岩瀬忠震

日米修好通商条約を交渉したハリス(左)と岩瀬忠震/wikipediaより引用

幕末・維新

実はアメリカを圧倒していた幕臣・岩瀬忠震~日米修好通商条約の真実

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斉昭は再び攘夷に固執しました。

「やっぱり、開国なんてありえん! 貿易なんかしたら日本の富が吸い尽くされるだけだろ! 開国ありえない! 絶対ありえん、ありえんからなーッ!」

さしもの岩瀬も、こんな状況をどうにかできるほどの権限はありません。

日本屈指の外交のエキスパートとして、各国の外交官と交渉するほかありませんでした。

 

ハリスのスピーチ

安政4年(1857年)。

ついにハリスが米国大統領の書簡を携えやって来ました。

沿道には、実に9万5千人もの見物人が集まり、注目を浴びたハリスも満足げです。

タウンゼント・ハリス
ペリーじゃないよハリスだよ 日米修好通商条約を結んだ米国人って?

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ハリスは堀田正睦邸に来ると、堂々たる演説を始めました。

長くなりますけど意訳させていただきますね。

【日本の皆さん、こんにちは!

今、世界はかつてないほど狭くなっています。

交易は盛んになり、グローバル化しているのです。ここでその流れに背いても、どの国からも敵視されてしまいます。

我々の望みはあくまで交易であり、かつてのスペインやポルトガルのように、布教をしたいとも考えておりません。

日本は今、危機に瀕しています。

我々の大統領は、日本が阿片で汚染されないか心配しています。

阿片は金銭だけではなく、健全な肉体を蝕み、犯罪を増加させ、社会を根底から腐らせてしまう。このような阿片禍は、イギリスが清国に武力でもって売りつけたためです。

我々アメリカ合衆国はイギリスとは違います。

我々は東洋に植民地を持っていません。ハワイがそうなりたいと思っても、断ったほどです(※このへんは事実とは異なりますが、はったりでしょう)。

このままでは、台湾はイギリス、朝鮮はフランス領にされるかもしれません。

なぜこのようなことが?

それは、条約を結び駐在使を置こうとしなかったからなのです!

かつて、インドもイギリスとの条約を拒み、植民地とされてしまいました。

イギリスは今、ロシアと戦っています。このままでは、満州や樺太を支配し、そこに海軍基地を置こうとするでしょう。

この前、イギリスの将軍と話しました。

清国の次は蒸気船50艘を連れて日本に自由貿易を迫りに行くと、彼は語りました……。

考えてみてもください。

イギリスや他国の野蛮さを。

たくさんの戦艦を連れてきて、開国を迫ります。

しかし、我々アメリカは、このハリスがたった一人で、交渉に来ました。

こんなフェアプレー精神の私と交渉するほうが、名誉あることだとは思いませんか?

先に私と条約を結びましょう。そうすれば、英仏にも連絡を取ります。

自由貿易は素晴らしいのです。

もしあなたの国で飢饉が起これば、外国から食料を輸入できます。

交易すれば、素晴らしい発明品も手に入るんですよ!

しかも輸入品からは関税が取れます。WIN-WINではないですか!

日本は平和が続きました。素晴らしいことです。

しかし、そのため現在では武力で劣ります。無謀な勇気にかられたら、危険なことになります。

我がアメリカと条約を結んだら、日本が危機に陥ったら武器弾薬、訓練のための仕官も派遣します。

日本の皆さん!

アメリカと仲良くしましょう!!】

ハリスに代わってご静聴ありがとうございます。

本演説を要約します。

・イギリスは最低最悪です。逆らうと危険です

・でも我々アメリカは善良で味方です。条約を結んで、仲良くしましょう。きちんと条約を結んで、イギリスの脅威を退けたいですね!

・貿易をきっちりすればむしろお得ですよ! さあ、怖がらないでやってみよう

いかにも怪しげな申し出ではありますが、実は、幕府側でもイギリスを最も警戒してましたので、納得できる話ではありました。

むろん、ハリスの言葉はすべてが事実ではなく、ハッタリや駆け引きもあります。

しかし、居並ぶ幕府閣僚は、その弁舌に圧倒されました。

岩瀬もまた、ハリスの言うことに納得ができました。彼の頭の中は、交易によって利益を得ることで一杯です。

岩瀬は渋る幕閣を説得し、下田奉行・井上清直と共に、ハリスとの交渉に入ることを決めたのでした。

 

我々は皆同じ、天地の間の人

後年、ハリスは、岩瀬・井上との交渉をこんな風に振り返っております。

「私はアメリカの利益も計ったが、一方で日本の利益も損じないように努力した。

治外法権に関してはあの時点では仕方なかったが、自分も岩瀬も意図的に不平等にしたのではない。

関税は、私は自由貿易主義者だが、日本のためを思い、平均20パーセントとした。酒・煙草は35パーセントと重くした。

(中略)

議論のために、私の草案や原稿は真っ黒になるほど訂正させられ、主立った部分まで変えることすらあった。

このような全権委員(岩瀬と井上清直)を持った日本は幸福である。

彼らは日本にとって恩人である」

あれっ??? と思いません?

ハリスらアメリカ人は、強引に、自分たちに都合のいい条件を押しつけ、幕府がハイハイ黙って頷いていた――わけではありません。

むしろ真逆。

ハリスはしばしば、岩瀬に反論され、答えに窮することすらありました。

岩瀬に堂々と論破説得され、条文を何度も改めることになったのです。

日米修好通商条約/photo by World Imaging wikipediaより引用

岩瀬にしても、ハリスや外国人に対して気遣うようになりました。

ハリスは、攘夷のために日本の治安が悪いことを理解しておらず、しきりに旅行をしたがっていました。それをうまく説得し、身柄の安全確保に気を遣っています。

続発する攘夷事件。

それを見聞きし、ハリスはようやく日本の危険性に気づくことになるのでした。

岩瀬とハリスの間には、偏見や敵意のかわりに、敬意がわいていました。

ハリスはじめ様々な外国人と接するうちに、こう確信するようになっていたのです。

「国は違えど、同じ人間だ。わかりあえないことはない」

時にハリスがヨーロッパ各国のことを悪く言うと、岩瀬がたしなめたほどです。

「ヨーロッパ人も同じ天地の間の人。我々と変わりはないでしょう」

ここまでの国際性を、数年間のうちに身につけた岩瀬。その成長性は驚異的でした。

 

ユーモアと才知溢れる外交官

同時代、岩瀬と知り合った人はその才知に舌を巻き、絶賛していました。

橋本左内「急激激泉の如く、才に応じて気力も盛んに見えて、決断力もあり、知識もあったえ、断あり、識あり」

木村芥舟(摂津守)「資性明敏、才学超絶、書画文芸一として妙所至らざるなし」

岩瀬に魅了され、感心したのは日本人だけではありません。

ハリスは岩瀬のことを信頼していました。ハリスだけではなく、他の国の外交官も、岩瀬を絶賛しました。

岩瀬と出会った、イギリスのエルギン伯爵の秘書であった、ローレンス・オリファント(イギリス、エルギン伯秘書)は、彼を絶賛しています。

「日本で出会った中でも最も愛想が良く、教養に富んだ人物だ」

ローレンス・オリファント/wikipediaより引用

英語の勉強を努力していた岩瀬は、オリファントの言うことをすぐさま覚えて、繰り返すことができたそうです。

食事に出た品目をすべて書き留め、覚えようともしていました。

オリファントと交渉する幕臣たちは、西洋料理に慣れており、特にハムとシャンパンには「猛然と襲いかかる」と形容されたほど気に入っていたようです。

「条約には、ハムとシャンパンの味がしないようにしないといけませんね」

岩瀬がそうジョークを飛ばします。

ジョークを飛ばすとき、岩瀬は茶目っ気たっぷりに瞬きするので、オリファントにはすぐにわかりました。

そのユーモアセンスは、オリファント以下相手に大受けで、交渉の場を和ませました。

しかも2人は大変陽気な性格であったようで、お互いジョークを言い合い、楽しく仕事ができたようです。

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