大山格之助(大山綱良)

大山格之助(大山綱良)/wikipediaより引用

幕末・維新

大山綱良(格之助)が寺田屋で大暴れ!西郷の郷中仲間が斬首の最期

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
大山綱良(格之助)
をクリックお願いします。

 


泥沼と化した戊辰戦争

次に大山の名前が知れるのは、慶長4年(1868年)の戊辰戦争です。

このときは奥羽征討軍下参謀として、東北諸藩の鎮定に向かいました。

戊辰戦争
戊辰戦争のリアルは過酷だ~生活の場が戦場となり食料奪われ殺害され

続きを見る

大山が請け負ったのは、秋田藩です。

秋田藩には、奥羽越列藩同盟への加入を勧める仙台藩からの使者が来ていましたが、大山がこの使者を殺害。

秋田藩は西軍につくことになりました。

奥羽越列藩同盟
奥羽越列藩同盟とは?伊達家を中心とした東北31藩が戊辰戦争に敗れる

続きを見る

このときの大山は、長州藩の世良修蔵とセットで語られることが多いようです。

仙台に向かった世良は、傍若無人な振る舞いをして反感を買います。

しかも大山宛に送った密書の内容が、仙台藩士たちに知られてしまったのです。

「奥羽皆敵ト見テ逆撃之大策ニ至度候ニ付」

「奥羽は皆敵だからぶっ殺す」

とまぁ、なんとも物騒な内容。

激怒した刺客によって殺されてしまい、奥羽の戊辰戦争は泥沼へと突き進んでゆきます。

庄内方面を転戦した大山は、庄内藩の反撃にあい苦戦。

戊辰戦争においては数少ない、西軍としての敗北を喫しました。

どうにも戊辰戦争での大山は、世良とセットで語られるためか、評価が辛くなるようです。

当初の予定では、下参謀は大山と世良ではなく、黒田清隆と品川弥二郎でした。

そのため、

この二人ならもっとマシだったのでは?

泥沼に陥られなかったのでは?

と思われてしまうのです。

おまけに味方からも「大山と世良は駄目だよなあ」と言われていた部分がありまして……。

大山も世良も、誇張されて悪く言われている一面があり、そこは冷静に考えた方がよさそうです。

 


鹿児島県令として西郷らに協力を続け

明治維新後の明治7年(1874年)、大山は鹿児島の初代県令となりました。

県令は、その県とゆかりが深い者以外が選ばれていましたが、鹿児島だけは例外。

この例外措置を、政府は悔やんだことでしょう。

県令時代、大山は薩摩藩時代の公文書を焼却してしまい、歴史研究に打撃を与えます。

しかも大山は、政府から県令に任じられていたにもかかわらず、政府の意向を無視しました。

その心情は、新政府に批判的であった西郷寄りであったのです。

西郷の私学校の費用は、ほとんどが県費でまかなわれました。

大山は、中央から任じられた県令というよりも、桐野利秋と並ぶ西郷の幕僚のような状態。

桐野利秋
桐野利秋(中村半次郎)は幕末最強剣士か?人斬り半次郎の生き様

続きを見る

鹿児島の士族の状況もよく把握しており、西郷から信頼されていたのです。

そして、西南戦争以前の鹿児島県は、ほぼ独立王国のような状態となってしまい……それが、西南戦争へつながる大きな要因となります。

実際、戦争の最中も、彼は資金を提供し続けました。

西南戦争開戦のキッカケ
西南戦争が起きた本当の理由は何なんだ「視察」が「刺殺」の真相は?

続きを見る

むろん敗戦に終わったからには、彼とて無事では済みません。

西郷に味方した罪に問われ、明治10年(1877年)9月30日、長崎で斬首。

享年53でした。


あわせて読みたい関連記事

西郷隆盛
西郷隆盛 史実の人物像に迫る~誕生から西南戦争まで49年の生涯

続きを見る

穴山信君(穴山梅雪)
穴山信君は卑劣な裏切り者なのか?信玄の娘を妻にした武田一門の生涯

続きを見る

精忠組(誠忠組)
西郷や大久保を輩出した精忠組(誠忠組)目をかけたのは久光だった

続きを見る

薩摩示現流と薬丸自顕流
薩摩示現流&薬丸自顕流の恐ろしさとは?新選組も警戒した一の太刀

続きを見る

天然理心流
幕末最強の剣術は新選組の天然理心流?荒れ狂う関東で育った殺人剣

続きを見る

島津久光
西郷の敵とされる島津久光はむしろ名君~薩摩を操舵した生涯71年

続きを見る

西郷従道
ホントはすごい西郷従道(信吾)兄の隆盛に隠れがちな有能っぷりとは

続きを見る

文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
『国史大辞典』
奈良本辰也『明治維新人物辞典 幕末篇』(→amazon

TOPページへ


 



-幕末・維新
-

×