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【雪代巴&雪代縁】
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ショックで総白髪になることはありえるのか?
そんな巴の弟である縁は、姉の仇討ちのため剣心をつけねらいます。
若くして短期間で白髪になってしまったという設定――これがありえるのかどうか、気になるところではあります。
日本のマンガにおいて、最も有名な心痛由来の総白髪キャラクターといえば『ベルサイユのばら』のマリー・アントワネットでしょう。
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ただ、彼女はかなり特殊ではあるのです。
ヨーロッパ貴族は、カツラの着用がオシャレとして定着しております。カツラをつけられないほどの状況に陥ったため、それが誤認された可能性も考えた方がよいとは思います。
マンガに関していえば、あの『ベルサイユのばら』描写があまりに秀逸であったがために、『あしたのジョー』等に継承された可能性もありましょう。
心痛のあまり頭髪がぬけたり、ストレス太りをする――そういう設定はあまり漫画に出てきません。
史実を基にした描写にせよ、例えば西郷隆盛の下半身についても描かれないことがあります。
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フィクションによる身体のダメージ描写には、どうしたって誇張や修正があるんですね。
雪代縁の“敵討”
そんな縁の動機は、姉の敵討です。
ただし、明治前半という年代を考えるとかなり無理はあります。
江戸時代には「敵討」が制度として認められており、明治6年(1873年)にやっと禁止されました。
動機や名目には、現代人とは異なる視点があったことは確かです。
・敵討の対象は?
儒教倫理で目上の人物が非業の死を遂げた際に、目下の者が行うことが制度化されていました。
父親の敵討を、息子や娘が行う。
夫の敵討を、妻が行う。
こういう尊属の敵討は理解を示されます。
じゃあその逆――弟が姉の敵討をするのは、果たしてありなのだろうか?
年齢で言えば姉が上ですが、そこは女性ですので、男尊女卑の価値観は入ってきてしまうことは考えられます。
非合法の殺し合いをしている縁に「儒教倫理的にどうなの?」と突っ込んでも無意味のようには思えます。
これは社会通念の問題です。こういうイレギュラーな仇討ちをするということは、それだけ姉への思いが深いということは考えられます。
剣心の命を狙う人物として一番ありえる設定としては【親を殺された子】によるものとなります。それでは当たり前すぎて、つまらないのかもしれませんが。
十代半ばで既に三桁に達しそうなほど斬っていたのですから、剣心は今後も気の休まる日々はないのかもしれません。
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・巴の貞操問題
そんな儒教倫理からすると、姉の貞操問題はどうしたって突き当たってしまいます。
前述の通り、武家女性にこういう形で間者としての接近は、なかなか頼めない。危険でもあるし、悪い評判が立ちます。
当時の考え方を適用すれば、こうなってもおかしくはないということです。
「姉上はあの男に気を許していたのではないか? ならば貞婦にあらず!!」
そういう倫理観を適用することもできないほど、縁は姉への愛が強烈だったということでしょうか。
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わかった、わかった。縁のシスターコンプレックスは今更突っ込むまでもないだろう。そう片付けたくはなる話です。
ただ……そんな甘酸っぱいシスコンだけではなく、当時の青少年と比較しても、縁は問題があります。
姉への愛が強すぎることではありません。
当時の人々が見た地獄
姉が目の前で死んでしまった……そんな悲惨な体験を軽んじるつもりはありません。
ただ、これも『るろ剣』の宿命です。近現代史について考え始めると史実の方が凄絶で霞んでしまうのです。
そこには、いくつもの地獄がありました。
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安政年間誕生の縁と同年代の人物を見てみましょう。
例えば、数歳年下の柴五郎。
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彼は会津戦争で、一家の女性をほぼ失い、焼け跡から遺骨を拾いました。
そういう家族の惨劇が世間話のネタにしされ「あらまぁかわいそう」という扱いを受けてしまう。まさしく地獄です。
当時の東京には、会津戦争における少年の生首をテーマにした歌が流行していたというのですから、恐ろしい話でしょう。
そういう柴五郎も、縁同様、恨みはありました。
彼は西南戦争における西郷隆盛の死や、大久保利通の暗殺事件を聞いて天罰だと感じ、それを悔やむわけでもないと語り残しています。
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本当にあった明治初期のこうした体験談をたどっていくと、縁はむしろ甘いんじゃないか?
そう思えてくるほど、史実は殺伐としていました。
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