江戸時代

田沼のワイロ伝説~どんな袖の下エピソードが残されているのか?

「お代官様、黄金色のお菓子にございます」

「越後屋、そちも悪よのぅ」

昨今は関西電力でお馴染み、時代劇で定番の賄賂シーンですね。

自分に有利な取り計らいをお願いするため、黄金のモナカを木箱に詰めて、代官様へサササササッ――って、こんな賄賂は今の時代も悪人の典型。

許せません!

ってなわけで、今回の日本史ワル査定は、賄賂の代名詞と言っても過言でない男・田沼意次です。

 


とーちゃんが吉宗に仕えて大出世

田沼意次は老中としての政治が有名です。

将軍直属の役職で、いわゆる閣僚ですな。

政治を統括するお仕事ですので普通は2.5万石以上の譜代大名がその職に就くわけですが、こちらの田沼意次さんも当然ながらボンボンだった……ワケじゃござーせん。

実は意次のパパは、紀州藩で足軽の家出身なのです。

戦国時代ならいざ知らず、足軽から老中への出世なんてありえるのか!?

という感じですが、当時のパパが仕えていたのが、まだ海の物とも山の物ともつかぬ徳川吉宗さん。

その後、紀州藩主から八代将軍へと就任するにつれ、意次パパも旗本へと出世を果たし、息子の意次へ相続させる時には600石となっておりました。

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ぶっちゃけ、これだけでも充分過ぎるサクセスストーリーでしょう。

しかし、意次はもっと凄かった。

後に9代将軍となる徳川家重の小姓に抜擢されると、たちまちお気に入りとなってトントンと加増され、実際に家重が将軍になるとますます出世を果たし、ついには1万石の大名となるのです。

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この辺りで家重は亡くなってしまうのですが、次の将軍になる息子の徳川家治に「意次はいい奴だから大事にするんだぞ」なんて言い遺していたため、意次は家治時代にも権勢を振るいます。

というか5万7000石にまで領地が増え、老中になったのは家治時代です。

この新将軍はあまり政治にヤル気を見せなかったため、意次らの側近政治となっていくのでした。

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言うほど悪い政治ではありません

賄賂に触れる前に田沼の政治について書きます。

意次は幕府の財政を改善するため「商業重視の経済改革」を行いました。

具体的に言いますと、商業組合(株仲間)を奨励し、専売などの特権を与えて商人を保護、対価として売上から税をとるようにします。

また、新貨幣の製造や印旛沼の開墾、農地開発などの推進も行いつつ、一方で外交政策としてはロシアとの貿易も計画していたようです。

結果、商業資本は潤い賄賂は増加いたしました。

蘭学を保護し、平賀源内のパトロンであったことも有名です。

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この政策が首尾よく続けば、幕府の財政も、市井の経済ももっと発展したのではないか?

なんて考察もあり、現代の社会システムから考えても商業を盛り上げていくのは悪くなかったのでは……なんて思ってしまいますよね。

しかし……。

ここから田沼意次の賄賂にまつわる話を挙げていきましょう。

平戸藩主・松浦静山(まつら せいざん)の書いた『甲子夜話』にその様子が色々と記されております。

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