岐阜城の戦い

織田家

東西のスター武将が集った【岐阜城の戦い】はド派手な関ヶ原前哨戦だった!

こちらは3ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
岐阜城の戦い
をクリックお願いします。

 

攻防の戦略を知る者同士の戦い

東軍の先鋒は福島正則と池田輝政です。

前述のとおり彼らの目付役として家康の宿老である本多忠勝井伊直政もいました。

本多忠勝
本多忠勝(徳川四天王)63年の生涯と5つの最強エピソード!年表付

続きを見る

井伊直政
井伊直政(徳川四天王)武田赤備えを継ぎ「赤鬼」と恐れられた42年の生涯

続きを見る

その他に、浅野幸長や黒田長政、堀尾忠氏や山内一豊、一柳直盛など豊臣系の武将も数多く参戦。

東軍の作戦は、これまでの岐阜城攻略の戦史を踏まえ、できるだけ早く木曽川を渡河し、西美濃(大垣城)からの援軍が現れる前に岐阜城下にたどり着き、攻城戦を開始するというものでした。

一方の織田秀信も、当然、岐阜城防衛の戦略を熟知しております。

第一防衛ラインを木曽川に定め、敵の渡河ポイントを狙って攻撃を加える――。

祖父・信長譲りのかぶき者でおぼっちゃんの織田秀信が、寡兵で野戦に出たことを無能だとする意見もあります。

しかし、岐阜城が籠城戦に不向きであり、斎藤家が確立した美濃防衛戦略をしっかり理解していれば、織田秀信の木曽川で迎え討つ作戦が間違ってはいないことが分かります。

織田秀信に誤算があったとすれば、尾張方面からやってくる敵が尾張勢だけではなく、東軍連合の大軍団であったことでしょう。

また、本来であればその大軍団に横槍を入れるべく、大垣城に布陣する石田三成小西行長島津義弘が2万にも満たない兵力で、最前線の木曽川まで援軍に来てくれなかったことも痛手でした。

島津義弘
島津義弘(四兄弟の次男)が鬼島津と呼ばれる功績が凄い 85年の生涯まとめ

続きを見る

小西行長(秀吉配下の戦国商人)とは? 豊臣政権で出世できた現実的な理由

続きを見る

織田秀信としては、何が何でも大垣城の兵力が、全軍をあげて援軍に来てくれることが岐阜城防衛の絶対条件です。

が、石田三成は若干の兵力を木曽川ではななく、岐阜城へ寄越し、自身と小西行長は木曽川の防衛ラインよりずっと手前の長良川の西岸に布陣。

島津義弘の軍勢だけを木曽川の墨俣の渡しまで突出させましたが、それもわずか1000人程度の兵力でした。

「三成、おまえ戦を知らんのか! 超有名人の俺様のじいちゃん(信長)の戦史くらい勉強しとけや、ボケ!」

と、織田秀信から三成に対して罵声が飛んでもおかしくないほど呑気な援軍でした。

石田三成
石田三成 日本一の嫌われ者を史実から再評価!豊臣を支えた41年の生涯

続きを見る

 

東軍は西軍の失策に乗じて勢いがついた

東軍にとって、岐阜城攻略における最大の難関は木曽川の渡河です。

彼らは軍勢を二手に分け、池田輝政を中心とする軍勢を東の渡し、福島正則を中心とする軍勢を西の渡しに配置して川を渡ります。

そこで三成の西軍は、どれだけの兵力を濃尾平野に展開してくるのか?

それが分からないため、池田輝政と福島正則の軍勢は、二箇所の渡しを同時刻に渡河する戦術を採りました。

敵の防御兵が分散するため、ドチラかが失敗しても、ドチラかは成功する可能性が高まる。そして上手く渡りきった組が織田秀信勢に横槍を入れる――そんな手順だったでしょう。

そして実際、福島正則を中心とする西の渡し組は、竹ヶ鼻城から出てきた織田秀信の配下により、木曽川渡河を完璧に阻まれます。

結局、福島正則は木曽川の下流まで回りこむはめになり、怒り心頭となって「支城はスルーせよ」という美濃攻略の定石を破り、竹ヶ鼻城を力攻めにして落城させます。

しかし、そんな無謀な作戦も結果的には良い方向へ転んだのかもしれません。

福島正則が無理な渡河を止めて主戦場から離れ、対岸の織田勢も木曽川下流まで向かったため、結果的に池田輝政の渡河がスムーズにいったとも考えられます。

この戦場での柔軟な対応が福島正則の強さなのかもしれません。

実際、池田輝政側には織田秀信配下のわずかな兵力しか守っておらず、大垣城の西軍も全く動いてこないため、輝政は圧倒的な兵力を持って、秀信の軍勢を撃退しました。

そればかりか、その後の野戦【米野の戦い】でも圧倒的勝利を収めました。

東軍の兵力を読み違えたのか。石田三成の援軍を期待していたのか。詳細は不明ですが、定石を読み違えた末の敗戦です。不都合な真実にも目を向け、冷静に自らの戦力を分析してこその戦術なのです。

かくして池田輝政は美濃に橋頭堡を構築することに成功。

池田輝政/wikipediaより引用

池田輝政は木曽川下流から戻ってくる福島正則の到着を待ちます。

通常、援軍が来る前に一気に岐阜城下まで攻め入ることが重要なのですが、さすがに臨機応変に対応してくれた福島正則に対して悪い、いや、これで岐阜城に一番乗りでもしたら『ヤツに何を言われるか分からない、メンドクセェな』とでも思ったのでしょうか。

大垣城の西軍に大きな動きがなかったことも幸いし、福島正則の軍と合流した後に岐阜城へ攻め込みます。

※続きは【次のページへ】をclick!

次のページへ >



-織田家
-,