征韓論と明治六年の政変

西郷隆盛(石川静正画の油彩)/wikipediaより引用

幕末・維新

西郷は死に場所を探していた?征韓論から明治六年の政変が激動だ

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動く明治6年

さて、征韓論に話を戻しましょう。

当初、征韓論を唱えていたのは木戸でした。

それに西郷が関わってくるのは、明治6年以降です。

この時期、西郷は外務卿の副島種臣と会談しております。

清に渡った副島は「日清修好条規」等の成果を上げ、琉球漁民殺害問題でも成果をあげておりました。

副島種臣/wikipediaより引用

西郷は、副島の活躍を実感し、海外に敢えて向かうことで、功績を挙げることが可能だと開眼しても、なんら不思議ではありません。

なにせ極度のストレスを抱え、中央政府ともぎこちない関係にあった西郷です。

彼の胸に、朝鮮に渡ることでこうした苦境を解決できるという、厄介な希望が吹き込んだとして十分にありうることでしょう。

丸腰で朝鮮に使節として渡り、朝鮮に対して交渉に挑む――西郷は、この使節は死ぬことを前提としておりました。

使節である自分が殺されたらば、朝鮮に攻め込む口実ができるとすら考えていたのです。しかし……。

これはいくら何でも、無茶苦茶な話に思えます。

もっとも、西郷にはこうしたことを好む性質があります。例えば「江戸城無血開城」のように、相手の懐に飛び込むことを身上としているフシが見られるのです。

ただし今回については、極度の体調悪化やストレスという背景も無視できません。

西郷晩年の言動には、常軌を逸したものがあるからです。

当時の状況をマトメておきましょう。

【西郷の征韓論背景マトメ】

・ロシアへの牽制を意識していた

・心身不調

島津久光との関係で悩んでいた

・政府の腐敗を苦々しく思っていた

・西洋諸国に屈した幕府のように政府がなりつつあると絶望していた

・武士としての戦死願望

こうした様々な要素が、無謀な志願の背景にあると思われます。

この問題が複雑であるのは、あまりに複雑な要素がからみあっているからなのでしょう。

 

死を願う西郷

しかし、提出された政府側としては、そんな死ぬ気気満々の筆頭参議・西郷を使節にできるハズがありません。

西郷は太政大臣・三条実美と面会して交渉に当たりますが、通そうとしてもあまりに無謀。

8月17日、西郷のあまりに強烈な要望により、三条もついに折れて、使節派遣が内定しました。

西郷はかなり浮かれました。

この夏、彼は悪性の下痢に悩まされておりましたが、それすら吹き飛ぶほど嬉しかったようです。

このはしゃぎぶりからは、何か異常すら感じてしまう。どう考えても、西郷はおかしい。しかも、ろくに準備すらしようとしないのです。

こうした異常性を察知した木戸や黒田らは、疑問を投げかけ始めます。

西郷従道、野津鎮雄、佐野津道貫ら薩摩出身者も、

「このままでは西郷がおかしなことになる」

と止めにかかります。

自殺願望を察知すれば、誰だって止めにはいるでしょう。

かくして大久保利通岩倉具視らは、西郷の案を却下。

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以下の状況を理由として10月24日、ついに遣使中止の上諭がくだされます。

◆内政改革・国力充実こそが急務である

◆出兵をしている余裕ではない

樺太問題の方が急を要する

このとき、心理的に弱いところがある三条は、板挟みの苦しみゆえに発病するほどでした。

しかし西郷本人から見れば、彼らの行動は裏切りに他なりません。

前日の23日、西郷は辞表を提出し東京を離れました。

板垣退助、副島種臣、江藤新平ら参議も、下野。近衛の将士の辞職も相次ぎます。

この政変が【佐賀の乱】】【台湾出兵】、そして【西南戦争】へとつながってゆくのです。

征韓論――それは西郷隆盛の極めて悪化した心身の状態が背後にある問題でした。

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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
家近良樹『西郷隆盛』(→amazon
筒井清忠『明治史講義 人物編』(→amazon
関良基『赤松小三郎ともう一つの明治維新――テロに葬られた立憲主義の夢』(→amazon
『国史大辞典』

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