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【ドラマ大奥幕末編 感想レビュー第18回】
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蛍の飛ぶ縁側で
蛍の飛ぶ縁側で、家定と胤篤が座り合っています。
気遣う胤篤に、家定は少し離れて立って欲しいとお願いをする。
さらには振り向いて欲しいと要望を出し、胤篤がそっと従うと、家定の目に涙がにじんできます。
この美しい姿を永遠に目に焼きつけたい。そう願うようなまっすぐな瞳。愛希れいかさんの顔は美しいだけでなくどこか儚い。
「好きだ、私はそなたが好きなのじゃ。はは、何を今更じゃな」
そう笑い、涙をそっと拭う家定。
彼女にはわからなかった。何をもって人を恋い、慕うのか。それを今更ながら理解できたのです。
胤篤もそうだと語ります。女人を恋慕うとはどういうことかわからなかったと。
原作ではなかなか遊んでいた胤篤。これだけの美貌であれば当然そういうことはあった。けれども彼は、愛するということを心の底から理解するようになったのです。
瀧山はそんな二人を見て、満足しております。嫉妬する気持ちはもう通り過ぎたのでしょう。
懐中時計を家定に渡す胤篤です。
十代を経て、かつての家光と有功のように恋に落ちてゆく二人。あの二人は子ができぬけれども心で結びあおうとしていました。
この二人の間には子ができました。その運命はどうなるのか……。
家定は、この日を境に、胤篤のもとを訪れなくなりました。
懐妊を喜ばぬ者もいるし仕方ない、戌の日には来ると約束したと瀧山に告げる胤篤。懐中時計の音をそっと聞く彼の顔は、初恋を知ったばかりのような初々しさがあります。
こういう恋の描き方が時代劇らしさと言えるでしょう。
現代人は恋愛が先立ち結婚することが当然だと思い込んでいます。
これを無理矢理時代劇に適用しようとすると、駄作大河のお約束が発生してしまう。
主人公同士が野外で出会い恋をして、そして結婚へ。かつては「野合(やごう)」と呼ばれ蔑まれたものです。秀吉と寧々は身分が低かったからこそ、それができた例外です。
順番にこだわらず、結婚後に愛を知ることは不思議でも何でもありません。むしろこんなにも素晴らしい描き方ができるのかと改めて思いました。
家定はどこへ消えた
胤篤は政治のことがわからなくなります。
井伊は勅許を得ずにアメリカと条約を締結。
無断登城したことで徳川斉昭を謹慎処分にします。
斉昭は家慶時代にも「政治に口を出しすぎるな!」と謹慎をくらった前例がありますので、これは当然のことでしょう。
しかし胤篤は、上様はこれを許しているのかと焦っています。
彼は気づいているのか、それとも無自覚なのか。勅許を得ることを重視するのは、幕府が危険視する尊皇に繋がります。水戸の謹慎にせよ、幕府がある。
井伊直弼からすれば「そんなことは当然であろう」と反論できる話ではある。
実は瀧山も、家定の姿を見ていません。
どうしているのかと井伊に尋ねても、相手は猫のような顔をしながら上様はお変わりないと言うだけ。戌の日には御台と会う約束があると主張しても、井伊はそれをはぐらかしつつ、八朔(はっさく)の儀があると席を立つのでした。
瀧山はこのことを胤篤に報告します。
このころの将軍の政務は儀式が重要です。もしも家定に何かあれば八朔の儀は進めないだろうと推察する瀧山。
「便りのないのはよい便りということだな」
そううかぬ顔で返す胤篤。そこへ中澤が入ってきて、瀧山は去ります。
島津斉彬、急死の一報でした。水戸謹慎の件で幕府を糾明するために軍事調練をしている最中に倒れ、そのまま亡くなった。
これを聞いて胤篤は驚いています。中澤は呆れている。
胤篤は現実逃避をしています。あれほど賢いのに、現(うつし)を見られなくなって判断力が低下しているのでしょう。
向き合いたくない現実とは、彼自身が幕府にとって“毒”であるということもある。
家定と話し合うことで軌道修正し、新たな道も見えたのに、それがだんだんとわからなくなってくる。
本来あった薩摩の思惑に戻ってしまう。
それは幕府を倒すこと。そのことに気づきたくないのか、逃げようとしているのか。混乱している。
「今江戸城には主はおらぬ、これ以上はない機会であったのに!」
そう悔しがる中澤。
「中澤、いま何と申した」
そう返す胤篤。中澤は久光に毒を盛られたのかと悔しがっています。
「おい、江戸城に主がおらぬとはいかなる意味か!」
声を荒げる胤篤。
「胤篤様。家定公はとうにお亡くなりですよ」
家定との永訣
嘲るように家定の死を伝える中澤。
表では皆知っている。知らぬは大奥のみ。腹の子ともども死んだのだ、と。
胤篤は怒りを抑えきれません。夫なのになぜ知らせがないのか!
それが大奥のしきたり。取り乱す者がいないように時を置くのだと中澤は淡々と語り、同時に軽蔑したように語気を強めます。
斉彬よりも徳川の女の死を悲しむとはどういうことか! 斉彬は久光よりも胤篤を跡取りにしたかったのに!
そう言われても、胤篤は「毒か!」と怒りばかりが湧いてくる。
中澤の本名である津村重三郎で呼び、真実に迫ろうとするも、相手からは「私かもしれませぬぞ」と不敵な答えが返ってくるばかり。
その上で自分を斬ればよいと挑発してきます。主を失った今、心残りはない。
このやりとりからは薩摩の毒がどんどん溢れ出てきましたね。胤篤の着物の色が、花菖蒲ではなくトリカブトのようにも見えてくる。
本当の毒とは何だったのか?
原作でははっきりと描かれています。家定の死因は、妊娠に体が耐えられなかったのです。
かつて家光と有功の間には子ができなかった。
家定と胤篤の間には子ができて、そのために永訣を迎えてしまった。
胤篤は聡明で気遣いもできるけれども、妊娠出産についてはそこまで盤石の知識があったわけでもないのでしょう。
けれども、自分が妊娠させたことで相手が死んでしまったのだとすれば、そんな現実とは向き合いたくない。
この場面では、胤篤も、中澤こと津村重三郎も、現実逃避しています。
毒だのなんだの言い、自分の最愛の誰かは、陰謀が殺したと言い合う。本気でそう信じているのかどうか。
家定の死因は妊娠です。そして斉彬も毒殺ではない。
しかも斉彬は弟の久光を嫌うどころか、実はかなり信頼していた。実際、久光の政策は、現(うつし)を踏まえつつ、兄のものを調整して成功に導いています。
仮に、軍事調練してどこかに乗り込んだとして、それでクーデターが成功する確率は低いでしょう。
中澤は先走りすぎている。軍勢を率いて首都なり政治の場に乗り込むことは、強引に要求を通したい定番の手段です。日本史ならば【御所巻き】です。
そしてこの軍事による政治介入を、久光は江戸ではなく京都に向かうことで達成します。
失脚した一橋派の復権は、久光が上洛を断行したことで可能となりました。
にもかかわらず久光は過小評価される。なぜなのか?
維新三傑の一人である西郷隆盛と頻繁に衝突したことも影響しているのでしょう。
薩摩の島津斉彬。長州の吉田松陰。この二人は退場が早いこともあってか、絶対正義のように持ち出されます。
しかし、だからこそ正当化のために何かと利用された一面もあった。
中澤がその一例であり、薩摩の暗黒面に堕ちている。「徳川の女」という嘲りにもそれが現れていますね。
薩摩は、全国一男尊女卑が厳しい土地柄。
「女と愛しあうよりも男同士でん愛しあうがよか!」となります。中澤からすれば、女に靡く胤篤は、薩摩隼人失格だと思ったことでしょう。
薩摩趣味(薩摩の男色)を大河ドラマ『西郷どん』で描くことはできるのか?
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薩摩隼人たちの激昂しやすさ、マッチョイズム。そんな欠点もチラホラ見えてきました。
時を止めた時計
胤篤に家定の死が知らされたのは、8月8日のこと。実際の死は約1ヶ月前の7月6日でした。
瀧山は形見の品である懐中時計を、うやうやしく差し出します。家定は胤篤に、菩提を弔うのではなく“好きに生きる”よう言い残していました。
形見を手に、あの蛍を見た日を思い出す胤篤。
時計は胤篤が贈ったものでした。会えなくても、離れていても、同じ時を刻みたい。そう言い添え渡したのです。
時計の刻む音をうれしそうに聞く家定。
子が生まれたらなすべきことは多いと希望を語っていました。
阿部正弘の目指した身分の別のない世の中を目指す。
西洋列強は確かに強い。しかし、政治は男ばかりに任せて、女の力を活かせていない。
身分も男女の別もなく活かせばよい。胤篤ならば井伊とも渡り合える。表でも奥でも同じ時を刻もうと家定は語ります。
「幸せじゃ、今このときが、この上なく」
そう満足げな表情だった家定。
しかし、止まった時計はかえって彼女の不在を示すものになってしまった。もう、この世のどこにもいない。胤篤は時計を投げます。
「巻く者のいない時計など、持っていて何になる!」
瀧山が静かに時計を拾い上げると、最期の言葉は誰が聞いたのかと胤篤が尋ねます。
井伊直弼でした。
名を聞いて感情の制御が利かなくなってしまったのでしょう。胤篤は瀧山が止めるのも聞かず、井伊を呼び出します。
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