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【中川清秀】
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賤ヶ岳で討死
ご存知、明智光秀が信長を裏切り、敗死へと追い込んだのが天正十年(1582年)6月2日のこと。
当日、中川清秀がどこに居たのか、正確な場所は不明です。
しかし、秀吉と義兄弟である清秀にとって、その後の立場は鮮明だったでしょう
【山崎の戦い】で明智軍と秀吉軍が激突すると、清秀は高山右近と共に先鋒を務めたのです。

高山右近/wikipediaより引用
清秀の部隊は堀尾吉晴と共に鉄砲隊で明智方を迎撃したり、敵将を複数討ち取ったり大活躍しましたが、気合を入れすぎたのか疲労がひどく、追撃には参加できなかったそうです。
戦場で無理をすると命を落としかねませんので、ナイス判断と言えるでしょう。
しかし、翌天正十一年(1583年)の【賤ヶ岳の戦い】ではその判断力に狂いが生じてしまったのかもしれません。
大岩山で砦の守備を任されていた清秀は、柴田勝家の甥である佐久間盛政に急襲され、討死してしまったのです。
現代でも彼の墓は大岩山にあり、綺麗に管理されているようです。
辞世は「中川も 今は三途の 川ぞかし 同じ淵瀬に 身をば沈めむ」だとか。
清秀死後の中川家はどうなったのか?
その後の中川家
中川清秀には二人の息子がいました。
そこで清秀の死後は、長男の中川秀政が跡を継ぎ、豊臣方の大名となっています。
しかし、文禄の役において、朝鮮の水原城で”鷹狩の最中に敵兵に襲われて戦死”という、武将の心得としてアレな死に方をしてしまいました。
家臣たちは隠蔽しようとしたものの、秀吉にバレて6万石に減封されてしまっています。
よくぞ改易されなかったもので……。
「清秀の武功に免じて」大名としての存続は許され、次男の中川秀成が跡を継ぎました。

中川秀成/wikipediaより引用
秀吉としても、かつて義兄弟の契りを結んだ者の子を粗略にしたくなかったのかもしれません。
しかし、関ヶ原の戦いでは東軍についているのですから、そのへんがどうにも……まぁ、これも戦国時代ってことですね。
中川秀成は徳川家康から豊後岡藩を与えられ、中川家は幕末まで存続します。めでたしめでたし。
ちなみに秀成は、秀吉の命令で父の仇である佐久間盛政の娘・虎姫(虎御前)を娶っています。
賤ヶ岳の戦いの後、佐久間盛政が捕縛されたとき、秀吉が秀政と秀成へ
「お前たちの父の仇だから、お前たちが好きにしていいぞ」
といったところ、兄弟は
「戦場で相まみえたからには、生きるも死ぬも天命次第であり、恨んではおりません」
と答え、盛政に害をなそうとはしませんでした。
これに感動した盛政が
「私には娘がいるのだが、君たちのどちらかが娶ってくれれば、死んだ後も安心できる」
と答え、秀政は既に結婚していたため、秀成が虎姫を迎えた……という逸話があります。
この話が本当であればいい話ですね。

佐久間盛政(鬼玄蕃)を描いた『佐久間盛政秀吉ヲ襲フ』作:楊斎延一/wikipediaより引用
秀吉がゴリ押しした場合「人の心あるんか?」とツッコミたくなってしまいますので、ぜひ盛政からの話であってもらいたいですね。
こうして男たちの間では”戦場のならい”でカタがついたのですが、女たちの間ではそうもいきませんでした。
清秀の妻(秀成の母)が虎姫をひどく嫌ったとされているのです。
これはこれで致し方ないところですよね……。
別説として「秀成が虎姫を所望し、虎姫は中川家中の心情を思いやって岡城には行かず、畿内で暮らした」という話も伝えられています。
幸いにして秀成は妻を重んじたようで、7人の子どもに恵まれました。
秀成は朝鮮の役の際に牡丹を持ち帰ったという話もありますし、なんとなく優しそうなイメージがわきますので、それが夫婦円満に繋がったのかもしれません。
その牡丹は英雄寺(大分県竹田市)に残っており、ここには安産祈願のご利益を持つお地蔵様もあるとのことです。
付近を訪れた際は、立ち寄ってみるのもいいかもしれません。
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長月 七紀・記
【参考】
太田 牛一・中川 太古『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
峰岸純夫/片桐昭彦『戦国武将合戦事典』(→amazon)
『[新訳]名将言行録 大乱世を生き抜いた192人のサムライたち』(→amazon)
歴史読本編集部『物語 戦国を生きた女101人 (新人物文庫)』(→amazon)
国史大辞典
日本大百科全書(ニッポニカ)
日本人名大辞典
中川清秀/wikipedia