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外戚なき徳川将軍
徳川幕府将軍は代々、有力公家から正室を迎えました。
しかも、正室を母とする将軍は徳川家光までで、京都から江戸まで来た将軍正室が男児を産むこともありませんでした。
皮肉にもこの流れが崩れるのは、幕末が近づく最中でのこと。
13代将軍・徳川家定の正室として、薩摩藩島津家から篤姫が輿入れしますが、彼女は政治的カードになることを見越して大奥に入りました。
そして次の14代・徳川家茂は、孝明天皇の妹である和宮を妻に迎えます。
外戚の台頭を回避し、朝廷の権威を抑えつけた幕政創成期からすれば、考えられぬ事態。
最後の将軍である15代・徳川慶喜についても、母は皇族の吉子女王でした。
結果、慶喜は、朝廷相手に戦うより、江戸城を無血で明け渡すことを選んでいます。
幕末の将軍たちの推移や決断を見ると「後継者の母の身分を低く抑えた」という家康の判断が正しかったと思わざるを得ません。
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妻子に対してはむしろ冷淡
日本でも親しまれてきた白居易「長恨歌」に、こんな句があります。
後宮の佳麗(かれい)三千人――。
権力者というのは美女を集めてウハウハできるんだ。
ざっくりそんな意味ですが、こうしたイメージは現代にまで伝わり、古典や文学、映画、そしてドラマで繰り返し再生産されてきました。
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家康の孫である家光の時代にできた大奥も、こうしたファンタジーの舞台とされ、妻の多かった家康も同じような印象を持たれがちです。
しかし、そこは冷静に考えてみたい。
前述の通り家康は、権力の弱い家の女性を選んでいます。
美女かどうか? 性格はどうか?
そんな女性たちの人となりについては断片的な逸話しか残っておらず、では家康が妻子に対してどう接していたのか?というと、細やかな愛情が欠落していると思える冷淡な逸話すら残っています。
女遊びでゴクリ……とか、側室でゴクリ……とか、そんな目線ではなく、
御家保持のため淡々と女性をチョイスしていた
とも考えられるのです。
そんな家康からすれば、一夫多妻という事実から、現代であれやこれやと妄想をされるのはたまったものでもないでしょう。
★
これまでの歴史や関連作品は、権力者の男目線で語られがちでした。
しかし最近は、女系の権力を考えつつ、ジェンダーの認識を踏まえながら見直す流れが世界的にも活発化しています。
『どうする家康』の放送前は“新しい大河”という触れ込みが取り沙汰されていましたが、実際は、パステルカラーの衣装に身を包んだ側室たちが主人公に接近してウハウハする、前近代的な展開でした。
大河ドラマは歴史を学ぶことのできる貴重なコンテンツとして認識されています。ジェンダーについてもそうであって欲しいと願うばかりです。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
大塚ひかり『ジェンダーレスの日本史-古典で知る驚きの性』(→amazon)
『新書版 性差の日本史』(→amazon)
他