森長可

森長可/wikipediaより引用

織田家

信長に期待された森長可(鬼武蔵)蘭丸の兄は「人間無骨」を操る鬼武者だった

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小牧・長久手の戦い

命からがら居城の美濃金山城へ戻った森長可は、その後、羽柴秀吉に与しました。

そして織田信孝と小競り合いを繰り返していると、天正十二年(1584年)、ついに羽柴秀吉と徳川家康の間で戦が勃発。

俗に【小牧・長久手の戦い】と呼ばれ、長可もそのまま秀吉方で出陣します。

『小牧長久手合戦図屏風』/wikipediaより引用

当初、この戦は、小競り合いが散発するだけで、なかなか大きな戦闘が起きませんでした。

そのうち長可は、第二陣としてやってきた羽柴秀次につけられます。

秀次はこの少し前に三好家の養子から羽柴氏になっており、秀吉により近い立場と目されていました。

つまりは彼の前で手柄を上げれば、今後は安泰というわけです。

膠着状態への焦りと手柄を上げたい欲からなのか、森長可と舅の池田勝入(恒興)は一計を案じました。

「家康の本拠である岡崎城をつくフリをすれば、きっと混乱して足並みを乱すに違いない」

いわゆる「中入り」という戦術であり、その陣容は以下の通り。

◆三河中入軍2万の内訳

※羽柴軍は全体で15万人

第一隊:池田恒興(6000人)

第二隊:森長可(3000人)

第三隊:堀秀政(3000人)

第四隊:羽柴秀次(8000人)

総勢2万の大軍ですが、敵地へ突っ込むわけですから下手をすれば囲まれてしまいます。

長可もスンナリうまくいくとは思っておらず、出撃の際には白装束をまとっていたとも。

後述する遺言状で事細かに記してあるのも、常に死を覚悟していたためでしょう。

 


赤備えの直政部隊と激突!

覚悟は、最悪の形で報われることになりました。

森長可らの動きを察知した家康は、秀次隊を叩くと同時に、赤備えでお馴染み、徳川一精強な井伊直政隊を長可にぶつけたのです。

敵陣の中へ突撃していく「突き掛かり戦法」を得意としている井伊直政。

井伊直政/wikipediaより引用

さっそく森長可の部隊へ襲いかかると、乱戦となり、そこで水野勝成の陪臣だった杉山孫六が長可を狙撃すると、長可はその場で息絶えたといいます。

あるいは安藤直次隊が討ち取ったという説もありますが、いずれにせよ森長可は舅の池田恒興と共に戦死してしまうのでした。

享年27。

その後、秀吉は秀次の失態を叱りつけたそうですが、同時に「長可が討死しただと! そいつぁよかった!!」と喜んだなんて話もあります。

秀吉にしてみれば、長可は御しきれるかどうか、ギリギリな感じがしますもんね。

かつての主筋だった織田信孝と敵対した時点で、長可が織田家に出戻りする可能性は低いにしても、生き延びていつか徳川家康につかれるよりは死んでくれたほうがいい――そういう思いがあったのかもしれません。

 


丁寧なのに恐ろしい遺言状

さて、諸々の血なまぐさいエピソードと共に長可の名を後世に強く印象付けているのが「遺言状」でしょう。

前述の通り、森長可は最後の戦いに臨んで、家臣の尾藤甚右衛門宛てに遺言状を残しました。

幼い弟や妻、娘など女性たちのことまで事細かに記されており、繊細さがうかがえます。

特に弟については

「千は今まで通り秀吉様のお側で奉公させること」

「お千には私の跡を継がせないでください。絶対に嫌です」

と書かれています。弟の気質を知った上でのことかもしれません。

ちなみに最後には

「もしも十万に一つ、百万に一つ、こちらが完敗したら、皆火をかけて殉死するように。このことはおひさにも伝えてある。以上」

という物騒な指示で締めくくられています。それでこそ長可っすね。

ちなみに、この”おひさ”が誰のことなのかは特定できていません。

妻子の名前ではありませんし、こんなことを任されているくらいなので森家の重臣の誰かに対するあだ名でしょうか。あるいは奥をとりしきっていた老女の名前とか?

遺言状は現存していて、名古屋市博物館のホームページ(→link)ご覧いただけます。

成立の経緯や作者は不明ながら、江戸初期には森長可を主軸にした軍記物『兼山記』が成立するなど、彼の記録を残そうとした人がいました。

地元・金山での内政は今なお高い評価を受けていますが、遺言状での事細かな指示からすると十分頷ける話であり、今も「良き御殿様」なのでしょう。

森家の居城である美濃金山城は岐阜県可児市にあり、同市では森長可を歴史イベントのポスターやコラムなどに起用。

同じく可児市にある戦国山城ミュージアム(旧兼山歴史民俗資料館)でも森氏に関する展示(→link)を行っているとか。

どれをとっても強烈な人であることは間違いないですし、長尺ドラマか映画にでもなれば一気に人気が出るかもしれませんね。

その時を待ちましょう。


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長月 七紀・記

【参考】
太田牛一/中川太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
樋口晴彦『信長の家臣団【増補版】:革新的集団の実像』(→amazon
小和田哲男『戦国武将の手紙を読む』(→amazon
『戦国武将事典 乱世を生きた830人』(→amazon
国史大辞典
世界大百科事典

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