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【森長可】
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「鬼武蔵」と人間無骨
『人間無骨』とは
「まるで骨など無いが如く槍先がスーッと人を刺し通す」
という意味だとされます……って、なんだよそれ、怖すぎやろ!
人間無骨がいつ森長可の手に渡ったのかは不明で、一説には天正二年(1574年)【長島一向一揆】ではすでに使われていたともされます。
16歳でこんな恐ろしい号の槍を激戦の中でぶん回してたのかと思うと、もう恐ろしいとしか言いようがありません。
ちなみに人間無骨と同じ刀工(二代目和泉守兼定・通称『之定(のさだ)』)が打ったとされる刀が同時代人に「天下一気の短い人物」と称された細川忠興の愛刀『歌仙兼定』です。

細川忠興/wikipediaより引用
刀工は良い武器を作るのが仕事です。
しかし之定も、ここまでおどろおどろしい名や逸話がつくとは思わなかったでしょう。
これまた余談ですが、忠興は明智光秀の娘・たま(細川ガラシャ)と結婚した際、信長が
「雛人形のような夫婦」
と表現した……という逸話があり、長可に負けず劣らず気に入られていた人でもあります。
まったくもって信長のお気に入りって、戦国時代であることを加味しても物騒すぎやしませんか。
まぁ、蒲生氏郷のように真面目な人もいますけれども。
長久手の戦いで討死
恐ろしい話はその辺にしておきまして、華々しく大名の仲間入りを果たした森長可。
しかし、春は長くは続きません。
武田征伐からわずか2ヶ月程度で【本能寺の変】が勃発し、信長が明智光秀に討たれてしまうのです。

『真書太閤記 本能寺焼討之図』(渡辺延一作)/wikipediaより引用
この時期にも武田旧領には多くの織田家臣が残っていました。
知らせを受けて多くが撤退を選びましたが、中には河尻秀隆のように武田旧臣によって殺される者もおり、甲斐周辺はたちまち危険地帯となりました。
長可は?
というと、さすがと言うべきか、織田家にとって最も危険なエリアでも彼は生き永らえます。
残念ながら弟の森成利(森蘭丸)は、他の弟である坊丸と力丸と共に本能寺で死へと追い込まれますが、末っ子の千丸(仙千代・後の森忠政)は小姓の同僚と喧嘩して母のもとへ送り返されていたので難を逃れています。
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