こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【森長可】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
ノリノリで越後深くまで攻め込んだ、その時に!
先にも触れた甲州征伐で天正10年(1582年)に武田氏が滅ぶと、長可は海津城に入り信濃の統治をはじめます。
この地域には武田の旧臣もいて一揆が起きたりしますが、これを2日で鎮圧すると土地の有力者から人質を確保。
そして信濃を拠点に越後攻めを始めます。
越後ですから相手は上杉家ですね。
まさしくノリノリの織田家……というところで戦国史最大の事件が起きます!
【本能寺の変】です。
すでに越後深くまで進軍していた長可は一転大ピンチ。越後から撤退し、信長の仇を討つと決意します。
ところが、信長の死を知った信濃の国衆は、ここぞとばかりに裏切りまくって、長可は行き場が無くなり、海津城の人質を盾にして木曽方面へ撤退します。
唯一裏切らなかったのが出浦昌相(真田丸で寺島進さんが演じた武将)という人望のなさでした。
それでも日和って終わらないのが人間無骨の恐ろしさです。
木曽義昌による自身の暗殺計画を知ると【ニセの到着予定日を記した書状】を義昌に送り、前日深夜に城門ぶっ壊しで城に乱入!
武田を裏切った木曽義昌の生き残り策~信濃にはもう一人「表裏比興の者」がいた
続きを見る
義昌の息子を盾にして旧領である岐阜・金山まで撤退しました。
なお、旧領とは弟・蘭丸のもので、本能寺の変で亡くなったため長可が領主に。
裏切りの連鎖で周囲は敵だらけになってしまいましたが、各個撃破で攻めまくり、わずか1年弱で周囲の統一に成功しました。
まさに戦マシーン!
中入り部隊で家康の本拠地を衝こうとしたら
そんな鬼武蔵にも最期は訪れます。
【小牧・長久手の戦い】で豊臣秀吉についた長可は、小牧山の攻略で徳川家康の奇襲を受けズタボロに負けます。
秀吉vs家康の総力戦となった「小牧・長久手の戦い」複雑な戦況をスッキリ解説
続きを見る
むろん、このまま黙っている人間無骨ではありません。
リベンジや!とばかりに岡崎城攻略の【中入り部隊】に第二陣総大将として参加します。
【中入り部隊】とは、徳川家康の本拠地をつくために派遣された、豊臣の別働隊です。
このとき秀吉と家康は別々のところにいて、秀吉は、留守になっていた岡崎城を攻め取ろうとしたのです。
ところが、です。
家康がこれを察知。
徳川四天王の一人・井伊直政の部隊が急襲すると、両軍はたちまち混戦に陥り、結果、森長可は水野勝成の家臣に眉間を撃ち抜かれて戦死してしまいました(あるいは安藤直次に討ち取られたとも)。
あの人間無骨も、銃の前には呆気ないものですね……。
享年27。
戦場で、身分の低い武者の如く戦っていた長可は、
「まさか大将首じゃないでしょ」
と鼻だけ削がれて捨て置かれ、後に部下が金山へ持ち帰っています。
最後になりましたが……。
いかにも殺戮マシーン&脳筋なキャラに見える長可ですが、必ずしも頭脳がないワケじゃありません。
地元・金山では、塩と魚の専売を認める代わりに税をとるなど、巧みな政策を行っており、要は【性格がヤバめ】の武将だったようです。
戦場で会うはもちろんイヤ!
シゴト仲間としてもイヤ!
ここでは記しきれませんでしたが、他にも、同僚に暴言はいたり、同僚の奉公人を槍で突き殺したり。
それでいて実はバカじゃないってんですから、一歩間違えればサイコパスってやつで、日常ではあまり関わりたくないタイプです(´・ω・`)
つーことで、こんなワル査定にしてみました。
悪人度 ★★★★☆
影響力(権力)★★★☆☆
実は戦国無双度 ★★★★★
あわせて読みたい関連記事
戦国一の狂槍「人間無骨」人の身体は骨無き肉塊【戦国浮世絵ANARCHY6】
続きを見る
信長お気に入りの森可成~蘭丸や長可の父は浅井朝倉の大軍を寡兵で迎え撃つ
続きを見る
織田信長の天下統一はやはりケタ違い!生誕から本能寺までの生涯49年を振り返る
続きを見る
信長が「長島一向一揆」で敵対した宗徒2万人を虐殺~なぜ徹底的に潰したのか
続きを見る
本多忠勝5つの最強武将エピソード!家康を天下人にした生涯63年とは
続きを見る
西の戦国最強武将・立花宗茂~関ヶ原で浪人となるも諸大名の嘆願で復活した生涯76年
続きを見る
文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
本人のamebloはコチラ♪
◆拙著『戦後国診察室2』を皆様、何卒よろしくお願いします!
【参考】
国史大辞典
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)
谷口克広『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
森長可/wikipedia
ほか