櫛橋光

櫛橋光と黒田官兵衛(右)/wikipediaより引用

黒田家

官兵衛の妻・櫛橋光の生涯~最大のピンチを救ったのはガラシャだった

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オマケ②おたつ

軍師官兵衛』の第二回放送で、官兵衛初恋の人である「おたつ」が殺害されます。

黒田職隆(官兵衛の父)の養女となり、浦上清宗に嫁ぐ予定だったのが、その祝言の席で襲われてしまったのです。

官兵衛の実妹(ドラマでは義理の妹)の逸話をアレンジした展開でした。

実妹を初恋の相手にすることで、悲惨さを強調したのでしょう。ただし、この祝言での妹殺害の話そのものが、史実であるかどうかは不明です。

 

オマケ③官兵衛の母「いわ」

官兵衛の母は、明石正風の娘とされる女性であり、小寺政職の養女でもありました。

『軍師官兵衛』では戸田菜穂さんが演じており【いわ】という名前。

優しく慈悲深い女性として描かれております。

官兵衛は、7才の時から浄土宗の僧・円満について手習いを始めていました。わんぱくな官兵衛は手習いには身が入らず、もっぱら武芸を好んでいました。

ところが14才で母を失うと内向的な性格になり、人が変わったように和歌の道に打ち込むようになってしまうのです。

あまりに没頭するため、円満が諫めて、ようやく官兵衛も諦めたほどでした。

幼い少年の心に、大きな衝撃を与えたのが、母の死であったのでしょう。

記録はあまり残されていない女性ですが、官兵衛にとってはとても大切な、心の支えてあったのでしょう。

武将の活躍だけではなく、様々な女性の生きる姿を見られる『軍師官兵衛』。

彼女らの生き様を是非ご覧ください。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
『国史大辞典』
渡邊大門『黒田官兵衛 作られた軍師像 (講談社現代新書)』(→amazon
安藤英男『黒田官兵衛のすべて』(→amazon

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