彼は無害そうで、おとなしそうで、生真面目に見える。信長みたいに露骨なうつけはうつけでもややこしいのですが、元信は道端の草花のようにすら思える。

だから周囲は、重大なことでも見せて、聞かせてしまう。元信はそのことを全部脳内に仕舞い込んで、分析して、シナリオを組み立ててしまうのに……。

若い頃からそうで、古狸になってからも豊臣秀吉すら丸め込める。そういうところが、実に恐ろしい。石田三成さんがかわいそうになりますね。

駒は美濃のことに動揺していると、今川家の家臣が「なんの話をしているのか、薬屋は用が済んだのか」と聞いてきます。

駒の反応は普通です。
むしろ、あくまで冷静な元信が怖いってば。どこまで怖くなるのやら……。

そんな元信を東庵は気遣います。あの部屋で毎日、退屈ではないかと言うわけですが。どうも深刻ではないらしく、将棋の相手でもいればいいと返します。

やはり元信、リモートワーク適性あるよね?

ぼっちで食事しようが、勉強しようが、平気。薬の調合でもすればいいと割り切れるでしょ。これはいい陰キャです。

ここで東庵が、都では“将棋の東庵”と呼ばれていたと相手を申し出ます。

生き生きとして「ぜひ!」と答える元信。身分への先入観がなくて、東庵にも駒にも親切です。偏見なく、丁寧すぎるほど丁寧に接するのでしょう。

一見性格が善良そうで、実はそうでもないところはあると思います。風間俊介さんがこの家康を演じることは、これまた歴史的なことになるはず。

染谷信長も、佐々木秀吉も、風間家康も、現状で最高の像になる。ゆえに、本作は越年しようが作りあげねばなりません。期待して信じています!

このあと、駒と菊丸は薬の保管場所へ。

駒は美濃で確認したいことがあるから、夜に寺から抜け出すのを手伝ってほしいと菊丸に訴えるのです。

菊丸は迷いつつ、承諾します。

これはよい流れです。まさか演じる方の失言を想像してのこととは思えませんが、いい退場フラグが立ちました。

任務を捨てて、女の情に絆されて危険なことをする。死亡退場へのよいフックです。こうなったからには処理は難しいでしょうけれども、菊丸はもうすぐ見られなくとみた。

いいんですよ。こういう人物ならば、後継者である二号を出せばよいだけです。それこそ“菊次郎”あたりでいい。

 

ふてぶてしく生まれ変わった高政

光秀が苦しげな顔で稲葉山城に向かうと、歌声が響いています。

「我御寮となれば……」

今週も風俗交渉をしっかりとした歌声が響く中、明智光安が踊っています。

稲葉良通稲葉一鉄)らも集まり、中央には高政がいる。そんな飲みニケーションがそこにはありました。

稲葉一鉄(稲葉良通)
稲葉一鉄の生涯|信長に寝返った美濃三人衆の猛将は織田家でどんな働きをした?

続きを見る

光秀は冷めた目を向けます。高政も冷たい目で見返してくる。視線に温度がある――そんな伊藤英明さんの演技が光ります。

伊藤さんの演技はどこか固く、ぎこちないようなところはあったかもしれない。それはあくまで高政の反映であり、わざとであったと痛感できます。

家督相続後の高政は、不器用な青年ではなくふてぶてしい存在に変わりました。

そして高政は、光秀と二人きりになって尾張に行った顛末、帰蝶と話し合った中身を聞いてきます。

光秀は嘘でもなく、帰蝶と話し合い、美濃に手を出すなと言ったと語るわけです。

高政だって、帰蝶への気持ちは冷え切っている。妹を憐む気持ちがそこにはない。

斎藤義龍の肖像画
斎藤義龍の生涯|父の道三に負けず劣らず 信長の攻撃を退け続けた実力とは

続きを見る

光秀から「(帰蝶は)腹を立ててはいたが、すぐには動かない」と聞いて、納得しています。お互いがじっとしていれば、父上も動けない。結構な話だと。

ここで光秀に思い過ごしがあるとわかる。

彼は帰蝶に、幼い頃からともに過ごしてきて、高政の考えていることはわかると言い切りました。それが今やそうではないのです。

こうした傾向は家督相続後から顕著でしたね。むしろ道三と光秀の方が本音で語り合えている。

 

【自我】ではなく【虚像】で埋める

光秀はここで、火をつけた高政の責任を問いかけます。

父が道三様ではなく、土岐頼芸だと言っていること。どちらが本当なのかと問い詰める。

と、高政は思いもよらなかったことを返す。

道三が父だということくらい、わかってはいる。それでもこの国の土岐源氏の血を引いていて、成り上がりではないと思いたい。将軍家に守護の座を願い出るにせよ、通りがよかろう――。

そう言われ、光秀は苦い口調でこう返します。

「なるほど。賢いやり方だ」

「賢いやり方? 言葉に少々毒があるな」

「申し訳ござりませぬ」

光秀は素直なところがある。これも道三とのやりとりとは対照的なのです。

道三は光秀から正面切って嫌いだと言われようと、一時的にカッとなってもあとは引きずりません。高政のように「そういう言い方ってよくないよね。空気読め」みたいなプレッシャーはかけません。

高政が異母弟を殺害したことが、やはりサイコパスだのなんだの言われておりますが。そういう悪へ進む傾向がまた出てきましたし、その根本が見えてきたとは思う。

【自我】ではなく【虚像】で埋めること。なまじ高政は実の父を理解しているから、わかったうえでの芝居だと油断し切ってはいる。

それでも騙していることには変わりがないし、そのことがどれほど父母の心を踏みつけたのか、そこを無視しているとは思う。

自分に利益のために、平気で嘘をついて、偽りのアイデンティティで満足してしまう。自分ではコントロールできているつもりでも、やがて【虚像】に【自我】を喰われて悲惨なことになります。

高政は、道三や信長とは違う。

道三も信長も、サイコパス呼ばわりをされようと、自ら敵を殺した。けれども高政は違う。

この父親の件での詐称にせよ「将軍家や国衆、この世の中が血筋を望むから、そういう世の中のルールや【共感】に従っただけのこと」と自分の決断を回避していいわけすることはできるのです。

高政は周囲の【共感】を得る能力があります。あの飲みニケーションだって、道三にはできなかったこと。周囲を和ませて、人望を発揮し、人をまとめる能力はある。

でも、それだけでは危険ではないでしょうか。

 

領地の洗い直しをするから手伝え

そんな高政は、光安が挨拶に来たと語り始めます。光安は明智荘の安堵を求めてきたのですね。その願いが叶っての踊りであったと。

しかし高政は「光安殿には何も言うておらんが」と前置きして言います。

まだどことは決めておらぬが、もそっと広い領地を与えたいと思うてる。条件として、光安の隠居と光秀の家督相続があると言うのです。

光秀が驚いて理由を聞くと、その意図を語ります。

今の国衆は、自分の領地を抱え込んで石高がわからない。調べて明らかにして、領地の洗い直しをするぞ! だから手伝えと言ってくるのです。

検地を国単位でやるようなことで、発想としては間違ってはおりません。

ただめんどくさいと言えばそう。現在ならば確定申告や税務調査みたいなもんですかね。

検地にしたって、気候や地形の差異の考慮が不十分で、実測値と石高の差がついてしまい、トラブルがあったものでした。

これは幕末まで続きます。代表例が薩摩藩です。

借金地獄の薩摩藩
実は借金地獄でカツカツだった薩摩藩|武士も農民も苦しかった懐事情とは?

続きを見る

システムの改良は、痛みを伴います。光秀は今の領地を出ることに唖然としてしまう。もっとよい領地と言われようと、嫌なものではあるのです。

古今東西、ルーツの土地から引き離されることによる悲劇はたくさんあるもので。そういうことを断固嫌う国衆は存在します。

代表例が『真田丸』の真田昌幸。

真田の土地を守るためならば、北条、上杉、徳川と同盟相手を変え、翻弄し、無茶苦茶なことをやらかした。そして「あいつは表裏比興でヤバイ」と言われるわけです。

彼は史実でもエクストリーム国衆、その結果、北条氏滅亡の引き金を引いたわけですが。

真田昌幸
真田昌幸の生涯|三成に“表裏比興の者”と評された謀将 その実力とは?

続きを見る

ともかく、高政は禁断の領域に入り込んでしまったわけです。

自信過剰になりつつあるのでしょう。例えば以下のような事例からそう推察できます。

その1「困難に直面している」【ハード・イージー効果】:高政の状況はむしろ厳しいはず。それなのに、そういう時に限って自信過剰になってしまう。

その2「慣れてしまう」:国衆の扱いに慣れが出てきた。それならばまだしも、過剰になるのは危険。

その3「情報量」:彼は愚かでも迂闊でもなく、むしろ情報収集能力は高い。ただ、情報とは入手だけでは足りない。精査が必要です。

その4「経験」:自分でコントロールできるというのはよいことのようで、慣れると危険が生じます。高政はぐんぐん慣れてしまっている……。

どうにも、危ういのです。

 

左馬助の来訪「父が尋常ではない」

自宅に戻り、妻の煕子が見守る中、光秀は食事をとっています。

「まだ母上に申し上げてないのだが……」

「は?」

「明智の領地がお取り替えになるかもしれぬ。どこに移されるかまだわからぬが」

光秀には不満がモロに出てはいる。我らに落ち度があったわけではない、というあたりに恨みが出てしまっています。

煕子は困惑しつつ、こう言うばかりです。

「美濃のためによいことなら。私は十兵衛様について参るだけでございます」

「母上は驚かれるとは思うが……」

そう割り切れない中で、侍女の常が明智左馬助の来訪を告げます。

明智左馬助の生涯を描いた記事。光秀の親類にして福知山城代を任された武将はいかなる生涯を駆け抜けたか。
明智左馬助(秀満)の生涯|光秀に福知山城代を任された男 その事績とは?

続きを見る

左馬助は、道三の言葉を伝えてきました。

大桑城(おおがじょう)で一戦交える。志を同じくするものは参集するように。

光秀は驚きつつ、叔父上の意向を尋ねると。

「それが……父は様子がちがい、尋常ではありませぬ」

光秀は焦り、すぐさま光安の元へと向かうのでした。牧は、道三と高政の争いに驚愕するばかりです。

 

気の抜けた叔父が激情を見せるとき

光秀が叔父の元へ向かうと、光安は鳥籠に手を入れ、中の小鳥を逃しているのでした。

「明るいうちに逃してやろうと思うてな。森の方へ飛んでいった……」

気が抜けたようにそう語る光安。せめて明るいうちに逃すあたりに、彼の悲しさと優しさが凝縮されています。

そして語り出す。

「高政様から領地のことは聞いた。兄上から預かりしたこの領地を守れそうにない……何も申すな。わしが非力ゆえ。手を尽くしたが……そなたにも……牧殿にも……面目がない……美濃が新しい国になるという。それもよかろう。しかしあの高政ごときにわしの命を預けようとはゆめゆめ思わぬ! わしは大桑城に行く! 道三様のためなら心置きなくひと踊りできる! 行かせてもらうぞ」

人が良くて、自己主張をしなくて、優しい叔父上。律儀に、亡き兄の後を継いで生きてきた好人物です。甥に代わって家を継いだままにしようとも思わない。極めて生真面目に生きてきた。

そういう人が激情を見せるとき。その瞬間こそ、恐ろしいものかもしれない。

信長だの高政がサイコパスだのなんだの言われるけれども……。

そうではない善人のこの嘆きに、悲劇と怒りの頂点を見た気がします。

西村まさ彦さんつながりで「黙れ小童」を言わせろだのなんだの言われてきたこの光安。けれども、作品も人物像も違うからには、そんな手癖や視聴者の甘えに乗っかるようなことはすべきではないし、期待するものでもないと思いました。

SNS投稿はまだよいにせよ、そんな些末なこと、ネタをネットニュースにまでするのはどうかと思います。アクセスさえ稼げればよいのでしょうけれども。そういうイージーな【共感】願いは危険だと思うのです。

光秀は困惑します。

「道三様は勝てませぬ、無駄な踊りになります。明智家の存亡に関わる……これが我が父の声と思い、お聞きください!」

光秀は光秀で、ついに禁じ手を出してきた感はある。

光安はむしろ困惑し切って、光秀に判断を求めてくることが多かったものです。それなのに、光安は自分で判断をしようとしている。だからこそ、光秀は父である光安の兄を持ち出してきました。

これまで光秀は、立場を盾にするようなことをしてこなかった。それでもここでは敢えて出してきた。

二日お待ちください。そう告げ、光秀は大桑城へ向かいます。

 

高政には無理でも道三には思いのままを告げられる

城では、朧な空気の中で伊呂波太夫がにっと微笑みを見せてきます。

尾野真千子さんがこの役でよかった。これぞ妖艶。こういう雰囲気を出せて、笑える。彼女の新たな魅力が引き出されています。

そんな意味ありげな微笑を残し彼女は消え、光秀は道三の元へ向かいます。

「殿、光秀でございます」

「戦支度もせず、何をしに参った」

光秀が、御出陣をお止めするために来たと言うと、道三は伊呂波太夫のことを言い出します。

「さきほど帰蝶が奇妙な女をよこした。隣国越前に話をつけ、逃げ道を用意したゆえ、ついてこられよと申すのじゃ。戦をしても勝てぬと申してな。わしはこの鎧を脱ぐ気はない。そう言って追い返した」

伊呂波太夫は流石ですね。おもしろい。本作の民間人キャラクターはキッチリと役割を果たしています。

彼らのことを「邪魔」だの「うざい」だの言う意見も散見しますが、それはご自身の本心からそう出てきたのか、疑問に感じるときがあります。SNSや掲示板、あるいはその意見を汲んだとするネットニュースから得た【共感】の産物ではないかな?と。

光秀は道三に、今は勝ち負けもない、戦となれば国衆同士の殺し合いになる、それだけはなんとしても避けたいと言い切ります。

ここも注意したいところです。
高政との会話で、光秀は領地替えをされる国衆の苦悩は言い返せなかった。温厚な叔父・明智光安すらああも怒ることなのに、その苦痛を言い出せない。

対高政と対道三、どちらが意見の通りがよいか……。

 

人の上に立つ者は、正直でなくてはならぬ

苦しげな道三。そう、彼だって苦しみを理解できないわけではない。

そして言葉を紡ぎます。

「わしも迷うた。それゆえ少し眠り、仏のお告げも聞いてみようと思うたが……仏は何も申されぬ。当てにならぬお方じゃ。高政はのう……わしがまことの父親だと分かっておる。されど土岐頼芸様が父だと言い触らし、己もそうありたいと思うてきた。高政は人を欺き、自らを飾ろうとしたのだ。十兵衛……人の上に立つ者は、正直でなくてはならぬ。偽りを申すものは必ず人を欺く。そして国を欺く。決して国は穏やかにならぬ。わしはケチだがそれをわしは隠したことはない。そうは思わぬか?」

「それは……そのとおりかと」

「そなたは正直者だ。それでよい」

道三はケチだの性格が悪いだの言われる。

けれども、正直ではありました。

マムシと呼ばれようが、ケチと言われようが、嫌いと言われようが、道三は受け止めて生きてきた。

傲慢なようで、性格が悪いようで、素直と言えばそうです。

これで思い出すのは、曹操のこと。彼は“乱世の奸雄(英雄)”と呼ばれて「悪党と呼ばれても開き直るムカつく奴!」とマイナス評価する意見もある。逆に、彼なりに戒めにしようとしたという解釈もできる。

道三と光秀の反応を見ていれば理解が深まるような気がします。

身の丈に合わぬほど褒められ、酔いしれ、「私スゴイ! グレート!!」と浮かれ回り、その名声に潰されるくらいならば――自分が性悪で、どうしようもなくて、ダメだから気を抜くなと自制する方が、よいのかもしれない……。

道三のようにメンタルがタフ、【自我】がバリバリにあってこそのことでしょうし、それはそれできつい。いっそ悪名ごと消えてしまいたい、そういう思いも去来しそうではあるけれども。

 

共鳴と反発

光秀が反論しようとすると、道三は体力的な弱さを見せます。少しよろめき、光秀に支えられるのです。

「わしはこれまで戦であまたの家臣を死なせてきた。毎夜眠りにつくとき、その者たちの名を唱えてみるのじゃ。それが近頃、その名が出てこぬ。わしの命を救うた家臣の名が何人も出てこぬようになった。忘れてしもうたのじゃ。わしは老いぼれた。もはやこれまでと……家督を譲ろうと思うたのじゃ。しかし譲る相手を間違えた。間違いは正さなくてはならぬ」

正直だからこそ、弱さも見せられる。記憶の衰えを自覚しています。

これも父子の残酷な対比だとは思えます。

信長も、村木砦で戦死した家臣たちの顔を見て衝撃を受けていました。

道三にせよ、信長にせよ、人の死を悼む気持ちはある。楽しいから人を殺す。そういう本物のあかんやつ、例えば『ゲーム・オブ・スローンズ』のジョフリーやラムジーとは違うのです。

一方で、思いやりがあって、飲みニケーションが得意で、リア充陽キャの高政が、国衆の心を踏みつけ軽んじている。

とことん似ていない親子である。

だからこそ、父は我が子が破滅しかねない、間違ったと噛み締めているのです。

道三は叫びます。

「皆の者集え! 城より打って出る! 皆に触れを出せ、これより鶴山へ向かう、鶴山に陣を張る!」

「おおー!」

そして道三は、最後の思いを光秀に託すのです。

「十兵衛、わしの父親は、山城国の油売りで、美濃で大を為した。美濃も尾張もない。皆一つになればよい。近江も、大和も。さすれば豊かな大きな国となり、誰も手出しはできぬ。わし一代でできなかったことを、お前がそれをやれと」

「わしも美濃一国で終わった……しかしあの信長という男は面白いぞ。あの男から目を離すな。信長となら、そなたやれるやもしれぬ。大きな国を作るのじゃ 誰も手出しのできぬ大きな国を。さらばじゃ」

殿、殿、殿!
光秀がそう叫ぶ中、道三は出陣してゆくのです。

残酷な決裂であります。

道三は、我が子の高政よりも、血縁関係にない信長の才能を見出した。そのことが高政との関係を断絶した。彼がもし【共感】のために目の前のことに目をつぶれるのであれば、こうはならないだろうに。

本作に関しては、父と子、母と子、血で繋がった者たちの情が絡み合う物語だという意見もある。

けれども、ここまで強い運命を感じる道三と信長には、血の繋がりはありません。光秀もそう。むしろ、思考回路の使い方が似ている者同士の、共鳴と反発ではないでしょうか。

だからこそ道三は、自分と共鳴する光秀に信長を見つめるという未来を託した。自分に未来がないことくらい、よくわかっている。

道三は人生そのものと、我が子との、決裂を選んだのです。

 

「叔父上の後を追う。鶴山へ! 敵は高政様!」

光秀が明智荘へ戻ると、人が動揺しています。

この騒ぎは何なのか?と藤田伝吾に尋ねると、光安が鶴山に向かったと告げられます。

藤田伝吾
藤田伝吾の生涯|光秀に託された筒井順慶との交渉が明智の命運を握っていた

続きを見る

大桑城から出た道三様の元に馳せ参じると、明智左馬助と足軽50を連れて向かったのです。

何故止めなかったのかと光秀が言うと、武士の意地とのこと。高政のもとにも国衆が集まっている。

「我らも十兵衛様の申し出次第。いかがなさりまする?」

「わしは行かん。道三様の陣にも、高政様の陣にも……」

そう返す光秀を、常、牧が迎えます。牧は帰宅を告げる我が子に、稲葉山城から使者が来たと告げます。

煕子は夫を出迎え、何かをお口に入れてからお発ちになるかと聞いてきます。

光秀はムスッとしている。苛立ちが顔と言動に出ています。

これぞ長谷川博己さんの本領発揮――あの朝ドラみたいに、短気でやたらとギャーギャー叫ぶことを「流石! ハセヒロの狂気ィ!」と褒めるつもりはございません。あんなものは、お湯をかけて数分待てばおいしく食べられるインスタントラーメンでしょう。

本作はもっとじっくり煮込んだ味だ。演技だ。

秘めようとしているようで、胸の奥の炎がチラチラと見えるような演技こそ、まさしく彼の力ではありませんか。

苛立った光秀は、煕子に返します。

「どこへ発つのじゃ?」

「皆、既に覚悟を。あとは十兵衛さまのお心のままに」

光秀はここでふりむいて鎧櫃を見ます。気迫を込めた目で、キッと睨みつけるのです。

そして彼は鉄砲を手にします。そしてその重さを確かめる。堺で鉄砲を見て来いと行ったのは、思えば道三だった。美濃もあのような豊かな街を持ちたいと思えた。

高政は、国を動かす時、力になって欲しいと言ってきた。

見よ、当たったぞ! 道三はそう鉄砲を当てて喜んでいた。

光秀は銃を構え、引き金を引きます。そしてこう言い切るのです。

「煕子!」

「はい」

「木助に鎧の用意をと! 戦じゃ、戦に参る!」

「十兵衛様、十兵衛様!」

彼のもとに家臣が集まってきます。

「みな、揃うたか」

「はっ! 行く先はいずこに?」

「叔父上の後を追う。鶴山へ! 敵は高政様!」

「はっ!」

光秀はそう決断を下します。自分自身と、明智一族と、家臣の命をかけた決断です。

その決断を、簡単にくだせたはずがないのです。

 

MVP:明智光安

道三と迷いましたが、道三だらけになりますので。

彼も大事だとは思う。
常人の我慢の限界、踏み越えてはならぬ一線を描き切りました。

キレて反抗する国衆といえば『真田丸』の真田昌幸が思い浮かびます。『おんな城主 直虎』の井伊家も素晴らしかった。真田はハズレ値で、井伊家も女性城主でしのげるだけの地力はあったのだと思えてきまして。

その点、明智光安は”普通“の国衆だとは思えます。鳥と戯れることが生きがいで、偉大で優秀な兄の後を継ぐことが大事。

そうやって、平凡な人生をしっかりと生きてきたのに。宴会で踊ってご機嫌とりをしてきたのに、落ち度がないのに、踏みつけられてしまう。

一体何をしたのだろう?
自分の人生って何だったのだろう?

心が踏まれて砕け散る。そんな瞬間に凄みを見ました。

 

総評

まずは、本作の放送中断や悪いニュースから。

「えー、麒麟が来なくなっちゃう!」

「そもそも光秀は主人公向きでないのでは?」

「もしかして呪い?」

そういう話は不要です。菊丸役の方の発言は、時代の変化でもあります。

おそらくや数年前ならばスルーされていた。それが問題視されるからには、時代の変化と併走するように走らねばなりません。

【赤の女王仮説】という概念もちゃんとありますので、こういう科学的思考法って、文系の歴史学だろうと大事です。理系だけの専売特許でもないんだな。

そもそも『麒麟がくる』というタイトルにせよ、そもそもが来るはずのないものの到来を招き寄せるように、世の中は理想を目指して進化しないといけないという、そういう願望由来のことです。

『麒麟がくる』で「来ない」と話題になった――そもそも「麒麟」とは何か問題

続きを見る

放送中断と今後の大河枠そのもののことは、後日別記事で報告したいと思いまして。

考察:【共感】の時代は終わる

さて、今週はこのセリフが白眉でした。

「高政はのう……わしがまことの父親だと分かっておる。されど土岐頼芸様が父だと言い触らし、己もそうありたいと思うてきた。高政は人を欺き、自らを飾ろうとしたのだ。十兵衛……人の上に立つ者は、正直でなくてはならぬ。偽りを申すものは必ず人を欺く。そして国を欺く。決して国は穏やかにならぬ。わしはケチだがそれをわしは隠したことはない。そうは思わぬか?」

前半を通しての深いものがあると思えたものです。

高政もまたサイコパス呼ばわりされてきました。が、そもそもサイコパスの定義って何でしょう。

善悪正邪のうち、悪と邪に流れたということでよくありませんか。信長と高政は、悪と邪を為すにせよ、思考回路はかなり違います。

高政は、自らがそうなりたいという【虚像】を言い触らすことで、精神が崩れていくところが怖いとは思った。それというのも、その手の罠は溢れていると思えるのです。

当連載に、こういうキャッチコピーをつけたらどう思われます?

「読めば大河ドラマが10倍面白くなる!」

「読めばあなたも大河通に?」

書いただけで本人が爆笑してずっこけそうで、辛いもんがある。こんなもん読んだところで、ドラマが10倍面白くはならない。そもそも、基準がわからないからには何をどうすれば10倍になるのかもわからないわけです。

でも……ヘッダ画像にそういう文言があれば、そう思い込んじゃうかもしれない。あるいは経歴に、すごいことを捏造してでも書くとか。そうなれば、ぶっ叩かれなくなるお守り札になるんじゃないかと考えたことはある。やらんけど。肩書きは、クソレビュアーで十分だけど。

そう、高政のことを自分の立場にあてはめてみると。

彼はサイコパスでもなんでもない、賢くて普通の人だと納得できるのです。ああいうタイプは、割といるものでしょう。

あることに気づきました。

ドラマのハッシュタグを見る。アカウントのプロフィールを見る。アイコンなり、名前なり、プロフィールなりに、好きなドラマのことを書いている。あるいはアンチ文言も。

これは不思議でしょうがなかった。これまた高政心理を自分にまで引っ張るのですが、ある朝ドラを好きだと書き、その後の作品を嫌いだと書いた時。さんざん叩かれました。

趣旨はこうだ。

「私と同じドラマ評価にしなさい!」

「私と好きなドラマを褒めているから読んであげたのに、どうして私の意見に逆らうの!」

ご親切に、私が褒めていたドラマのアンチハッシュタグまで教えていただきました。

どんな嫌いなドラマだろうと、アンチハッシュタグはごめん被る。そこにある意見は、理詰めではなく、【共感】を求める愚痴のようなものが多く、正直、時間を浪費します。

いいから大河の話をしろって?
まあそれはそうですけど、ドラマの作り手だって言っておりますからね。

戦国時代だけではなく、現在にも通じるものと思って欲しい、と。

今週は、ひとつの時代の終わりを象徴するような、そんな気迫がある回でした。それこそ本作かもしれない。本作は光秀たちの若い頃から描いている。信長たちが戦国時代を変える前夜から描いています。

ゆえに、時代の変革とマッチしてしまい、怖いものがある。

じゃあ何が終わろうとしているのかというと、そこを考えたいと思います。

それは【共感】を求める時代です。

2011年の3.11以来、絆で繋がる【共感】で困難を乗り越えるという流れがあったと思えるのです。

スクラムを組んで、立ち向かって行こう!

楽しければいいじゃん!

そういう流れは、スポーツイベントに流れる空気でもあった。

ところが、現在は【ソーシャル・ディスタンス】。スクラムを組めなくなってきた。

むしろ【自我】がないと厳しい。一人孤独に耐えていく人間には、斎藤道三のこんな言葉があてはまるのです。

「力があれば、生き延びる。非力であれば、討ち果たされる。わしの力でどうにもできぬ。帰蝶も孫四郎もそう。わしはいずれ消えてなくなる。それも今日か明日かの違い」

無我夢中で、自分の力で生きていけ。道三はずっとそういうことを言う。

自分の目で見て確かめろ。

お守札に頼らず、自分の足で立って生きていけ。

【共感】の時代から【自我】の時代へ向かってゆく。

これは完全にクソレビュアー個人の意見だと断っておきますが。

#GratefulForTheHeroes絵 ハッシュタグを見て、モヤモヤした感覚がありました。そこを踏まえた記事もある。

◆‪働く人々を「ヒーロー扱い」 “応援”“感謝”“一致団結”で「気持ちよくなる」人の心理 #GratefulForTheHeroes絵(文春オンライン

このハッシュタグを「被災地に贈られる千羽鶴だ」と喩えている方もいました。ただ匿名性の高い千羽鶴と比べると、#GratefulForTheHeroes絵にはどうしたって描く本人の個性、エゴみたいなものが内包されてしまう。「感動ポルノだ」という反発の根源は多分そうしたうっすら垣間見える「エゴ」なのでしょう。「同情するならカネをくれ」じゃないですが、実質的な待遇改善を求めているときに与えられる一方的な「感謝」は、悲しいことに感情の逆撫でにしかならない。

#GratefulForTheHeroes絵はほんの一端で、絶対やっちゃってますよ、私も。3.11とは全く異なる構造との戦い、つまり「感謝」の快感は既に終わりを告げていて、今私たちは無自覚な「気持ちよさ」との戦いを迫られている気がするのです。「応援」や「感謝」で気持ちよくなるのは自分で、しかしそれは誰かにとってとても気持ち悪いことかもしれない。明確な「被害者」ではなく、無自覚な「加害者」を生み続けてる、それがコロナウィルスの真の怖さのように思います。

これはまさに今週の高政かよ……という話。

高政は領地替えをして、美濃を変えていくことに快感を見出している。

飲みニケーションをして、「応援」や「感謝」の生み出すエネルギーから快感を得ているとわかるのです。

そのことそのものは悪いことでもないのですが、けれどもその快感によって「被害者」が生まれてしまう。宴会を冷たい目で見てしまう光秀は、そのことを体現するかのようでした。

光安は籠から鳥を逃す。自分の破滅には、この小さな命を巻き込みたくない。高政の傲慢さとの対比が、そこにはあると思えてしまった。

大河の感想で、なんでここまで考えてしまうのか。

それは自分自身に一番問い詰めたい話ではあるのです。

ハッシュタグの投稿、イラストが、どうにも変質してきたと思えるのは、奇しくも3.11の2011年前後だとは思えました。

大河のハッシュタグ絵の元祖のようである2012年『平清盛』は、低視聴率でありながらもこうした絵を奉納までした。まるでアリバイ利用されているように思えたものです。

朝ドラは2013年上半期『あまちゃん』。

関連書籍はじめ、ともかくファンの熱気が盛り上がれば最高! ドラマそのものではなくて、それそのものを楽しんでいる雰囲気は、どんどん濃くなったものでした。

スタッフが被った別ドラマの感想では、前置きに『あまちゃん』で盛り上がった過去の成功体験を語られることがあまりに多かったものです。

そしてこれはアンチの熱気でも、甚だしいものがあった。

大河は2015年と2018年。朝ドラは2018年上半期ですね。叩いていいものを見つけた熱狂がそこにはあった。大河については私も一端を担った自覚はあるのですが。

でもこれって、純粋に作品を楽しんでいるのかどうか?

意見が一致して「わかりみー!」と言い合える快感を共有しているのではないか?

ハッシュタグ投稿は悪くないし、ファンアートは楽しい。それはわかるのですが、ドラマそのものを楽しみたいのか、ファンであることをアピールしたいのか、自分の投稿が評価されてうれしいのか、その区切りがわからなくて、過剰に【共感】を求める流れに、正直ついていけなくなってきた。

だから私は、自分に賛同する意見は見た瞬間に忘れるくらいでいようと意識するようにしました。

貶される意見は、むしろプリントアウトしておきたいくらいではあるんですけどね。臥薪嘗胆ってやつ。自己鍛錬のためには、薪をベッドにして苦い肝を舐めないといかんのです。

なので、ドラマの感想を書きながら、何度も何度もこう自分に言い聞かせました。

褒められたら、それはドラマそのものがよいだけのこと、そういう【共感】をうまく刺激できただけ。

所詮は虚名、この仕事で得た金銭以外は、全部どこかへ捨てにいけ。素晴らしいのはあくまで作品、作る側。それに乗っかっていることを忘れるな。

貶されたら、吟味して判断すること。ただ、自分たちの【共感】を傷つけられたことに怒っているのであれば、それはそれでよし。

【共感】排除は楽しくないが、それも必要だったとは今にして思う……。

【共感】はよいこともたくさんあります。でも、弊害もある。

【自我】がなく【共感】に頼りすぎて生きることの危険性。【共感】欠如の破滅。どちらも、本作では描いてゆくと思えるのです。

どちらがなくてもよろしくない。どちらかしかなくてもいけない。

バランスが大事です。

そして現在、そのバランス配分を変えねばならない時が来たようです。

【自我】と【共感】は、何も適当に考えたわけでもない。

【理】と【情】でもよいかな。

何度も出している『スカーレット』では、ヒロインが「エゴ=自我」を貫いたことを最終回において反省していました。

そして、本作も本木雅弘さんがこう言っているわけです。

正直なところ、演じるうえで、道三のこだわりが「自我を貫くこと」にあるのか「未来への思い」なのかを決められませんでした・・・。

やはり、このあたりが重要だとは思える。

ドラマを見る上だけではなく、こんな時代を生きていくためにも、必要なことなのです。


あわせて読みたい関連記事

明智光安
明智光安の生涯|光秀の叔父とされる謎多き武将は明智城を枕に討死す

続きを見る

斎藤義龍の肖像画
斎藤義龍の生涯|父の道三に負けず劣らず 信長の攻撃を退け続けた実力とは

続きを見る

斎藤道三の肖像画
斎藤道三の生涯|二代に渡る下剋上で国盗りを果たした美濃のマムシ63年の軌跡

続きを見る

長良川の戦い
長良川の戦いで道三と義龍が激突! 親子で分裂した斎藤家はその後どうなった?

続きを見る

明智城の戦い
明智城の戦い|美濃の“要衝”ゆえに光秀や光安の居城は斎藤義龍に攻められた

続きを見る

【参考】
麒麟がくる/公式サイト

TOPページへ


 



リンクフリー 本サイトはリンク報告不要で大歓迎です。
記事やイラストの無断転載は固くお断りいたします。
引用・転載をご希望の際は お問い合わせ よりご一報ください。
  • この記事を書いた人
  • 最新記事

武者震之助

2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』以来、毎年レビューを担当。大河ドラマにとっての魏徴(ぎちょう)たらんと自認しているが、そう思うのは本人だけである。

-麒麟がくる感想あらすじ
-

右クリックのご使用はできません
目次