喜多川歌麿

ライバル・鳥文斎栄之の描いた喜多川歌麿/wikipediaより引用

江戸時代 べらぼう

喜多川歌麿の美人画は日本一!蔦屋と共に歩んだ浮世絵師は女性をどう描いたか

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寛政の規制の中で描き続けたが

寛政9年(1797年)、蔦屋重三郎が亡くなりました。

蔦屋に対する歌麿の心情はなかなか複雑でした。

【役者絵】のエースとして東洲斎写楽が大々的に売り出された時には、歌麿からは嫉妬心のようなものもうかがえたものです。

歌麿にせよ、こうも売れてしまうと、他の版元からの仕事も手掛けていたわけで、若い頃ほど近い距離ではなかったのでしょう。

それでも自分を売り出した唯一無二のパートナーであり、理解者でした。喪失感があったことは確かです。

そして世の中はますます規制が強化されてゆきます。

歌麿得意の実在する美人を描く絵は、まず名入れが禁止されました。

誰を描いたか、絵で示す謎解き形式【判じ絵】で規制を潜ろうとするも、この手まで幕府は禁じてしまいます。

そして寛政12年(1800年)には、喜多川歌麿が得意としてきた【大首絵】まで禁止となりました。彼の個性は規制に封じられてゆくのです。

とはいえ、工夫しつつ描き続けるしかない歌麿は、日常に密着した絵を手掛けます。

穏やかで微笑ましく、かつてのようなスキャンダラスさはないけれど、十分に魅力はある――いずれの版元も歌麿の作品ならば、と引き受け、実際売れ行きも上々でした。

多くのクリエイターたちが筆を置き、あるいは不可解な死すら遂げる中、歌麿は上手に描き続けた特別な超一流の絵師と言えるでしょう。

【美人画】の頂点を極めたとも言える。

しかし、どんな作家も全盛期を過ぎれば翳りが見えてくるもので……。

寛政年間末期頃になると、かつての勢いは感じられない、焼き直しのような作品が増えてゆくのです。

歌麿の名声と技量ならば、一定数の需要は見込める。

けれども蔦屋と組んで一世を風靡したころの勢いはない。

江戸の雰囲気そのものも変わりつつありました。

あれほど憎かった松平定信の改革も、それが続いていくうちに江戸っ子の気質すら変えてしまい、ギスギスとした世の中は、歌麿の華麗な世界とは食い違ってゆきました。

とはいえ、まさか自分が処罰されるとは思ってもみなかったでしょう。

今まで工夫を凝らし、なんとか規制の目を潜り抜けてきた歌麿。

改革が始まって十年以上経過し、慣れて油断していたのか……。

 


もはや絵師・歌麿は終わる

文化元年(1804年)5月、喜多川歌麿は大判三昧続の【歴史画】である『太閤五妻洛東遊観之図』を完成させました。

豊臣秀吉による【醍醐の花見】を題材にした作品で、北政所、淀の方はじめ、美しい妻妾たちが太閤の周りに侍る華麗な絵です。

しかし、幕府は織田信長・豊臣秀吉時代以降の人物を“実名で描く絵”を禁じていました。

逆に言えば、その程度の罪で、彼は「手鎖50日」もの刑罰を受けてしまうのです。

歌麿としては、上方発で江戸に到達した『絵本太閤記』ブームに乗じただけのものでした。何より今までもっと際どい絵を手掛けてきてもいます。

いったい何がそんなに幕府を怒らせたのか?

確かに禁制には反していますが、上方発の豊臣贔屓がそれほど疎ましかったのか。あるいは多くの妾を持つ徳川家斉の批判と見なされたのか。

50歳を超えたベテラン絵師にとって、筆を持てぬこの刑罰は精神に大打撃をもたらします。

もはや絵師歌麿は終わる――

そう嗅ぎつけた版元たちは、こぞって彼に作品の依頼を持ちかけました。それほどまでに歌麿人気は確たるものがありました。

手鎖の刑罰を受けた歌麿は、衰えた力で筆を握りつつ、作品を描き続けます。

そして処罰から2年後の1806年(文化3年)、その命を終えました。

享年54。

 


外国人コレクターが買い漁り

約60年後――明治維新を迎えた日本では、世の転変のため商売が立ちいかなくなる者も数多く出ました。

彼らは溜め込んだ家財道具を売り、その日をしのぐことも珍しくありません。

そんな文物の中に浮世絵も含まれていました。

吉田金兵衛という商人がいました。

彼の元へ来て、驚くほどの高値で歌麿ばかりをまとめ買いしていく外国人がいました。

次第に噂になります。

「歌麿の浮世絵を、驚くほど高値で買い取る異人がいるらしい」

その名は「弁慶さん」で、住まいは横浜なれど、交通費をかけて売りに行ってもお釣りがくるほど儲かる。

歌麿の絵を集めろ!

とばかりに、その名を聞いた人々は歌麿の絵を集め、「弁慶さん」こと英国人フランシス・ブリンクリーに会いに行き、一大コレクションが生まれました。

アメリカの富豪であるウィリアムとジョンのスポルディング兄弟も、歌麿の絵を熱心に求めました。

このスポルディングコレクションは細心の注意を払っての保管がされており、退色しやすい露草染料まで保管に成功しています。

日本人にとっては一大ジャンルとして定着したためか、かえって新鮮味に欠けてしまったであろう歌麿の絵。

海外にしてみれば真逆、魅惑の世界です。

神秘的な微笑み。

日常を送る母子像。

哲学的で謎めいた春画。

歌麿の作品に対するそんな驚きは、蔦屋重三郎のプロデュース力が世界規模でも通じたといえるのかもしれません。

蔦屋重三郎が世に送り出した浮世絵師の中でも重要であり、美人画の最高峰を極めたとされる喜多川歌麿。

彼の魅力が大河ドラマ『べらぼう』で広く知られることを願ってやみません。


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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link

【参考文献】
近藤史人『歌麿 抵抗の美人画』(→amazon
田辺昌子『もっと知りたい 喜多川歌麿』(→amazon
小林忠『浮世絵師列伝』(→amazon

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